第651話

「私も、風邪は引いたこと無いと思うなぁ」

 昨夜の話をルーイとラターシャに共有したところ、ラターシャのこの発言である。私とルーイは声を揃えて「すごいね」と返す。この子は周りが心配するほど薄着なのに、それでも風邪を全く引かないってことは本当に身体が丈夫なんだな。でも薄着はやめてね。

「ルーイは少し身体が弱いんだって? ここ最近は、しんどい日は無かったのかな」

「うん、前はよく風邪引いちゃってた。でもアキラちゃんと過ごしてからは、……うーん。最初の数日以外は大丈夫」

「最初はしんどかったかぁ」

 出会ってすぐの頃なんて特に注視していたつもりだったのに、全く気付いてあげられなかった。悲しい気持ち。

「一人で我慢したの? お姉ちゃん達には言った?」

 蒸し返してもますます自分が悲しくなるだけだと分かっているが、当時のルーイの頑張りを思うと遣る瀬無い。熱心に問う私を見て、何故だかルーイはくすくすと笑う。

「そんなにひどい感じじゃなかったよ、寝不足だっただけ」

「馬車では少し眠ってたよね」

「うん」

 街の外を移動中、私は馭者だから馬車内のみんなの状態をあんまり観察できないけど。ラターシャはその時のルーイの様子もよく知っているようだ。その彼女が当時を語る時に表情を曇らせていないなら、酷く苦しんでいたわけじゃないのは本当であるらしい。

 私がルーイと出会った時、時刻はすっかりと深夜だった。あんな時間から三姉妹を巻き込んで騒ぎを起こした私は、翌日も早朝に訪れた。その時点で間違いなく寝不足だ。幼い身体にさせるべき無茶ではない。

 以降も、ローランベルの街を出るまでは組織の残党が来るかもしれないという不安や、唐突な環境変化によってルーイは上手く眠れなかったと言う。もしかしたらナディアとリコットもそうだったのかもな。私には言わないだけで。

 でも馬車内でナディアやリコットのお膝を借りて眠るなどしてゆっくり過ごしたら、移動中にも拘らず体調は回復して、しんどいのはすっかり無くなったとのこと。ローランベルから離れるほど安心感が増した影響もあるかも。なんにせよ良かった。ルーイの切ない我慢がなくて良かった。

「これからも、しんどい日は何にも我慢しなくていいからね」

「ふふ、分かってるよ」

 心配性な私をルーイが笑っている。この子は女の子達の中で一番の甘え上手だから、しっかり甘えてくれるだろう。それに、もしルーイが熱を出したり不調で倒れたりした場合、女の子達は全員泣き出しそうな顔で心配するに違いない。私のように倒れる度に溜息を吐かれる人とは違う……いや、えっと、リコットはちゃんと心配してくれているらしいが。何にせよそのような事態を引き起こさない為にも、無茶はしないでくれるはず。

「……前はね」

 ぽつりと呟かれた声は何処か弱くて、口元に淡い笑みを浮かべてはいたものの、ルーイは視線を落として眉を下げた。

「しんどくても休めないって思うから、余計に辛くて、しんどかったの」

 辛い状態が短い期間に限られていると知っていれば、『それまで頑張れば休める』という思いで踏ん張ることも出来るかもしれない。だけどルーイ達に自由な休みは認められていなかった。最低限の睡眠時間さえ与えられず、地獄がいつ終わるかも分からず。ともすれば終わりは『死』でしかないとまで思っていたのなら。……ほんの少しの不調すら、心の中におりとして溜まり、心も身体も重たくなっただろう。今ルーイの言う「しんどい」にはそんな精神的な意味も、多分に含まれていると思った。

「だけど今は、眠かったら沢山眠ってもいいし、しんどい日は甘えたら、休んでいいって分かる。それだけでね、大丈夫なんだよ」

 顔を上げたルーイは嬉しそうに笑っていた。ただ『しんどい時に休める』ってだけの環境が、たった十二歳のこの子にとってどれだけの救いで。今までに、どれだけ辛い思いを飲み込んできたんだろう。泣きたくなった。思いのままにぎゅって抱き締めたら、ルーイがくすくすと笑う。

「アキラちゃんも……」

「うん?」

 私の腕の中でルーイが何かを言った。くぐもって聞き取れなくて腕を緩めたが、ルーイは眉を下げて笑うと「何でもない」って言う。『嘘』とは出たんだが。うーん。うーん。

 困った顔をする私にもまた笑って、今度はルーイの方から私に抱き付いてきた。誤魔化されているのは分かる。でも、天使がぎゅっとしてくれるのは嬉しくて振り払うなど出来るわけもない。抱き返して、小さい頭をゆっくりと撫でた。


 お昼になると大人組が起きてきて、三者三様に私の顔を見つめてきた。

 真っ先に来たのがカンナで、喉や耳周りを触って確認された。理由はなんであれ、女の子に触られるのが大好き。ニコニコしていたら、横で見ていたラターシャが呆れた顔をしていた。

 次に来たリコットは、私の前に立つなりぺしっと頬に手を当て、「よし」だけ言って立ち去った。早かった。

 意外と長かったのが、最後に来たナディアだ。無言で近くに立ち、手を伸ばしてくるでもなく、何を問い掛けるでもなくじっと私を見ていた。

「あの、もう大丈夫、です……」

 視線に耐え兼ねた私が訴えても眉を顰めるだけ。何のお返事も無い。観察はその後もしばらく続いた。そういえばナディアは目が悪いので、しっかり見ないと分からないのかも。そういう事情を加味してじっと我慢を続けたが――ナディアは気が済んだら、無言でスッと離れて行った。リコットみたいに「よし」とかだけでも良いから何か言ってよ。切ない気持ちで離れて行く背を見守った。

 しかし落ち込んでもナディアに呆れた目を向けられるだけだ。気持ちを切り替えることにして、私は太腿をポンと一つ叩く。

「そろそろご飯だね! 今日は何が良いかなー?」

「おすわり」

「あっ、えっ、ハイ……」

 お昼ごはん作るぞー! って立ち上がったら座れと仰せです。すとんと椅子に座り直す。昨夜「少なくとも朝食までは」と言っていたので昼からは作らせてもらえるつもりだったのに。少なくなかった。

 大人しく座った私をみんなは一瞥して、揃って背を向けてしまう。

「カンナはそのままアキラちゃん見てて」

「はい」

 一瞬だけ此方を振り返ったリコットは、唯一傍に残っていたカンナにそう告げただけで、私にはもう視線もくれない。

「今日は何にしよっか。パスタかパンを……」

「アキラちゃん多分もう沢山食べるから、両方あった方が良いかも」

「確かに」

 そわそわ。献立のお話し合いくらいは参加できぬものだろうか。でも女の子達は話しながら食材の方に歩いて行ってしまって遠ざかる。ああ……。そわ、そわ……。

「アキラ様、お茶をお淹れ致しますか?」

「あ、うん、欲しい」

 私を気遣ってか、カンナがそう声を掛けてくれたので頷いた。手持無沙汰だったので助かります。若干浮かせていた腰を改めて下ろし、座り直した。

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