第632話

 少し俯き加減になったカンナを見て、リコットが慌てて声を掛ける。困らせてしまったのではないかと焦ったらしい。

「ごめん、言えないこと?」

 申し訳なさそうに言う彼女にカンナはちょっと驚いた様子で、ぱちりと瞬きを一つ。

「……いいえ。貴族の間では常識ですし、お伝えしてお咎めがあるということはありません」

 そうは言うものの、カンナはやはり何処か迷った様子を挟んでから、ゆっくりと口を開いた。

「王宮に立ち入る際には、魔力封印の腕輪を付けることが義務付けられています」

 んー。なるほど。アーモスが私にした『無礼』を思い出させる内容だから、言い渋ったんだね。私は小さく笑って、何も言わなかった。一瞬だけ私を窺うように視線を寄越したカンナは私が気分を害さなかったことに安堵したのか、話を続ける。

「以前、アキラ様はご覧になったかと思いますが。侍女の私室が集まった棟など、従業員の居住域は王宮から少し離れたところにございます。そちらは例外となっており、腕輪を着用する必要はございません」

 そうして居住域と王宮が離されていることには、魔法の禁止区域とそうでない区域を分ける意図もあるのだそうだ。勿論、意図はもっと多くあるのだろうけれど、その内の一つってことだね。

「っていうか、魔力封印の腕輪ってそんなに沢山あるんだね。高いんじゃないの?」

「我が伯爵家で利用していたものは、一つで大銀貨二枚でした。王宮のものは複雑な意匠もございましたので、更に高価であると存じます」

 うーん。貴族の感覚なら、安いのかな。女の子達が微妙な顔で押し黙っているのも可愛くてちょっと笑ってしまう。

 百人分で、金貨が二十枚。日本円にすると二千万円くらいか。王宮で使われているものなら更に掛かるとなると……。いや、でもまあ聞く限りは必要経費だな、仕方ないんだろう。

「つまり貴族のお屋敷なんかだと、当たり前にそういうシステムがあるんだね」

「はい。やはり危険物を持ち込まれてしまうと、大事おおごとですので」

 そりゃそうだな。ナイフならまだしも、毒や爆発物だったとしたら、素人でもかなりの高確率で対象を殺せてしまう。

 あと何となく察したけど、『腕輪』と言うのは外聞を思って呼ばれている、もしくは此処のみんなを気遣ってカンナが意図的に柔らかく表現しただけで、実際は『枷』だと思う。つまり、鍵が掛かっていて勝手に外せる仕組みではないものじゃないかなと思った。

 だってチェックされる場所でだけ着けて、中に入ってから外したら意味がないでしょ。王宮に出入りする前に担当者にガシャっと掛けられ、出る時に外してもらうって流れじゃないかな。多分ね。

「それじゃあカンナがお茶を淹れる時、王宮だと」

「はい。魔法は扱えませんので、温度などは道具で測っておりました」

 測定魔法が使えるのにそれはちょっと不便だねぇ。とは言え、お茶を淹れる時に魔法を使えるようにしちゃったら、悪いことを考える人にとってはそれこそ都合が良すぎる。どうしても仕方ないんだなぁ。

 ちなみに私との夜を過ごす時もカンナは魔力封印のアンクレットを着けていた。『救世主』と寝るから、抵抗の意志なしってつもりなのかなと思ったが、あれも王宮内だった為か。足の方だったのは行為の最中に私に当たらないようにかな。変な気の遣い方をされていたことに今更、何か、うん……まあいいや。

「例外もございます。王家の方々が着用されることはございませんし、魔術師様も、必要に応じて監視下で外されます」

 さもありなん。王様達は自らの身を守る為にむしろ必要だろうな。そして魔術師は魔力が封印されていたら何の役にも立たないのでどうしようもない。王宮の安全を確保しつつ有能な魔術師の力も存分に生かしたいという矛盾を抱えて、王宮も色々と工夫を凝らしているらしい。大変だねぇ。

 なお、この会話をしながらも私は鎖鞭おもちゃ用に木製のまとを作っていた。

 私の身長位の棒の一番上、中腹、足元の三つに的を作って、簡単には倒れないようにする。うむ。

 みんなの話題がカンナの王宮生活に移っていくのを横目に、そっとその場から離れて的を設置した。振り回しても他の何にも当たらないように、広い場所が良いよね。

「ナディ、あっちの方に的を置いたから、遊びたかったら好きにしてね」

「ええ。……扱いは、あなたも分からないわよね」

「うーん」

 そうだね、鎖鞭については、先生が居ないんだよな。何となく身体で覚えてもらうしかない。そう思いつつも、何かお手伝いくらいは、したいよな。分かることくらいは、伝えておくか。頭の中で鎖鞭を扱う想像をしてみる。

「一度当てるだけなら、長い棒で的を叩くのと同じ感覚だよ。鎖鞭なら遅れて当たるだけ。途中で動きを変えるとなると、当然、もっと複雑になるけど」

 ふむ。言いながらナディアを「ちょっとおいで」と促して的の近くに移動した。言葉での説明には限界があります。ナディアも既に首を傾げていたからね。

 的に向かって並んで立ちながら、鎖鞭のおもちゃを借りて私が装着する。危なくないように、一歩離れて下さいね。

「えーい」

 間抜けな掛け声で、まず、一番上の的を打った。

 さっき言った通り、鞭を棒のようにぶーんと大きく回した状態。

「こうやって当てる場合と、こうっ、やって、叩くとか」

 素早く腕を前に出した後、再び引く。私の手の軌道を真似した鞭の先がしなって、再び的を叩く。

「後は、鞭の先じゃなくて真ん中で的を叩いて、引っ張ると多分、ぐるっと巻き付いて捕まえられる、かな? とりゃっ」

 巻き付く瞬間を見計らってぐっと引けば、固定――できないわ。巻き付いたそれは的の周囲を撫でて私の元に戻ってきた。

「うん、この辺は分かんないや」

「……思った以上に自在に動かすから、出来るのかと思ったわ」

「はは。私も初めて触ったから無理だった~」

 流石に鞭も鎖鞭も扱ったことは無いよぉ。乗馬用の鞭は形状も違うし、そもそも巻き付ける用途は無い。

「何より、これはおもちゃだし、巻き付ける方は特に本物と動きが違うかも」

「それもそうね」

 つまり巻き付ける技をこのおもちゃで練習しても、全く意味が無い可能性がある。練習するとしたら実際に熱の鎖鞭を使ってやった方が良いね。一旦この的当てが上達して、ある程度自在に操れるようになってから。更に的は今のものと違って、燃え尽きないような工夫が必要になる。

「それから鎖を自分の手で持つと、また軌道が変わるし、短くも出来るよね」

「本物だと、熱いのではない?」

 妥当すぎる指摘だが、私は軽く首を傾ける。どうだろう。

「いや、大丈夫じゃないかなぁ、自分だけは」

「……あれも、『自分の魔法』として判断されるなら、ということ?」

「うん」

 魔法の杖が媒介になっているものの、別の魔力になるわけじゃないからねぇ。結局は自分が作った炎と同じなんじゃないかなと思った。

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