第634話
ナディアがテントに入ると、既にリコットはシーツの上からベッドに突っ伏していた。顔は全く見えない。
「泣いているの?」
「……泣いてはいない」
返った声も涙に濡れているようではない。ただ、疲れ果てているかのように、弱かった。寝そべる彼女の傍にナディアも座り、その背中を撫でる。僅かに身体を強張らせた後で、リコットはゆっくりと力を抜いて、溜息を一つ。
「一生、伝わる気がしない」
「なに?」
「アキラちゃん」
原因がその人にあることはナディアも察していたのだろうけれど、それだけで区切られてしまうとやはり何も分からない。ただのんびりと背を撫でながら、続きを待った。しばしの沈黙を挟んでから、またリコットが疲れた声を零す。
「私、もう三回くらい同じこと言ってるのに。……大体、ナディ姉が自分を軽く考えることはちゃんと見えてるくせに、何なのあれ」
「今もしかして私も一緒に言われているわね?」
思わぬ流れ弾にナディアは少し返答に困ったが。主な矛先がアキラであることは間違いない。気にはなるものの一旦その思いを横に避けた。
「だから、アキラに腹が立ったの?」
「分かんない」
応じるリコットの声が、徐々に小さな子供が拗ねるようなものになっていく。愛らしくて思わずナディアの目尻は下がった。ただし自身の声も徐々に甘やかす親のようになっていることは気付いていない。
「アキラちゃんは、私達の言葉を無視しようとしてるわけじゃない。ただ、伝わらないの。それが何か、……わかんない。『悲しい』に近い」
「そう」
今リコットの中にあるのは悲しみだと言われてしまえば、愚図るような声もただ泣き出しそうなものに聞こえる。流石にそれを愛らしいと笑う気になれず、ナディアも眉を下げた。
「以前は、何て伝えたの?」
「まだアキラちゃんのあのよく分かんないとこ何にも知らないで、『私達の愛情も受け取って』って言った」
アンネスで、アキラが寝込んだ夜のことだ。
傍に付くことを唯一許されたリコットは、愛情を掛けるばかりで体調不良でも全く頼ろうとしないアキラに、そのように言った。あの時は容易く伝わると思っていた。
けれどそう告げた後も、魔法を使う反動についてアキラがずっと隠していたと知った時。みんなの目の前でリコットは「何にも伝わってない」と、思わず叫んだ。
「あれは、そういう流れだったのね」
今更ナディアもあの日を思い出して納得したように頷く。
「そういえば、あの時あなたはしばらくアキラを避けていたわね」
当時ナディアもそのことには気付いていたが、何も言わなかった。二人の仲を取り持つ気が全く無かった為に、放置していたのだ。例えばルーイやラターシャとリコットが仲違いしたなら手を尽くしただろうが、いっそリコットにはアキラを嫌ってほしかったのかもしれない。勿論、傍に居ることが苦痛なほどの嫌悪になればアキラの傍から共に離れる必要が出てくるので、もう少し緩い意味で。
「私が怒ってるのは気付いてたみたいなの。二人になった時に悲しい顔して『どうしたら嫌わないでくれる』みたいなこと聞いてきて」
「……ばかな人ね」
呆れたようにナディアも溜息を吐く。容易に想像できる、アキラらしい発言だ。
結局リコットはその時、間を取るつもりで
「でも、伝わんないんだよね」
アキラは鈍い人ではない。人をよく見ているし、指摘は鋭いし、先日もナディアのことでモヤモヤしていた気持ちを丁寧に解いてくれたのがアキラだ。だからこそリコットは、伝わると信じた。しかし、結果はこれだ。
ひどく、遣る瀬無い思いをリコットは抱えていた。
「……私らが普段ちょっと雑に扱うせい? 私達が本気でアキラちゃんのことどうでもいいって思ってると思ってるのかな?」
「どうかしら」
雑に扱っているという点は否定できない。だが時折アキラは彼女らに『心配を掛けたくない』という言動をする。本当に自らが取るに足らない存在だと思われているつもりなら、その考えも浮かばないはずだ。
「結構、私は愛情表現してるつもりだけどなぁ」
「してるわよ、過剰なくらい。……だから問題があるのはやっぱりアキラ側でしょう」
ナディアのその言葉に、改めてリコットは長い長い溜息を零す。小さく唸り声も上げていて、それを慰めるようにナディアがまた背中を撫でた。
「今日アキラちゃんと寝よっかな。気が紛れるような気がする」
「……何の解決にもならないわ」
「そうなんだけど。解決できる気がしない。私はもう、途方に暮れてる」
他の子達よりも繰り返し伝えようとしてきたリコットだからこそ、今回のことで打ちひしがれてしまっている。不憫な思いになり、ナディアは可愛い妹分の背中を撫で続ける。
「繰り返し伝えていくしかないと思うわよ。小さな子供にするみたいに。だけどアキラは小さな子供じゃないから、すぐに癖が治らないの」
「最悪」
「ふふ」
唸るように返したリコットの言葉に思わずナディアが笑うと、リコットもうつ伏せのままで少し笑い声を漏らした。
「ちょっとだけ
「そう」
まだ気持ちは元通りになっていない様子だが、少しだけ寝ればいつも通りになれると思っての言葉だ。ナディアは深く聞かずとも察して、短い相槌で立ち上がる。
するとリコットが小さく「聞いてくれてありがと」と呟いた。ナディアは何も言わずに、彼女の頭を撫でて応える。
「何かあれば呼びなさいね、近くに居るから」
「うん」
テントの中で唸る程度の声であっても、ナディアはきっと駆け付けてくれるのだろう。そんな想像にリコットはまた少し笑い、一度起き上がる。仮眠の為に、着替えるらしい。彼女がベッドの上で服を脱ぎ始めたのを横目に、ナディアはテントを出た。
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