第612話

 夜になり、アキラがダリアと飲むからと言って一人で出掛けてしまった後。ナディア達は何処か気の抜けた様子で息を吐いた。

「お昼、ちょっとびっくりした。アキラちゃんも女の人にあんなに怒ったりするんだ」

 ルーイがふと呟くと。隣のラターシャもそれに同意して頷く。

「考えてみればエルフの里とか、お城とかでも。女の人とか関係なく怒ったことはあるって知ってるのにね」

「あー確かに……」

 エルフの里では無感動に女性を殺してまでいる。城でも前回は、王妃や王女に対して甘い対応をしたとは言い難い。それでも普段の、陽気で女性好きなアキラばかりをよく知る彼女らにとっては、その行動がどうしても印象と符合せず、非現実的に思えてしまう。

「私、よく分からなかったんだけど、マナー違反ってどういうことなのかな」

 おずおずと窺うようにラターシャが疑問を口にする。三姉妹で軽く視線を交わしてから、リコットが最初に答えた。

「あれはね、娼婦の間でのマナー。客の私生活に自ら関わっちゃいけないの。恋人や奥さんなんて以ての外。絶対、客にとって都合が悪いことだから」

「本来であればそもそも往来で誰かと一緒に居る客に声なんて掛けないのよ。『いつもお世話に』なんて言おうものなら……」

「そ、そうだよね」

 傍に居るのが伴侶や恋人でなくとも、一切知らぬふりをするのがマナーだ。客側から声を掛けられれば当然応じるが、娼館通いをしていることなど隠したい者の方が多い。つまり、あのように目立つ形でダリアの方から声を掛けてきたこと自体、三姉妹にとっては相当引っ掛かる行動だった。

「獣人族だからかなー。あの人が娼婦だって知ってる人から見ても、アキラちゃんを客だとは思わないじゃん?」

「あー」

 アキラが当たり前のように獣人族を愛しているから時折忘れそうになるが、この世界で獣人族を性愛の相手にする人族はまず居ない。だから傍から見て二人にその関係を見出す者は無く、今の話に上がった『マナー違反』には抵触しない。ただ、あくまでも『傍から見れば』だ。

「でも今回は、ナディアが居たから……」

「それ。自分がアキラちゃんと寝てて、ナディ姉が隣に居たらある程度分かるでしょ。しかも挑発してたし完全にアウト。もうちょっとアキラちゃんが遅かったら私が殴った」

「ぼ、暴力はちょっと……」

 ラターシャが眉を下げておろおろしている。その愛らしい様子に、難しい顔をしていた三姉妹も一様に表情を緩めた。

「おそらくだけど、先にアキラと友人関係を持ったのも理由なんでしょう」

「……そんな話もしたねぇ」

 獣人族と性的な関係を持つ人族は普通には存在しない為、変態として悪目立ちしたくないならまずはただの友人になるべきだ――と、以前ナディア達がアドバイスしていたのだ。アキラはおそらくダリアとそのようにして関係を持ったのだろうし、ダリアにとってもそれまでアキラはただの飲み友達だったはず。そうすると今回の揶揄からかいも、アキラが普通の『客』ではなく『友人』に近い感覚で接してしまったのかもしれない。

「ま~何にせよ、あれだけ怒られたら絶対もう無いね。そこまで鈍そうではなかった。街中でばったりしてもまず関わってこない」

「そうでしょうね。逆に考えれば今の内に解決して良かったわ」

「だねー」

 もしもアキラ不在の時に匂いだけでナディアを見付けてちょっかいを掛けていたとしたら、アキラの怒りがあの程度で済まなかった可能性もゼロではない。ナディアの中ではそういう意味での『良かった』だったが、リコットとしては、ナディアが更に嫌な思いをする結果にならなくて『良かった』の意味だ。その擦れ違いをナディア以外は何となく察していたものの、誰もわざわざ指摘しようとはしなかった。

 この話は、此処でひと段落をしたのだけど。リコットは不意に、この場に無言で佇んでいるだけのカンナに目を向ける。

「ごめん、居心地の悪い話だったね」

 貴族令嬢の耳に入れるべき話ではなかったかもしれないと思う反面、アキラ自身が躊躇いなく娼婦を相手にしているので、この家で過ごす以上、全く耳に入れないのは不可能だとも思う。しかし複雑そうにしているリコットを見て、カンナが目を瞬きながら「いいえ」と言った。

「面白い……と言うと語弊がありますね。馴染みのない世界のことで興味深くはありました」

 そう言うとカンナは視線をナディアの方へと移し、何かを確かめるようにじっと見つめる。

「今更ですが、以前にナディアが『種族もおかまいなし』と言っていたのはそういう意味なのですね」

 あの時のカンナは全く別のことを考えていたので話題を掘り下げることをしなかっただけで、意味を分かってはいなかったらしい。ナディアが驚いた様子で目を見開く。

「貴族の中で、そういう話は無いの?」

「いえ、全く……」

 何処かそれを異様なことに感じ、ナディアは眉を寄せた。この国では獣人族が貴族であることは少なく、貴族はそもそも平民と婚姻関係を結ぶことが無い為、話題にもならないのだろうか――等と考えたところで。

「まあ私も『獣人族とは性的な関係を持ってはいけません』とか、わざわざ言われたことないからね。発想しないから、誰も言わないんだと思う」

 苦笑しながらリコットが言えば、一拍置いてナディアは項垂れて「それもそうね」と言った。そして「私もあの人に毒されているわ」と続ける。

 獣人族と人族が性的な接触を持つことを、『禁忌として教えなければならない』と思う時点で、最早この世界に生きる者としての感覚からはズレている。

 アキラにも分かるよう極端な言い方をすれば、人が獣と交わろうとすることと等しい。交わってはいけませんなどと敢えて言い含めようとする教育は存在しない。他の動物とどれだけ心を交わし、愛し合おうとも。それが性愛に発展すればたちまち周囲は驚愕するだろう。アキラのしていることは、そういうことだった。

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