第615話

 その小さな背は、身体の大きな男達を目の前にしても微塵も揺らぐ様子なく、堂々としていた。

「お話し中に失礼を。ですがこのお嬢様方は守るようにと主から命じられております。許可なく触れて頂くことはできません」

 淡々と述べる様子は、普段を知る者からすればいつも通りのカンナだが、知らぬ者から見れば酷く冷ややかな声に聞こえる。また、無頼漢に向けるにしてはあまりに丁寧な言葉遣いも、男達と周囲の野次馬はやや困惑した様子だった。

 しかしそんな動揺も数秒ほど。先程カンナが投げたと思われる棒で手を攻撃された男は、顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。

「こ、この女……ふざけやがって!!」

 つい先程まで痛みに悲鳴を上げていたはずだが、元気なものだ。とは言え、カンナを攻撃しようと掲げたのは打たれていない方の手。逆側の手はおそらくまだ痛むのだろう。

 男はその大きな身体で、拳を高くからカンナに振り下ろす。ひっと息を呑む声が周囲から幾つか上がったが、その拳が彼女に届くことは無かった。カンナの操る棒の先が正確に男の肘を打ち、体勢を崩した男はそのまま顎を殴打されて二秒と経たずに昏倒して地に伏した。

 その間、カンナは一歩も後方へと立ち位置を動かさなかった。背中側に居るナディア達を守る意図があるからなのだろう。

 また、飛んできた時にはただの棒に見えたそれは、こんであるらしい。よくよく見れば本体は黒く艶のある質感で、各所に金の装飾も付いている。何処かで拾ってきたものとは思えない。つまりカンナが元より所持していた武器だったようだ。何より、その棍は明らかにカンナの手に馴染んでいた。

 残った三人の男は一人が倒れるとやや怯んだ様子を見せるも、次の瞬間には頭に血が上ったように口々に吠え始めた。同時に、こんな街中にも拘わらず携えていた刃物を全員が躊躇いなく抜いてしまう。周囲にはどよめきと悲鳴が上がった。

「――さようですか」

 耳をつんざくような怒号が響き渡っている中で、カンナはただ静かに一言だけを返した。静かだったのに、何故かその場の全ての者にすんなりと届く。

「では、私も抜かせていただきます」

 カンナが棍を持ち直すとその両端が仄かに輝き、『鞘』が落ちた。中からは刃渡り三十センチ程度の刃が出現する。この武器には元より刃が付いており、ただ鞘の中に納められていただけだったらしい。

 鈍い銀の光を見た途端、男達の目が先程よりもはっきりと怯えた。

 自分達は刃物があるから優位と思っていたのだろうが、お互いに刃を向け合う今、怪我で済まないのは自分達かもしれないと酒に酔っていても悟ったようだ。

 そうして男らが動きを止め、次の動作を迷った瞬間。突然、一番後ろに居た男が短いうめき声と共に倒れ込んだ。

「お前ら、どういう了見で私の女の子に刃物向けてんの?」

「……アキラ」

 彼女の姿が見えると、ナディア達は一斉に安堵した。

 普段は『見張らなければならない』と思うような困った人だが、それでも彼女達にとってアキラはどんな時にも必ず守ってくれる絶対的な『保護者』なのだ。

 一方、『主』の姿を見止めたカンナはどのような気持ちだったのだろうか。ナディア達が抱いたのと同じ安堵だったのかは分からないが、彼女は構えていた棍の先をやや下げ、居住まいを正そうとしていた。

「そのままでいいよ、カンナ」

「はい」

 しかしアキラがそう指示すると改めて構え、刃を男達の方へと向け直す。

 アキラもまた、手にしていた短剣を鞘から引き抜いた。残された男二人は、目に見えておろおろしている。前後に昏倒した仲間が居て、そうさせた人間がそれぞれ刃を自分達に向けているのだ。武器を構えているものの、もう明らかにその腰は引けていた。

 そこへ、警笛の音が入り込む。

 周囲を覆っていた野次馬が一斉に道を開ければ、奥から警備兵がアキラ達の元へと走ってきた。

を捕らえろ!!」

 はっきりとしたその指示に、何故か、絶賛抜刀中のアキラとカンナが含まれていない。状況はすっかり把握してもらっているようだ。

 ただ、二人の前にはそれぞれ一名ずつの警備兵が立ち、「納めて下さい」と丁重に願っていた。アキラは迷わずそれに応じ、短剣を納刀して収納空間へ投げる。そのままカンナにも納めるようにと手振りした。アキラの命令を受ければカンナが渋るはずがなく、彼女の棍も収納空間へと消えた。

 そうこうしている間に倒れていた二人を含む四人の男は素早く警備兵に連行されていく。

 ようやく完全に脅威が取り払われて、女の子達は長い息を吐き出した。ナディアは怯えていた妹達を振り返り、それぞれの肩を撫でる。ラターシャとリコットは何処かくすぐったそうに笑ったが、ルーイはそのままナディアにきゅっとしがみ付いた。本当に怖かったのだろう。

 その後、遠巻きに見ていた人達が、ナディア達へと口々に労いを向けた。

「すまなかったね、助けに入ってやれなくて……」

「お嬢さんたち、怪我は無いかい」

 止めに入れなかったことを謝罪する者は多かったが、そのような人の内の何人かが警備を呼んでくれたのだろうから、対応は的確だ。そもそも、刃物を携えている暴力的な酔っ払いに対して何かできる人間など、ごく一部に限られる。

 むしろ守護石を持っていたナディア達の方が、安全と言えば安全だった。ナディアが最も懸念していたことは自分達の安全より、守護石の発動による周囲への影響だったのだから。

 一歩間違えれば吹き飛ばしていたのかもしれない何の罪もない人達に対し、無駄に申し訳のない思いを抱きつつ、心遣いに丁寧に礼を述べた。

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