第622話_スラン村
運ばれていく馭者台と入れ違うようにして、何だか可笑しそうに目尻を下げたモニカがやってきた。
「あの子達がきちんと改良いたしますので、お嬢様方もご安心ください」
いつから聞いていたんだろう。いや、モニカの耳なら最初から聞こえていたのかな。
「クッションの無い木製の馭者台が、貴族の馬車でも主流ではございます。ただ、それは手入れの手間を考えた上でのことです」
馭者台は外に晒されているものだから、革製でも布製でも雨風に触れると手入れは大変になる。だから撥水加工をした木製の座席であることが普通なんだそうだ。うちの馭者台もそうだった。
かと言って、そのまま座る想定がされているものではなく。馭者が乗る時には何かを敷くとか、馭者のズボンなどにそもそもクッションが付いているとか、そういうやり方でちゃんと身体には響かないようにと考慮されるものだと言う。
「整備された街道の外を走る馬車では特に気を遣うもので、そのまま座る、というのはまず聞きません」
「そうなんだ……」
こうしてモニカが優しく丁寧に、私に馬車の馭者としての常識を教えてくれた。
故郷である日本じゃ、馬車は当たり前にあるものではなかった。そして一度だけフランスで馭者体験した時の馬車はそもそもクッション付きの馭者台だった記憶がある。それも荒れた土地で走らせたわけではないので、色々と無知だったことは確かだった。
「知ってた知らなかったじゃなくて、自分が辛かったかどうかなのよ」
「本当にそれ」
低い声で溜息交じりに言われて、私は身を縮めた。すみません。辛かったです。でも回復魔法もあるし我慢も出来るし、「今度でいいや」と思ってしまっていた。モニカは怒っている女の子達と、しょぼくれている私を見比べてくすくすと笑う。
「アキラ様はご自身のお身体に少し無頓着のようですから、馭者台へ手を入れる方がよろしいでしょうね」
そういう判断を、ルフィナとヘイディもしたということか。その結果、馭者台の強制回収である。何処に持って行かれたのかな……もう見えないな……。
「ずっと気付いてなかった私らもアレだけどさ。カンナが気付いてくれて、本当に良かった」
リコットが言うと、女の子達も同意するように頷いた。居た堪れなくて更にしょんぼりすれば、その様子を見兼ねてか、ラターシャが私の背を撫でてくれる。
「私達を大事にしてくれるのと同じくらい、自分の身体も大事にしてほしいんだよ」
はい。心配してもらったのは分かっています。本当にごめんなさい。
「……アキラ様」
最初は誰よりも怒っていたカンナはいつの間にか沈黙しており、今、私を呼んだ声も私以上に落ち込んでいるように聞こえた。
「出過ぎたことを申し上げてしまいましたが、私はただ、アキラ様のお身体に何かございましたらと……」
「勿論、分かってるよ」
馭者台が改良されると聞いて気持ちが落ち着いたのか、主である私をめちゃくちゃ叱ったことを申し訳なくなっているようだった。しゅんとしている表情が可愛くて、少し笑った。でも私が笑ったからか、ちょっとホッとした顔になった。
「はぁ、なんか初っ端からお騒がせしました」
「いいえ。おかえりなさいませ、アキラ様」
モニカの言葉に、むずむずと嬉しくなる。『おかえり』かぁ。私の領地だからってこと? ご機嫌にさせるのが上手だね。さっきまでしょぼくれていたのも忘れて私はニコニコで「ただいま」と返す。
「それと、この子も紹介させて。私の侍女さん。王様を脅して王宮から引き抜いてきた。可愛くて」
「まあ」
唐突に紹介する。見知らぬ一名が居ることはとうに気付いていただろうが、端的に語ってしまったとんでもない『経緯』に流石のモニカも驚いている様子だ。でも何処か可笑しそうでもあった。私の突拍子のない動きには慣れてきているらしい。
「改めて、私の領地であるこの村で村長をしてくれているモニカだよ」
王宮にモニカを連れて行った時にカンナは侍女としてお茶を淹れていたし、紹介は今更感もあるけれど。こういう時はきちんと双方を紹介した方がいいだろう。
モニカが「よろしくお願いいたします」と微笑むと、カンナも挨拶を返すべく少し頭を下げた。その時、モニカの表情が少し変わる。どうしたんだろうと疑問に感じたものの、カンナが口を開く方が早かった。
「カンナ・オドランと申します。アキラ様の侍女として王宮より参りました」
「王宮か……」
傍に居たケイトラントが少し渋い顔をしている。『王宮』と聞くだけで、警戒してしまうのは分かる。でもカンナは警戒しなくて大丈夫な子だよって、どう説明したらいいかな。ちょっと言葉を選んだ隙に、またカンナの方が素早く対応した。
「所属は現在も王宮となっておりますが、私の主はアキラ様だけであり、アキラ様以外のご命令を受けることはございません」
迷いなく断言するカンナを見て、ケイトラントはちょっと目を丸め、それから、ふっと目尻を緩めた。
「そうか。まあ、アキラが許しているならいい」
私に対して警戒を解くのはもっと時間が掛かったのに。ちょっと拗ねそう。見るからに胡散臭い私とカンナでは比べるべくもないと頭では分かるけども。
「……オドラン伯爵家の、四女様ですか?」
不意にモニカが言った。彼女は本当に驚いた様子で、大きく目を見開いていた。それに対してカンナが改めて肯定し、頭を下げる。
「二人は面識があるの?」
私の問いに頷くと同時にモニカはふわりと表情を緩め、カンナを見て嬉しそうに目を細めた。
「ええ、随分と昔のことになりますが。まあ、そうですか。大変立派になられましたね。お会いした時はまだほんの小さな子でしたのに……」
言葉尻が微かに揺れている。珍しく、モニカは感極まっているようだ。カンナを見つめながら、何度も何度も頷いた。
「宜しければ、皆さんで少しお話し致しませんか?」
そう誘うモニカの声がちょっと弾む。うん、二人にも積もる話はあるのだろうし、私達も二人のことを聞かせてほしいね。応じてみんなでモニカの屋敷に移動した。
ちなみにサラとロゼは、既に作ってくれていた馬小屋に入れた。君達のお家だよ~と説明したが、分かっていたかは定かでない。
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