第620話
気持ちが落ち着いたらしいリコットは、手を繋ぐのではなく普段二人で歩く時みたいにぎゅっと腕に寄り添ってきた。柔らかくて温かい。
「いつの間にかこっちは市場方面じゃない」
「ふふ。うん、まずは工務店」
ずっと話しながらも歩いていたが、話に夢中でリコットは歩いている道をよく分かっていなかったらしい。可愛いね。工務店はリコットも好きなので、ついでにご機嫌を更に直してくれたらいいな。
そう思っていたのに。うむ。工務店内でも強面の男が店主と揉めて怒鳴り声を上げている。またかよー。面倒くさいなぁ。
「カンナ、リコの傍に付いていて」
「はい」
こんな状況でもリコットが安心して店内を見られるようにと、カンナを付けておく。リコットはちょっと戸惑っていたが、カンナが「お傍におりますので、安心してご覧下さい」と優しく告げていたのでそのまま任せることにした。
私の方は買うものも決まっているし、さくさく商品を集めて、隙を見て会計するぜ。しかしそう意気込みつつ私が商品を抱えて会計の台に行く頃にはもう、店内はすっかりと静かになっていた。
「騒いでた人は何処か行ったの?」
「おう、嬢ちゃん、いらっしゃい。あんな奴は俺が叩き出しておいたよ」
「ははは!」
工務店の店主さんは逞しいな。実際、凄んでいた強面と比べても体格は全く見劣りしていなかった。
「いやしかし、折角来てくれたのに悪かったな、怖かっただろ」
「まあ、それなりに。特に連れが怯えてたかな。でもすぐ対応してくれて助かったよ」
ちらりと、店の奥にいるリコットを見る。今は商品に集中しているみたいだ。静かになったからきっとホッとしているだろう。かくいう私も大きな声が嫌いなのであまり気分の良いものではなかったし、早急な対処は本当にありがたい。
「何か急に物騒だねー」
「あぁ。町長や警備の方にも問い合わせはしてあるが、なかなか今は手が回らねえみたいだ」
「そっかぁ」
おじさんみたいに強い店主ばっかりじゃないし、女性の多い店でああいう輩が来ると大変だろうな。市中で好き勝手をしていたフォスター家が居なくなったのに、一難去ってまた一難って状態。可哀想だなぁジオレンは。などと同情をしつつも私は今回これに対して何をする気も無い。
「ところで嬢ちゃん、この釘は曲がりやすいが、大丈夫か?」
「あれ、そうなの? うーん、私はおつかいだから分からないなぁ。同じサイズで、曲がらない丈夫な釘はある?」
「ああ。ちょっと待ってな」
念の為、どっちも買って行こう。要らない方は私の資材にしてしまおうかな。その内、何かに使うだろう。
おじさんはすぐに丈夫な釘を持ってきて、詳しい商品情報を教えてくれた。いつも丁寧でありがたい。
「ありがとう! まとめて買っておくよ」
「未使用なら引き取ってやれるから、必要ないならこの控えを持ってまた来な」
「うん。いつも親切にありがとね」
「こちらこそ、美人のお得意様は大歓迎だよ」
豪快に笑いながらおじさんが言うと、カウンターの奥で静かに商品整理をしていた奥さんらしき女性が突然バインダーでおじさんの頭を叩いてびっくりした。面白すぎたので、私もおじさんみたいに豪快に笑っておいた。
「リコ~、何か買う?」
会計を終えた私は、熱心に奥の棚で商品を見ているリコットの方に向かう。ちょっとだけ離れた位置から声を掛けた。もしまだ神経が立っていたら、間近で声が掛かるのは怖いかと思って。でも振り返ったリコットはいつも通りの表情をしていた。
「んー、うん、これ買おうかな。アキラちゃんは終わった?」
「終わったよ。でもリコがまだ見るなら、一緒に居るよ」
「ううん、もう終わり。買ってくる」
すぐにリコットもそのまま会計を済ませて、三人で店を出る。すると正面の大通りでは警備兵が何やら騒いでいる男を引き摺るようにして連行していた。うーん、さっき追い出されていた男では? 苛々して結局どっかで騒ぎを起こして捕まったのか。迷惑な奴。
「さて、次は中央市場に行くか」
日用品や食糧の補充と、スラン村への支援物資とお土産を買いにね。
その後、市場の中でも幾つか揉めている様子は見受けられたものの、私達が直接巻き込まれるようなことは起こらず、無事に買い物を済ませてアパートへと帰宅した。
リコットは上着を置いたら真っ直ぐにナディアの隣へ行って、強引に座っている。細いリコット一人分も難しい隙間しかないのに押し入った為、二人がぎゅっとなってて可愛い。ナディアはリコットの珍しい行動に目を丸めながらも、彼女が窮屈にならないようにと少し座る位置をずらす。逆隣りに居たルーイは何かを察したのか、飲み物を持ってサッと別のソファへと移動していた。
ルーイのお陰で空いたスペースを利用してまたナディアはリコットから少し離れるように動いたものの、リコットの方はむしろその距離を埋めるみたいにナディア側へと傾いて、頭をぐりぐりとナディアの肩に擦り付けていた。
「どうしたの、リコット。何か怖いことがあった?」
妹達だけに向ける、この甘ったるい声が好きだなぁ。
しかしリコットを心配しているナディアの心情を思えばニコニコするのは不謹慎だろう。私は表情をあまり変えないようにと表情筋に力を込めた。でもあまり保たないと思うので、晩御飯の用意を理由にキッチンの方へ移動する。
「外も怖かったけど。ナディ姉が私の前に出た時が、一番怖かった」
視界の端で、ナディアがちらりと私を見た気がした。リコットに私が何かを言ったのだと察しているみたいだ。無理に言わせてるわけじゃないので怒らないでね。念じるだけで口にせず、素知らぬふりをした。
ただナディアも一瞬気になって此方を見ただけで、私へ疑問をぶつける為にリコットを放置するつもりは全く無かったのだろう。すぐに私から視線を外し、両腕を優しくリコットの身体に回した。
「そうね」
甘やかすみたいな相槌を呟き、ナディアがリコットを抱く力を強めている。
「あなた達はいつも私の代わりに悲しんで、怒ってくれるって知っていたのに。……ごめんなさい」
本当、うちの長女様はすごいなぁ。
たったあれだけの言葉で、リコットが何を言っているのか全部分かって、何を求められたのかも分かって、こんなに優しい言葉を選べる。私には真似しようと思っても出来ないね。
そして先程逃げるように移動したはずのルーイも徐に立ち上がって元の位置に戻り、逆側からぎゅっとナディアに抱き付いた。目を丸めた後、ナディアは左腕でリコットを抱いたままで右腕をルーイに回して抱き締めた。うーん、三姉妹がお団子になった。可愛い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます