第657話

「つまり彼がもし何かの折に私を殺そうと思って剣を握ったとしても、多分、気付けない。気付けないままで彼に一突きにされて、自分が死ぬまで何が起こったか分からない可能性が高い」

 ホセと同じようにね。

 冒険者に憧れて今の職に就いている彼には悪いが、暗殺者にとても向いていると思う。

 しかし『能力がある』だけであって、やはりデオンが私に対して殺意を抱くようなことがあるとは思っていない。

 ただ今後『万が一』何かあってそちらに舵を切られた時。高確率で私は殺されるだろう。

 一通り説明を終えて女の子達を窺うと、みんな一様に、難しい顔と、不安そうな顔をしていた。怖がらせたくはないんだけど。私自身が少し『怖い』と思っていることだから、うーん、難しいね。

「とにかく、念の為ね。万が一の時には最初の攻撃だけ防いでくれるか、警戒の声を上げてくれたら助かるよ」

 初撃さえ防げれば後は大丈夫だ。ちゃんとした戦いになれば絶対に勝てる相手だから。

「カンナはデオンとずっと以前からの顔見知りだろうし、心苦しいとは思うけど」

「いいえ。アキラ様の御命令であれば従うことに憂いなどございません。畏まりました」

 迷いなく頷いてくれることに、私も安堵した。

「警戒がバレないようにだけは、注意してね」

「はい」

 全幅の信頼で任せられる人が侍女として四六時中、傍に居てくれるのは助かるね。武力的な意味で力になってくれる人としてはケイトラントもすっごく頼りになるが、彼女の最優先は昨日聞いた通りモニカであり、スラン村だ。私の傍に居てもらうわけにはいけない。一方カンナはこっちがびっくりするくらい働き者でお休みも要らないって言って傍に居てくれる。私が夜遊びに出ている時以外は傍に居てくれる人だから、これでほぼ安心じゃないかな。

 勿論、私もあんまり気を抜き過ぎないように、気を付けなきゃね。あんまりカンナに負担を掛けない為にも。まあ、無いとは思うんだけどね、デオンに限って。分かっていてもホセを殺した時のデオンを思い出すと未だにちょっとぞわっとするので、私の心の安寧の為の対応策でしたとさ。

「さて、晩御飯の用意をしよっか?」

 怖い話をしたせいで何だが空気が重たくなってしまった。手を叩いて気持ちを切り替える。

 今日は何にしようかな~。パスタが楽でいいなぁ。でも二種類作ろう。オイル系とクリーム系がいいかな~。

 歌うように献立を告げながら、下拵えに必要な食材を取り出したところで。

「あー、ごめん、ちょっとの間、みんなで進めててくれる? ヘレナに手紙を出さなきゃ」

 思い出したら忘れない内にやっちゃわないと。

 みんなにお任せして私は一度テントの中に入った。ジオレンに戻るってまだ連絡をしていなかったのに急に私が現れたものだから、ギルドでは驚かせてしまったことだろう。

 今朝のヘレナの連絡を受けて、三人だけでちょっと様子を見に戻っただけだったこと。本当に落ち着いている様子だったから、明後日には全員でジオレンに戻る予定だということ。最後に、戻ったら改めて一報を入れると書き記した。

「これで良いかな」

「確認しても?」

「うお」

 びっくりしたー。

 ナディアがテントの入り口に立っていた。そうでしたね。検閲の時間です。私は笑いながら、座ったままで手紙を渡した。別に、それ自体に憂いはない。しかし。

「毎回、気を悪くしてるみたいだから、心配なんだけど」

 私の言葉にナディアが短く此方に視線を向けた。何だか怖かったので、慌てて言葉を付け足す。

「いや、チェックされることは全然、いいんだよ。ただそれでいつもナディアが不機嫌になるのが可哀想で……うーん、私が悪い、のかもしれないけど」

 段々と尻すぼみになる。ナディアはじっと私を見つめた後、特に何も言わずにそのままヘレナ宛ての手紙へと視線を戻してしまった。

 短い手紙だからすぐにチェックは終わり、無言で返してくる。私はそれを受け取りながらも、重い沈黙に緊張して、びくびくしていた。

「……確認も不機嫌も、どちらも私の我儘だわ」

 怒られるか思っていたのに、落とされたナディアの声は優しかった。彼女の手が柔らかく私の頭を撫でる。

「いつも当たってごめんなさい。あなたのせいじゃないの」

「え、ううん、私は別に……」

 当たられていたのか。そういうことなら別にいいや。女の子の心を守る為のサンドバッグになれるならそんなに光栄なことは無い。自分がナディアを傷付けているのだと思って、悲しかっただけだ。

 撫でてもらえたのが嬉しかったから調子に乗って目の前の腰に腕を回し、身体を引き寄せる。

 唐突にホールドされたナディアはバランスを崩したが、慌てて私の肩に両手を置いて倒れ込まないようにと踏み留まった。私のお膝にそのまま座ってくれても大歓迎だったけどね。

 じっと下から見つめると、ナディアはやや困った顔をした。可愛い。呆れられるか眉を顰められるかと思ったのにそういう色は無くて。猫耳を後ろに向けながら背後を気にしたナディアは、身を屈めて私の頬に口付けを一つ落とした。わーい。サービスだああぁぁ。

 更に調子に乗って腰を抱く力をぎゅうと強める。そうすると流石にナディアの目にも呆れた色が宿った。でも文句を言われることは特に無くて、そのまま唇にもキスをくれた。嬉しい~。

 ただし本当に軽く触れる程度で、素早く離れてしまう。

「早く手紙を出して戻って。下拵えはほとんど終わってるの」

「ありゃ。了解です」

 頻りに背後を気にするのもそのせいか。まだかな~と焦れた子達が覗きに来ないか不安だったんだね。沢山サービスしてもらっちゃったので、これ以上は困らせまいと腰を解放した。

 すぐさま背を向けたナディアの尻尾は、コントロールが利かなかったのか勢いよく私の顔をもさぁっと撫でる。ふわぁ……幸せ。尻尾は驚いた様子でピャッと素早く離れちゃったけど、それすらも可愛いから良し。

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