第656話

 ちなみにデオンは本当についさっき、具体的には二時間くらい前にジオレンに帰ったばかりだったらしく、ここ数日の騒動は先程ギルドから初めて聞いたと言う。

「アキラ達は、何も無かったか?」

「私は平気。でも女の子達が、たまたま私が不在だった間に怖い目に遭ってさぁ」

 デオンがぎゅっと眉を寄せたから、慌てて「警備の人がすぐに助けてくれて、無事だよ」と付け足した。正確にはカンナが守ってくれて、私も遅ればせながら駆け付け、最後に警備兵が事態を収束してくれたという状況だが、前半は端折る。話すのが面倒だった。

「大事が無くて何よりだ。今後はしばらく、私も街の警備に回ることになった。恐ろしい思いをさせることが二度と無いように尽力するよ」

「そうなの? デオンが警備してくれるなら、ずっと安心できるよ、ありがとう」

 正義感もあるし紳士的だし、何より強い。

 勿論ジオレンは大きな街だから、私の女の子達に何かあった時に即座にデオンが反応できるとは思っていない。それでも、安心材料は多いほどに良いのだ。

「……とは言え、アキラが傍に居る限り、危機に陥るとは思えないが」

「ま、それはそうなんだけど。残念なことに四六時中は付いていられないんだ。女の子達にストーカー扱いされるからさ」

「ははは、なるほど。確かにレディにはレディの時間が必要だからな、大変だ」

 流石は元貴族の紳士様。女性らの複雑な事情は分かっていただけるようだ。今の発言でやや私が『女性』の枠から外れたが、話がしやすくなるのでそれでいいのです。

 その後は短く雑談をしただけで、デオンとは早めに別れた。帰ったばかりなら、早めに家で休んでほしいのでね。警備に出るのは明日からだそうです。特に今日はゆっくりしてほしいね。

 北側の市場も見て回り、あちこちで聞き耳を立てつつ、色々と歩いてみたが。何処も大した揉め事は無さそうだった。警備役の冒険者が『警備』の腕章を着けていることが、きちんと牽制になっているのかもしれないな。一緒に来ていたラターシャも同じ印象を受けたらしく、「落ち着いてる感じだね」と呟く。

「ね。そう見えるね。一旦戻って、またみんなと相談しよっか」

 二人が頷いてくれたので、帰路に就くことにした。

 帰り道、ついでにデオンが預けてくれたらしい魔物素材をギルド支部へと取りに行った。幸いお届けはまだ出ていなかったみたいで、行き違いにならずに済んだ。

 ちなみにヘレナは今日も受付台に居たが、軽く会釈だけで特に会話は無し。他の職員に受け付けてもらいました。

 私達がジオレンに戻ったのは、日が暮れる少し前の時間。

 落ち着いている様子だということを、私とラターシャがそれぞれの言葉で告げる。私だけじゃなくてラターシャの印象でもそうだってことは肝要だ。女の子達の表情にも安堵の色が浮かぶ。

「それで、この村でのあなたの残りの作業は? 私達も、まだ全ての彫刻板は仕上げられていないけれど」

「大きなものは私の家の木風呂だけだね。ちょっとギミックを入れようとしたら時間が掛かっちゃったけど、あと一日くらいで終わりそう」

 照明とか、お風呂の水の温め魔道具は後付けで大丈夫。その他の、私が製作するって決まっていた部分は全部作り終えて、設置済みです。ちょっとした調整はルフィナ達に任せて良さそうだった。

「なら、それが終わってからジオレンに戻るのでいいんじゃないかな?」

「そうしよっか」

 と言うわけで、明日一日ものんびり滞在の後、明後日の朝食後、ジオレンに戻る計画とした。女の子達も了承の意味で頷いてくれる。

「あ、カンナ。デオンのことなんだけどさ」

 話がひと段落したところで、テーブルに着いた私は彼女を振り返って告げる。首を傾けた彼女に、傍の椅子を勧めた。座ってお話しよう。その間ラターシャが他の女の子達に、先程デオンと偶然出会い、カンナを紹介したことを説明してくれていた。いつもの報告会だ。

 しかしそんな女の子達の準備が整わぬ内から本題をぶっ込むのが私である。

「――私がデオンと会う時は、彼の動きを『警戒』しておいてくれない?」

 瞬間、その場の空気が凍って、女の子達が固まった。「え?」と最初に声を漏らしたのは、彼を最も快く思っていなかったはずのリコットで。疑問を明確に口にしたのはラターシャだった。

「デオンさんが、どうかしたの?」

 不安そうな声だ。でも、ちょっと説明が難しい。私は首を捻る。

「勿論、デオンは敵でも何でもないし、彼が私を攻撃するようなことは無いよ」

 女の子達を誤魔化す為じゃなくて、本当にそう思っている。この場の誰もが、そう思っているだろう。だからこそ私のさっきの『指示』が不自然で不可解なのだ。

「でもこの世界で出会った人の中で、おそらく彼だけが唯一、

 不安な気持ちにさせたいわけじゃない。

 しかしこれ以外に説明のしようがなかった。女の子達の表情はやや青ざめて、緊張を深め、戸惑いを濃くする。

「強さじゃない。強さって意味で言えば、ケイトラントの方がよっぽど強い」

 まだデオンの全力は見ていないが、魔法の練度の低さは知っているし、ステータスを見る限り魔法防御力も高くない。私が魔法で攻撃した時に防ぐ手立ては無いだろう。残るは剣の腕や身体能力になるが、物理的な攻撃力と防御力も目を見張るような数値はしていなかった。ケイトラントと比べてしまえばその差も明らかだ。

「だけどデオンには『殺気』がまるで無いんだ。実際に人を殺す瞬間にもそれが無くて、前動作もほとんど無かった」

 彼がいつ、ホセの身体を貫けるだけ剣を引いたのか。あの時の私には分からなかった。

 突き刺しているんだから事実、引いていたはずだ。だけどその『引く』という動作が突き刺す為のものであると感じさせない、日常の一コマのような自然さ。異様なほどの『自然さ』だ。

「あれは、何だろうね。生来のものかな……」

 殺そうとしている相手に対して殺意を抱かないような矛盾。どうしてあんなことが出来るのか全く理解が及ばない。正しく感情を持っている限り、敵に対して何も『気』を向けないなんてこと、出来るはずがないのに。

 彼がホセを殺す瞬間、私は一切、気の動きを察知できていなかった。あろうことかあの時、デオンが私の手を握ることすら許してしまったのだ。もし彼が敵であったならあの瞬間にもう私は死んでいた。

 敵意が無かったから反応できなかっただけだと、その瞬間はそう思った。だけどデオンは私に触れる時と同じくらい敵意も殺意も無いままで、ホセの心臓を貫いた。

 あの恐怖を、私はまだ忘れられない。

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