第623話

 改めて聞いたところ、カンナが七歳の頃に一度だけ二人は会ったことがあるそうだ。

「大人しくて利発なご令嬢でした。最初はお人形のようにじっとしていらしたのですが、伯爵から挨拶しなさいと言われるなり、綺麗にカーテシーしてお話しして下さったのです。本当に愛らしくてなりませんでした」

 当時モニカの御子息はまだ二歳で、とても手が掛かるやんちゃな子だったそうだから、比べて余計にカンナがお利口に見えたそうだ。カンナくらいの年になったら自分の息子も同じくらい賢くしっかりした子になってくれるだろうかと、お父さんやご主人とも話したと言う。

「でもあなたはまだ幼かったから、私のことはよく覚えていらっしゃらないわね」

「いえ」

 この時ふと、何故だろう、カンナの様子がおかしいと感じた。

 いつも通りに背筋をピンと伸ばし、表情も変わらず、声も冷静だったのに。それにはやけに温度があって強い感情が含まれているような気がしたのだ。それとなく、隣のカンナを窺う。

「私のまだまだ頼りなかったご挨拶を、頻りに褒めて下さいました。……はっきりと、覚えております」

 やはり気のせいではない。今、カンナは酷く感情的になっている。確信と同時に、その理由もよく分かってしまった。

「……申し訳ございません」

 少し俯いて、カンナがぽつりと呟く。モニカはきょとんとして首を傾けた。

「三年前、アグレル侯爵家の不正を暴いたと、広く伝えられた時。……そんなことがあるものかと、憤りを感じました」

 声も表情もいつものカンナのままで、微かに身体を震わせた彼女は、目から涙を幾つも零した。モニカが目を見開く。

 すぐに背を撫でて慰めたかった。でも多分カンナはまだ話したいと思ったから、触れるのは止めておいた。

「即刻、兵をあげてアグレル侯爵領に入るべきだと、姉達と共に父へ掛け合いました。もう誰もそこに居ないのだとしても。アグレル侯爵邸をフォスター家から取り戻さなければならないと思いました」

 想像以上に過激な行動に出ようとしていて、ちょっとびっくりしたな。基本カンナは大人しい印象を受けるものの、言動が時々こっち方面に行く。……この子が武術に長けていることも含めて考えれば、もしかしてオドラン伯爵家って武闘派か?

「……伯爵はそれを、許可なさらなかったのですね」

「はい」

 カンナが唇を噛み締めた。流れる涙を堪えようとしたようにも見えたし、当時の悔しさを思い出してしまったようにも見えた。しかしモニカはその結果を当然のことだとでも言うように、ゆっくりと頷く。

「もしそれが、我が侯爵家に手が伸びる前、『予兆』を感じた時点のことであれば。きっと伯爵も支援を検討されたことでしょう。しかし当時、報せがあった時には全てが終わっていたはず。その状態での出兵はリスクが高すぎます」

 モニカの言葉に、カンナは再び「はい」と応えた。声は涙で掠れていた。カンナは聡明だから。きっと最初からそんなことは分かっていて。だけど納得できない心が飲み込み切れなかったんだ。

「それでも当時のことは、王家だけでなく、全ての貴族があがなうべき罪でした」

 こんなにも悔しげに震えるカンナの声は初めて聞いた。涙のせいで色が変わって、余計にそのように響いているのかもしれない。

「アグレル侯爵家跡に建設されるという慰霊碑について、オドラン伯爵家も費用を負担させて頂けるよう申し出ております。他にも同様の声が複数の家から上がっているとのことです」

 ほー。なるほど。

 ちょっと気分が良いね。何故なら王様にとって立つ瀬のない声だと思うから。

 こんなにもアグレル侯爵家を思い、当時を憂い、後悔していた『真っ当な』家が沢山あって、自分達がそれを不当に抑え込んでいたんだって、王様は突き付けられている。

「他家の詳細は存じませんが、オドラン伯爵家は今後、モニカ様を含めアグレル侯爵家で被害に遭われた全ての方に対し、如何なる支援も惜しみません。そのように、父から言付かりました。何かございましたらいつでも私にお申し付け下さい」

「オドラン卿が……さようですか」

 いつの間に。と思ったけど。手紙のやり取りは許していたし、モニカが救世主わたしの臣下になっていることは、私の存在を知る者には伝えていいことになっていた。カンナのお父さんに伝えちゃいけない内容ってなると、王妃の治癒をしたこととかかな。あれは箝口令かんこうれいが敷かれているのでカンナも伝えていないと思う。

 さておき、この件はもしかしたらこの村への支援をしたかったから、モニカに直接会える可能性があるとお父さんに伝え、この言葉をもぎ取ってきたとも考えられる。

「お話して下さって、ありがとうございます」

 少しの沈黙の後、モニカがそう言ってカンナに微笑んだ。

「私の中に、他家への憎しみはございません。先程も申しましたが、我が侯爵家が落ちた後のことは、もう、どうすることも出来なかったはずです。私達が逆の立場であったとしても同じことでしょう」

 多少は、王家に説明を求める声が出ていたことだろう。カンナの御実家もそれくらいはしたかもしれない。しかし王家が「調査中」等と返してそのまま動くことが無いなら、それ以上は何も言えない。王家がフォスター家側に居るのだと察するに余りあるからだ。

 結局、どう巡っても王様が悪いんだよな。いや、フォスターが元凶なのは間違いないが、立場と影響力を思えば罪深さが明らかに同率一位だよ。

「しかし当時、悔しい思いをしていたのが我々だけではなかったのだと知り、……何と申しましょう。少し、安心しております」

 言葉を選びながら、モニカはぽつりとそう零した。

「いつからか、この国の全てから見放されたような、味方と信じていた者達が全て敵であったような悲しみを、感じていたのかもしれません」

 元領地を隣の伯爵領と統合してくれと王様に頼んだ時、信じられる相手がまだ貴族の中にも居るんだなと思ったけれど。そんなに簡単な感情ではなかったんだね。

 実際その相手を信じてはいるのだろうし、先程カンナにも告げた通り、他の貴族らが何も出来ないこと自体、仕方のなかったことだと頭では分かっているのだと思う。でも事実だけを言えば。助けてくれる人は誰も居なかった。三年間、モニカ達を救う手は一つも無かった。

 もう誰とも会えない、連絡も取れない、何が起こったのかを知る手立ても無く隠れ住むしかなかった日々の中で。次第に孤独や猜疑心さいぎしんを抱えてしまったのは、それこそ、どうしようもないことだ。

「オドラン卿には、感謝の意を……いえ、後程、お手紙を預けてもよろしいでしょうか?」

「勿論でございます」

 ふむふむ。預かるのは私ではないんだけど無駄に頷いていた。

 いや、これは了承とかそういうんじゃなくて、かつてモニカが理不尽に奪われてしまった色んな縁を、少しずつでも取り戻していけたら良いよねって、ちょっと感じ入っただけだ。

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