第633話

 しかし『大丈夫だろう』という予想だけでは流石に不安だよね。そう思い立った私は軽い気持ちで、この後、色んな地雷を踏み抜くのである。

「やってみよっか。ナディの杖、ちょっと貸してよ」

「嫌」

「えっ」

 あまりにも鮮やかな即答で拒絶され、驚いて振り返る。するとナディアは断ったものの収納空間を開いて杖を出した。あら、猫ちゃんだから口では断りつつも結局は貸してくれるのかなと、おめでたい頭でそんなことを考えたが。彼女はそのままそれを自らの腕に装着した。

「自分で試すわ」

「ばっ、だっ! やめ!!」

 彼女の言葉にひゅっと息を呑み、杖を着けたナディアの手を大慌てで掴む。そして逆の腕で彼女の身体をぎゅっと抱き締めた。頭が真っ白になって、変な汗が大量に出てくる。ドッドッドッと激しく鼓動する私の心音はきっとナディアにも聞こえているだろう。ナディアは私の腕の中で、小さな溜息を零した。

「そういうことよ」

「へ……」

「あなたが今『駄目だ』と思ったのと同じ気持ちが、私にもあるの」

 彼女の声には確かな怒りが籠っていた。緩んだ腕の中から、強くナディアが私を睨み付けている。

「離して」

「い、嫌です」

 もう怖くて無理だった。泣き出しそうな思いで告げるが、またナディアは溜息を吐く。

「手で直には触らないわ。あなたも言っていたでしょ。身体と繋がっている限り、『髪』も燃えないのだって」

「……あ、そ、そっか」

 そうだった。髪で試せばいいんだ。ナディアは特に髪が長いから、万が一燃え移ってもすぐに消火すれば顔や頭にまで燃え上がることは無いだろう。

「待って、み、水を、用意する」

「ええ」

 私の魔法で消火するのが一番早いとは思うけど、今の心理状態では咄嗟に出せるかどうか分からない。事前に用意するのが一番だ。まだ心臓は落ち着かなくて、水の入ったコップを持つ自分の手が微かに震えているのを感じていた。

 ナディアはそんな私を一瞥してから改めて杖を着けた手を前に出し、熱の鎖鞭を出現させる。無駄のない綺麗な発動だ。彼女の魔法の練度は日々、上達しているのが見て取れる。だけどそれに感心したのも束の間。彼女が身体を屈めるとぎゅっと心臓が強張って緊張した。ナディアが髪をひと房だけ掴み、それを鎖鞭に触れさせる。

「……燃えないわね」

 髪は確かに鎖鞭に触れ、その表面を撫でるように揺れている。しかし、燃え尽きる気配は無い。

 しっかりと確認の後、ナディアが手でも触れた。ヒヤッとするが、当然、何とも無かったみたいで。ナディアの手が鎖鞭を持ち上げたり揺らしたりしていた。

「間違いなく、大丈夫ね。自分が怪我をしないのは便利だわ」

 冷静な声でナディアはそう言うと、すぐに鎖鞭を消し、杖も収納空間へと片付けていた。そして、呆然と様子を見守ったまま立ち尽くしている私に向き直り、コップを持っている手を、両手で包み込んでくる。

「私達を大切にするように、もう少し自分の身体も大切にできない? 見ていて気分が良くないわ」

「……はい、ごめんなさい」

 大丈夫だろうと思っていたから自分が試すと言ったのであって、痛い思いをしたいとか、痛いのが平気だとは思わない。だけど万が一の万が一を考えたら、ナディアじゃなくて自分が良かった。しかしそういうことも含めて「気分が良くない」と言われたのも、今は分かる。

 リコットがナディアに対し、ナディアの献身を怖くて悲しいと思ったことと、流石に二人の絆を思えば同じではないと思う。だけど似たように、私のことも心配しているって言ってくれているのだ。

 馭者台のことでも、怒られたばかりなんだよな。自分があんまり優しい人間じゃないだけに、女の子達の心優しさをいつも見誤る。

「――リコット、どうしたの、大丈夫? 目が痛いの?」

 ふと、そんな声が私達の間に入り込み、ナディアと同時に振り返った。

 私達の視線の先で、リコットが目元を押さえている。何か様子が変であることはすぐに分かった。ナディアがぱっと私の手を放してリコットの方へ駆け寄っていく。私は唐突に解放された勢いで水を零しまして初動が遅れました。冷たい……色んな意味で。いや今はリコットが優先です。

「リコット?」

「いや、大丈夫、目とかそういうんじゃない」

 遅れて駆け寄ったがそう答えるのが聞こえて、『本当』のタグが見える。だけど彼女は手を目元から離したものの、顔は上げなかった。

「具合が悪いのかな、リコ、頭が痛いとか?」

 私も同様に問い掛けるけれど、彼女はそのままで首を振る。言葉での否定をしてくれなかったので、タグが出ない。ちらりとカンナを見れば、「体温なども正常に見えます」と言った。いや、そっか、うん、私も測定すれば良かったんだ。動揺してしまっている。

「ごめん、アキラちゃん」

「うん?」

 呼ばれたので、出来得る限りの優しい声で返事をする。でもまだリコットは俯いたままで、表情が分からない。

「ちょっと休む、これ、このまま置いといて」

 彼女の指した『これ』は、半端に彫った彫刻板だ。私が了承したら、リコットは誰にも顔を向けないまま立ち上がって、テントの方に行ってしまった。

「……私が様子を見てくるから、みんなは心配しないで」

 一拍後。ナディアはそう言うと、追うように同じテントに入った。リコットのことならまずはナディアに任せるのが一番なのは分かるし、可愛いリコットを守る為なら私だろうと誰だろうと助けを求めてくれると思う。でも、心配な気持ちが消せなくて呆然とテントを見つめ続ける。

「多分、体調じゃないから、お姉ちゃんに任せて平気だと思う」

 そんな私を見兼ねてか、ルーイが淡々とそう言った。

 ええと、体調じゃないってことは、気持ちの問題か? そういうことであれば、確かにナディアが適任なのだろう。けど一体どうして、そんなことに。

 ……ちょっと、流れ的に嫌な予感はします。ラターシャがちらりと私を見た。酷く、居心地が悪かった。

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