第589話

 しばし首を捻っていたラターシャは「会うところから説明した方が早いかなぁ」と小さく呟き、顔を上げた。どうやら端的に答えるのが難しく、悩んでいたらしい。

「お母さんは二か月に一度、数日間だけ近くの人里に下りるって役割があったらしくて」

 エルフの里の中には様々な役割があり、ラターシャの母は人里に下りて物資を調達する役割を担っていた。そうして繰り返し人里に下りる中で、彼女はラターシャの父となる人族と出会った。

「自分がエルフだってことは隠していたんだって。耳を隠す魔道具が、里にあって」

 しかしそれは貴重な魔道具で、ラターシャの里には一つしか無いと言う。だが短い時間でなく数日間も里の外に出るなら、帽子で耳を隠す程度では心許ない。その為、魔道具を使って人族に紛れながら、人里へ下りる。その道具が一つしか無かったこともあり、当時、役割は常に彼女一人に任されていた。

「アキラちゃんもその魔道具の作り方、知ってるのかなー?」

「うーん、不明のものじゃなければ、そうかも」

「あ、そっか。貴重な魔道具なら、不明の可能性もあるのか……」

 例えば里が管理する秘宝は、製作者も製作方法も不明。神が齎した道具とされている。秘宝以外にもそのような道具があるのかどうかは分からないが、もし同様に不明なのだとしたら、全ての知恵を貰っているアキラにも作り方は分からないはずだ。

「ならラターシャのお父様は、お母様がエルフであることを今も知らないのかしら」

「うん、伝えられなかったって言ってたから、そうだと思う」

 種族を隠して出会い、そして惹かれ合った。遂にはエルフであることを彼に伝えられないままで、ラターシャの母は亡くなってしまった。

「それに妊娠した後は、会いに行けなかったんだって。エルフの結界、妊娠中は里から出られないの。入れるけどね、一方通行」

 その説明を聞くと同時に、ナディアが表情を険しくして長い溜息を吐く。ラターシャを含め、みんなが不思議そうな顔で彼女を振り返った。

「……色々と不思議に思っていたけれど。そうやって、エルフは血を守るのね」

「どういうこと?」

 更に首を傾けた子らに、ナディアは重苦しく頷いてから、自らの考えを口にする。

「血が薄れれば、血の契約の効力が無くなると言っていたでしょう? なら、そうやって人と結ばれて里を出るエルフがたった数名いるだけでも、いつかは契約を破れるエルフの末裔が多く出てくるわ。そんな状況、とうに里の位置まで広く知られていてもおかしくないのよ」

「あ~、確かに……」

 血の契約によると、エルフは『他の種族に』里の入り口を伝えられない。だがハーフエルフは『同族』と定義されているとヒルトラウトも言っていた。ならば人族との間に出来た子でも伝えることが出来る。もしもそれが子から子へと永続的に伝えられていけば、ナディアの言う結果に繋がる可能性は高い。エルフのことは、勝手な想像で描かれた本すら出版されているくらいには、興味を持っている人族が居るのだ。少しでも情報が漏れれば一瞬で広がったことだろう。

 しかし、妊娠中は外に出られない仕組みになっている。外で子を産み、それを隠すことが出来ぬように。また、ラターシャが言うには男のエルフは単独で里を出ることも不可能なのだそうだ。そうして、エルフの血を持つ者は里の中だけでしか生まれないように、徹底されていた。

「私みたいに追放される以外だと、里を出て暮らすことも許されてなくて。確か、逃亡者が居ると追っ手が付くから」

 出て行ったまま帰らない、というエルフが外で妊娠して子を産む選択も、可能な限りさせないように徹底しているのだろう。妊娠などしてしまえば特に、逃亡者になることは避けたいはずだ。激しい運動も出来ない。白い目で見られることを覚悟でハーフエルフを里内で産む方が、まだ安全ということになってしまう。

 ただ一つの例外は『追放』のようだが、あれはおそらく死刑相当の罰として実施されている。エルフの里の位置的に考えれば追い出された者が生き永らえることは難しい。ラターシャの場合は弓を与えられていたものの、それは彼女に弓を扱う技術が無いからであって、普通に技術のある者なら一切の武器を奪われて追放されるのかもしれない。三人はその考えにも思い至ったが、口にはしなかった。

「お母さんね、私を産んで落ち着いた頃に一度だけ、いつも会ってた約束の場所に行ってみたらしいの。でもお父さんは来なかったって。……仕方ないよね、一年以上経ってたから」

 そうして擦れ違ってしまったラターシャの両親は二度と会うことは無く。父の方は今も、ラターシャという娘が居ることすら何も知らないはずだと言う。

「人とエルフの恋って、切ないんだなぁ……」

 リコットがしんみりと呟く。掟と仕組みを聞く限り、人族とエルフが結ばれ、共に生きられる道は存在しないように思われた。

「ところでラターシャは、お母様と二人きりだと言っていたけれど。祖父母は?」

「あ、それ、私も気になってた」

 ナディアの疑問にルーイも続く。これは以前、アキラも気にしていたことだ。エルフは長命なのだから、祖父母どころか曽祖父母、更にその上まで生きていても不思議はないように思う。みんなも頭の何処かにはあった疑問だから、この機会にと出てきてしまったらしい。ラターシャはまた憂いを見せることなく、軽く頷いて答えた。

「お祖父ちゃんは百年以上前に亡くなってて、お祖母ちゃんは、お父さんと出会う少し前に亡くなったって聞いた」

 つまりどちらもラターシャが生まれる前に亡くなっている。疎遠になっているのかもしれないとアキラが考えたのは杞憂だったことになるが、同時に、ラターシャには本当にもう肉親が居ないということでもある。人族の父は間違いなく肉親なのだけど、ラターシャの存在自体を知らないのだから家族として同じように数えるのは無理があるだろう。一瞬、三姉妹は掛ける言葉を迷った。しかしラターシャは彼女らの表情が曇ったことに気付かずに、目を細め、懐かしそうに表情を緩めた。

「そのせいもあって、お母さんは私を妊娠したって分かった時、自分は一人じゃない、また家族ができるんだって、すごく嬉しかったって言ってた」

 ラターシャはそう言うと、何処かくすぐったそうに笑う。きっとこの話は母から繰り返し聞かされていたのだろう。気恥ずかしくても、少し寂しくても。ラターシャにとっては母の愛情を感じる大切な思い出なのだ。

 また、当時のことが母にとって『ハーフエルフを妊娠してしまった』ではなく、ただただ自らの子を宿した喜びであったことは、聞いている側にとっても、嬉しいことだった。間違いなく、彼女はラターシャを産んだことを後悔などしていない。心からラターシャを愛していたのだろう。三姉妹の表情も、自然と和らいでいた。

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