第592話

「まず、平民の間で最も広く嗜まれている麦酒は、北西部と西寄りの内陸部で工場がひしめき合っております。いずれの工場も独自の味を追求し、工夫を凝らした麦酒が飲めるとか。貴族の中でも、好んで各工場へ足を運ぶ者があると聞きます」

「ほ~」

 その辺りに行けば、クラフトビールみたいなのも沢山ありそう。私も一般的なビールってあまり飲まないんだけど、少し変わった風味のクラフトビールは好きだったな。うーん、巡りたい。

「ウイスキーなどの蒸留酒も方々に産地があり、私の領地でも力を入れておりました」

「そうなんだ。それはカンナ好みのスモーキーだった?」

「……はい」

 私の問いに、ちょっと恥ずかしそうにしながら頷いている。可愛い。でもカンナが好きなお酒なら私も飲んでみたいなぁ。

「確か、ご実家は王都より東にあるんだよね。どれくらいの距離?」

「そう遠くはありません。一つ別の領を挟んではいるものの、馬車を走らせれば三日ほどで王都には到着いたします」

 ふむふむ。この国の移動手段を思えば結構近いんだな。カンナのお父様、王様のとこにそのウイスキーを預けておいてくれないかな。……娘さんを掻っ攫っておいて酒の為だけに顎で使ったら虐め過ぎか? 止めておこう。

「他には……少し珍しいものになりますが、『清酒』というものもございます。米を発酵させて作るとのことで」

「えっ、清酒があるの!?」

 日本酒じゃん! いや日本酒は日本国産米が原料にならなきゃいけないらしいから違うけど。でも要するにほぼ同じものがあるってことだよね!? 私が目を丸めていると、カンナも私の反応に驚いた様子で目を瞬く。

「アキラ様は、清酒をご存じなのですか?」

「こっちの世界のは知らないんだけど、私の故郷の伝統的なお酒だったんだよ。いや~驚いたな。確かに米はあるんだから、可能だけど……」

 しかし私はまだ清酒を置いている酒場を見ていない。ローランベルやレッドオラムでは結構色んな店を飲み歩いたんだけどな。でも高位貴族のカンナが『珍しい』と言うくらいだから、そこいらにホイホイ置かれているお酒ではなさそうだ。

「最近のお酒なの?」

「いえ、古くから作られてはいるそうです。ただ、製造量があまり多くないようで」

「そっかぁ」

 カンナの知る限りでは、北東部に製造元があるらしい。

 米だから、寒いところが産地なのかな。とはいえあまりウェンカイン王国は寒くないんだが。何にせよ清酒に関しては絶対にいつか飲みたい。こればかりは本当に王様に手に入れろって言ってみよっかな。一番確実に手に入りそう。もしくは鋳造所を紹介してくれ。直接行く。

「アキラ様は清酒がお好きなのですか?」

「うん。和食……私の故郷の伝統食には特に、よく合うお酒だったから。あー、和食も恋しくなっちゃうな」

 色々と豆はあるんだから、大豆に近いものがあれば、醤油も味噌も何とか出来そうだけどなぁ。あとは昆布とかつお……うーん。しみじみと思い出していると、カンナは何とも言えない顔で、微かに眉を下げて黙り込んだ。あらら、気を遣わせてしまったらしい。

「機会があったらみんなで飲みたいね。その時までに、合うおつまみも考案しておかないと」

 私の言葉に、カンナは表情を和らげて「はい」と頷いてくれた。一旦、この話は此処までで良いかな。私もしんみりしてしまいそうだ。

「そういえば、家事のお手伝いは辛くなってないかな。調理は初めてだったみたいだし」

「辛いなどとは思いません。あまりお役に立てず、心苦しくはありますが」

「そう? でも結構、包丁の扱いが上手だって、リコが褒めてたよ? 特に果物」

 皮を剥くのが上手なんだよね。するする~って。普通に包丁で野菜を切るより、そっちの方が難しいと思うし、初心者だと指先が刃と近くなって怖いだろうに。

「いえ、それは……お茶請けとして果物を用意することもございましたので」

「ああ、なるほど」

 つまり果物だけは経験もあって、慣れているわけか。それなら本当に、特に問題はなさそうだと感じた。

「勝手は一緒だから、すぐ出来るようになるよ。カンナは器用だし」

「そうでしょうか……ありがとうございます」

 果物を扱っている時のナイフの扱いで器用さは分かる。後はどの作業も慣れていくだけだ。覚えも早いし、言われた通りにきちんと出来る子だし、何にも心配は無いね。ノウハウ無く急に独自性を出して手順を減らしたり増やしたりする子が一番怖いんだよな。幸い我が家には居ない。

「みんな良い子で働き者で、私のやることが少なくなっちゃうねぇ」

 私の言葉にカンナは何かを言いたげにしたが、口を噤んでいる。カンナからすれば、主人には雑用をすることなく座っていてほしいのだろうけど。私は私で、世話ばかり受けるのは性に合わないのだ。

「今日もね、君のお誕生日会の仕込みを手伝いたいって、ちょっとしたことでも『それは私がやる』って取っちゃうんだよ?」

 たまねぎを炒めるところまでね。

 なお、この世界で『たまねぎ』と呼ばれる野菜は存在しない。とても似ている野菜を私が執拗に『たまねぎ』と呼ぶものだから、みんなもそう呼んでくれているだけである。他にもそういう野菜はいくつかあった。本当に教育に悪い。

「似ていても違う名前であるのは、確かに混乱してしまいますね」

 ついでに漏らしただけの話題だったが、カンナは真剣な顔でそう言った。しかも「私も覚えます」と言い出すから、思わずくすくすと声を漏らして笑ってしまう。カンナがきょとんとした。

「ううん。歩み寄ってくれるのが嬉しいんだよ。ありがとうね」

 カンナなら任せておけば一覧表すら作ってくれそう。それは私にも分かりやすくて助かるかも――と思いつつ、これは口にしなかった。言ったらこの子、絶対に作っちゃうからね。お願いしてまで欲しいものではない。

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