第614話

 そろそろ帰ろうかという空気になって、女の子達がアパートへ向かって歩いている途中。とある洋服店の前でルーイが「あ」と小さく声を漏らした。末っ子に甘い姉達はすぐに気付いて立ち止まる。

「何か気になった? 入る?」

「うーん……じゃあ、ちょっとだけ」

「いいよ」

 当然快く了承して、リコット達も共に店内に入ろうとしたのだけど。一番後ろを歩いていたカンナが、ふと別の方向に目を向け、扉前で立ち止まった。

「私は、近くにあるお店でお茶菓子の補充をして参ります。すぐに戻ります」

 おそらくカンナはこの店の商品にはあまり興味が無く、みんなが足を止めている間に他の用事を済ませてしまいたいと思ったようだ。

「一人で大丈夫?」

「はい、問題ございません」

 そう告げると、カンナは軽く会釈して彼女らに背を向ける。少し心配の面持ちでリコット達は後姿を見守ったものの、カンナは迷いなく大通りの人混みをすり抜けて行き、見えなくなった。

 勝利の日の祝祭当日にも、カンナは一人きりで出掛けている。平時ならば更に安全なのだから、そう心配することも無いのだろう。万が一の場合には守護石もある。口には出さずとも四人は同じ考えを共有するように頷き合ってから、改めて洋服店に入った。

 しかしルーイ達が買い物を済ませる頃になってもまだ、カンナは戻らなかった。洋服をのんびりと見ていたルーイ達の方が、余程時間の掛かりそうなものなのに。

「どーする?」

「……もう少し、待っていましょう」

 ただ、店内や店前に居座っても迷惑だろう。女の子達は少し逸れた場所で、それでも店にカンナが戻ればすぐに分かる位置で雑談をしながら待つことにした。

 流石に一時間以上をお茶菓子に掛けることはないだろうし、あと十数分も待てば戻るだろう。戻らなければ、さてどうしようか。探しに行ってみるか、先程の洋服店に言伝をしてアパートに戻っておくか。雑談をするはずが結局そんな風にカンナを心配する会話になっていく。

 ナディアもカンナの気配と匂いを探ることばかりに気を取られ、いつもより少し、周囲への警戒が緩んでしまっていた。そんな時だった。

「なんだ嬢ちゃんら、暇か? 俺らと飲みに行こうぜ」

 人混みからヌッと現れた男が、不躾にそう言った。男は一人ではなく、四人だった。ガロほどではないもののナディア達から見れば充分に大柄な男達だ。そんな者達が人通りの多い道で唐突に立ち止まるものだから、通行人は迷惑そうにしながら、男達を避けて行く。

「いえ、人を待っていますので」

 淡々と答え、ナディアは妹達よりも前に立つ。リコットもさり気なくルーイとラターシャを後ろに下げてナディアの傍に立った。

「そんなのは退屈じゃないか。立ちっ放しも疲れるだろ? 店は近くだ。仲間が席を取ってるから、少し休んで行けばいい」

「連れが来ればもう帰るだけですので問題ありません」

 男達は明らかに酔っていた。酒の臭いが強い。しかもそれぞれ何かしら武器を携えている。冒険者なのだろうか。何にせよ周りの通行人が心配そうにしながらも遠巻きなのはそのせいだ。

 しかしそんな中でも、恰幅かっぷくの良いおじさんが露店の中から飛び出て、止めに来てくれた。

「おい! あんたら止めないか、ここは大聖堂のお膝元で――」

「うるせえ!」

 男は何がそんなに気に入らなかったのか、まだ言葉で宥めただけだったおじさんを殴り付ける。おじさんは勢いよく地面に転がり、近くの人達に助け起こされていた。ルーイがナディア達の後ろで小さく悲鳴を上げる。

 いよいよ、状況が悪い。今の暴力で、周囲に人が集まり始め、しかしいずれも男達――つまるところナディア達から一定距離を取った。助けに入る様子が無い。

 ナディアは守護石の存在を確かめるように、服越しにそれを押さえる。これがある限り、彼女らが怪我をすることは無いだろう。

 問題は、どの程度の規模でナディア達を守ろうと働くのか、その詳細を知らないことだった。

 発動すれば自分達は間違いなく守られる。だが、間違いなく騒ぎにもなる。そして、発動による反撃の範囲が大きい場合、無関係な周囲を巻き込む可能性もゼロではない。

 ナディアはそっと収納空間を開く準備をした。魔法の杖を出す為だ。

 熱の壁ならもう扱える。鎖鞭も、出すだけであれば可能だ。脅す意味で出してみるべきかもしれない。騒ぎの規模で言えばもしかしたらそちらの方がマシである可能性がある。警戒心を強めたナディアの顔を見て、男はニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「ああ、驚いたか? 悪いなぁ、気性の荒い奴らが揃っててよ。まあ嬢ちゃんらが大人しかったら、ニコニコしててやるから安心しな」

 男の言葉にナディアは取り繕うことなくはっきりと眉を寄せた。先程のおじさんを殴ったのはこうして脅す為か。

 言葉を詰まらせる彼女らの方へ、男が手を伸ばしてくる。しかもナディアではなく、わざわざ半歩後ろに立つリコットの方に。

 男達は四人共、人族だ。どれだけナディアが美しくともあまり興味は無かったのだろう。ナディアも触れられるのが自分であればまだ腕を掴まれようとも様子を窺うことは出来たかもしれない。けれどそれがリコットであれば指先一本すら許せるはずもない。ナディアは男の手を遮るようにリコットの前に出ると、迷わず収納空間を開けた。

 しかし、彼女が魔法の杖を取り出すことは無かった。

 刹那、風を切るような音が聞こえたかと思うと、目の前に長い棒が入り込む。

 瞬きの間に突如現れたような一筋の黒い線が、彼女らに伸ばされた男の手を弾き飛ばした。それは男が身に着けていた防具の隙間である手首を正確に突き、反動で高く上へと跳ねてくるくると回る。

 痛みに悶絶して転がっている男を除いた全ての者が、呆気に取られながらその棒を目で追って上を見つめていた。その間に落下点へ到着していたらしい小さな影は、まるで宙の羽根を捕まえるように優雅に、片手でそれを受け止める。

「お傍を離れて、申し訳ございませんでした」

「……カンナ?」

 ナディア達を守るように前に立っていたのは、先程まで姿が無かったはずのカンナ。

 いくら男達に気を取られていたとはいえ、人だかりに囲まれているような状態で姿が見えていなかったなら遥か遠くにいたはずなのに。少なくともナディアは彼女の香りを今の今まで全く感じていなかった。

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