第594話_高級宿
食べ物の好き嫌いを語り合った後も色んな雑談をしたけれど。政治の話からお酒の話まで。カンナは何でも淀みなく応えてくれるので本当に楽しかった。
こんな子を愛嬌が無いと振ったやつが存在していると思うと呆れてしまうね。そいつの方が話題の一つも提供できないような、つまらない奴だったに違いない。
「さてと。そろそろ行こうかと思うけど……飲み足りないかな?」
「いえ、充分です。……むしろ少し、飲み過ぎてしまいました」
「あらら。大丈夫?」
「はい、体調に問題はありません」
カンナの表情が全く変化していないから分からなかった。会話に夢中になってしまったのもあって、彼女がどれほど飲んでいたのかもきちんと把握できていない。途中からボトル注文に変え、四本頼んで、全て空になっている。当然私も飲んだものだから、カンナが全部を飲んだわけではないんだけど……ペースを考えると、最低でも一本はカンナが空けたと思う。うーん。この子、リコット並みか、それ以上に飲めるのか。
まあ、体調に問題ないって言葉は本当みたいなのでそれは安心。でも今日はこれ以上飲まない方がいいね。おつまみは一通り食べたし、ワインも丁度、底をついている。会計を手早く済ませ、店を後にした。
そしてまた腕を差し出すと、一拍固まってからカンナが手を添える。もう忘れていたみたい。いちいち戸惑うのが可愛いなぁ。
さて。カンナを安宿に連れて行くのは流石にちょっと可哀想なので、貴族様も使いそうなお高めの宿にします。カンナなら文句とか言わないだろうけどね。
「――あ」
部屋に入るなりカンナが流れるように私の上着を回収した。私の方も違和感なく受け止めてしまったが、今は侍女としてカンナを連れているわけじゃないんだったとハッとする。
いや、しかし。私の誘いを受けるのは『個人として』でも『侍女として』でも構わないと告げてある。彼女がどちらのつもりであるかにも、よるなぁ……。
うーん、まあ、いいや。私は考えることを放棄した。こんな一つ一つに拘られてもカンナも困るだろう。私の方を不思議そうに見つめているカンナに「何でもないよ」と首を振り、私は一度、浴室を見に行く。
「おー、流石。いいお宿はバスタブもあるねぇ」
王宮以外でバスタブって初めて見たかも。私の隣でカンナもひょいと浴室を覗き込んでいる。
「早速お風呂にしようか。お湯の準備をするよ」
「はい、ありがとうございます。着替えをご用意いたします」
「うん」
最近は予備以外の着替えはクローゼットに出しているから、外泊時は私もそこから出して収納空間に持っておかなければならないんだけど。外泊するよって言ったらカンナが手早く着替えを持たせてくれるので、むしろ収納空間内にある大量の物から「これとこれとー」って取り出すよりもずっと楽。しかもカンナと一緒に出掛ける場合は私の分も含めてカンナが収納空間に持っておいてくれる。更に楽。侍女様って本当にありがたい。
「準備できたよ~先に入っておいで」
しみじみとそんなことを考えつつも、先の入浴を促す私である。カンナは案の定、数秒間停止して、目を瞬いた。
「いえ、その、アキラ様がお先に……」
そう言うだろうなと思っていたので、私は既に頭の中で用意していた言葉を返す。
「私が上がったらいつもみたいに髪の手入れをしてほしいなと思ってさ。だめ?」
「とんでもありません」
先に入浴して寝支度を整えてもらい、私が入っている間にはその手入れ用の準備をして待っていてほしい。先に私が入っちゃうと、カンナが入るタイミングが遅くなるし、そこから更に彼女の寝支度を待つとベッドに入る時間も遅くなっちゃう。私の心がそんなに長く待てない。
つらつらと述べれば、少し戸惑った様子ながらもカンナは最終的に「承知いたしました」と飲み込んで、先に入ってくれた。
ただ彼女が上がってきた時、私は入れ違いでは入らず、先に髪を乾かしてあげた。カンナは遠慮していたけど「まあまあ」くらいの雑な宥め方で押し通す。この子の髪は長くなくってそんなに時間も掛からないからね。終わったら、ようやく私もお風呂に入る。バスタブが久しぶりだからちょっとだけのんびり浸かった。
「香りはこちらで宜しいですか?」
「うん」
お風呂から上がると、お願いした通りカンナが髪をしてくれる。侍女様として招いて以来、ほぼ毎日してもらっている手入れだ。その為、最近の私の髪は常に艶々です。いい香りがするし、カンナの手付きが優しくて丁寧で嬉しい。フンフ~ン。ご機嫌に鼻歌を歌う。
「アキラ様」
「うん?」
「先程、話しそびれてしまったのですが」
何だろう。思わず首を傾けてしまったが、手入れ真っ最中だった。でも頭を動かした私に戸惑うことなく、カンナは手入れを続けながら先を述べる。
「ナディア達から聞いたアキラ様のお話を、ご報告いたしますか?」
次は反射的に、振り返りそうになった。でも流石にそこまで動いたら手入れの邪魔になるだろう。今度こそ頭は動かさないようにと努め、数秒してからようやく返した「いや」という声は、少し掠れていた。んん。ちょっとだけ動揺してしまったかな。
「報告しなくていいよ」
改めて告げれば、カンナはただ感情なく「はい」と言った。
その後、髪の手入れを終えたカンナは道具などを片付け、手を洗う為に一度傍を離れていく。背を見守りながら、私は気付かれないように小さく息を吐き出した。
そして部屋へ戻って来た彼女を、ベッドに座る自分の隣に呼ぶ。
「私のことを、心配してくれたんだね」
カンナの頭をよしよしと撫でる。私を見上げる彼女の瞳が少し頼りなく揺れたように見えた。
「あの子達のことは、警戒しなくていいよ。もしあの子達が私に隠し事をしても、私が予期していない動きをしても、そのままで構わない。それはきっと私をただ傷付ける為のことじゃないから」
あの子達が私に何かを隠すなら、それは傷付ける為じゃなくて、私の心を守ろうとしてのことだろう。もしくは、私『から』誰かを守る為。そうして動いた結果で私が傷付けられてしまうとしても、それで構わない。その時はきっと、私が本当に悪いことをしているんだと思う。だから私はしっかり痛い目を見るべきだ。
丁寧に私が伝えるほど、カンナの視線は落ちて行って、俯いてしまった。
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