第669話

「いえ、直接的には、何も」

「ほうほう。つまり間接的には何かあった?」

 即座に揚げ足を取るように質問を続けた私に、カンナはちょっと言葉に詰まり、渋った顔をした。でも最終的には小さく頷いて答えてくれた。

「洋菓子店の前で、男が数名、争っておりまして」

 詳しく聞けば、カンナが入る時には騒動など何も無かったものの、買い物を済ませて出ると大柄な男達が取っ組み合いの喧嘩をしていた。

 野次馬も多く、店から出るのも一苦労だったそうだ。

 勿論、カンナならば容易く止めることは出来ただろう。しかし無関係な騒動に首を突っ込んで目立つことは避けるべきと判断し、しばらく事態を見守りつつ、騒動の位置が店の前から少しズレたところでようやく抜け出してきたという。

「なら本当に、カンナ自身が怖い目に遭ったわけじゃないんだね?」

「はい、問題ありませんでした」

 良かった。進んで教えてくれないものだから、本当はもっと大変なことになっていたのではと心配していたんだよね。私の守護石が反応していない以上、何か害意のある接触をされたとは思っていない。でも、戦えてしまうカンナだから。降りかかった火の粉を自分で払い、何事も無かった顔をしている可能性はあると思ったのだ。

 無傷だったとしてもそんな事態になっていたら「何も無かった」で私は済ませたくない。私の女の子に火の粉として降りかかったなら、それ相応の報いを受けさせなければ。

 まあでも今回は『本当』に彼女へ掛かった火の粉ではなかったようなので、許そうかな。

「アキラ様、その」

「うん?」

 さっきの話で少しホッとしてワインを傾けていたら、カンナは何故かやや緊張した面持ちで口を開いた。どうした。私は緩んでいたのに君はいつの間に緊張しちゃったんだ。

「今夜は何故、私をお誘い下さったのでしょうか」

「え、何回も抱っこして、触りたくなったから」

 問い掛けられた訳を察することもなく即座に答えた。私の言葉にカンナは一拍置いてから、ぱちりと瞬きを一つ。

 転移と飛行を理由にしてカンナを腕に抱いたら、いい匂いはするし温かいし柔らかいし、カンナが大人しくじっとしていて可愛いし。もっと長い時間、堪能したくなっちゃったんだよね。

「あと、そうだな、傍に居てくれたのが嬉しかったからかな。どうして?」

 思い付く限りの理由を告げてからようやく、カンナが問い掛けてきた理由を問い返す。カンナはまた一つ、瞬きをした。

「何か、お話がおありなのかと」

「あはは、いやいや。いつもこんなもんだよ~。可愛いなー抱きたいなーと思ったら、お誘い」

 軽く笑ってしまったけど、そうかぁ。カンナは何か用事があって呼ばれたと思っていて、だけど私がなかなか切り出さないものだから不安になって聞いたのか。

「本当に何にも無くてごめんね? それでも相手してくれる?」

 最初からこんな呑気な理由だと分かっていたら、カンナは相手をしてくれなかったのかもしれない。そう思うと、連れてきてから打ち明けるのは良くなかったかもな。私が眉を下げて窺うと、カンナが少し目を丸めた。

「いえ、あの、はい、ええと……御用がなくとも、アキラ様がお誘い下さるなら」

「ありがとう」

 変な聞き方をしたせいでちょっと戸惑わせてしまったが。応じてくれると言うならそれでいいか。肩を引き寄せて額に軽くキスをする。頭を撫でた時と同じく、カンナはきゅっと目を閉じた。かわいい。

「次からは、何か大事な用があるなら誘う時にちゃんと伝えるよ」

 つまり特に理由を言わない今回のような場合は、大体こういう理由だと思ってくれて良い。改めてそう説明したら、カンナが神妙に頷いていた。その様子が愛らしいので頭を撫でた。

「私は」

「うん?」

 カンナが何かを言おうとしている気配を感じ、なーでなーでしている手を止めた。私が無遠慮に撫でていたせいで、ちょっと喋りにくそうだったから。ごめん。

「どのような状況になろうとも、アキラ様のお傍におります。もしアキラ様が憂えていらっしゃる事態になったとしても」

 私の顔は呆けていたと思うけど、それを見上げたカンナは笑うわけでもなく真剣な目をしていた。

 彼女の言わんとすることを受け止め、じわりと心が温まるに従って頬が緩む。

 今日私が色々と考え込んだり、不安な気持ちになったりしていたから、ずっとそれを心配してくれていたんだな。もしかしたらそのせいで今日のお誘いにも、何か含みがあるんだと思っちゃったのかも。

「そうだね、私の侍女様。ありがとう。大好きだよ」

 素直にそう伝えたら、カンナはぱちりと目を丸めてから、照れ臭そうに俯いた。

 考えれば考えるほど『嫌な予感』が私の中でチラついて、その度に項垂れてしまうんだけど。こうしてカンナが慰めてくれているんだから、私は幸せ者だな。

 ご機嫌になりながらワインを傾けた私は、俯いていたカンナが何か言いたそうにしていたことに気付けなかった。

 そして見下ろした頃にはもうすっかりといつものカンナで、空いた私のグラスを見止め、素早くボトルを傾けてくれる。お酌ありがとう。こんな小さなことで更に幸せいっぱいになる私です。うーん、ワインが一段と美味しくなった。

「そういえば」

「はい」

「書庫開放の時、カンナには一晩ずっと退屈させることになっちゃうけど……ごめんね、連れて行くって勝手に決めちゃって」

「全く問題ございません。アキラ様のお傍に居ることが私の仕事です」

 むしろ置いて行こうものなら悲しんだかもしれない勢いで目が真剣だな。口元が勝手に緩む。

 この子に、傍に居てほしいんだよね。王城ではいつ気分が悪くなるか毎回分からないし。苛立った時にカンナが腕を撫でてくれたらそれだけで、今回もホッとできた。何もしてくれなくても隣に気配があれば癒しだし。

「お茶も、私の方で淹れさせて頂ければ良いのですが」

「あー」

 書庫が飲食禁止の可能性もあるが、クラウディアの監視下でなら応接室とかに本と共に移動もできるかもしれない。もしくは書庫内に飲める場所があるなら、お湯だけ用意してもらって、あとはカンナにやってもらうというのはありだね。何より私が嬉しいね。

「当日お願いしてみようか。念の為、茶葉と最低限の茶器だけ持って行って。沢山になるなら私が持つよ」

「畏まりました。明日確認いたします」

 私の我儘なら大抵のことは通してくれるだろう。そもそも書庫の開放は、仕事の報酬なんだからね。改めて楽しみだなぁ、王宮の書庫。

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