第582話

 カンナがお茶を持ってくるまでは図面を広げていたんだけど、彼女が部屋に入り込むと同時に片付ける。カンナはお茶をテーブルに並べた後、すぐには着席せず、軽く入口の方を見た。

「扉はこのままで宜しいですか?」

「んー、うん、いいよ」

 今回は別に聞かれて困る話は何も無いだろうし、いちいち閉ざしてしまうと女の子達が気にしてしまうからね。

 さて、改めてカンナと二人、作業机の角を使って斜めに座る。しかし紅茶を一口飲むのを優先する私。大事なことなので。ふう。では話そう。

「昨日さ、私の世界の政治の仕組みを少し聞いたって?」

「はい」

「どのくらい理解した?」

 相変わらず私の問い掛けはやや雑なんだが、カンナは不快感を見せる様子無く、僅かに首を傾けた。仕草が愛らしい。

「まずアキラ様の世界には身分制度がなく、政治的な上位者は広く国民による投票で選ばれること。投票で選ばれた者は一定期間のみ政治的な権力を持つこと。そして、おそらくは議会制による統治なのだと推察しました」

 隠せない喜びに、言葉途中からもう私はニコニコしていた。今求めている『話し相手』として本当、申し分ない人だ。

「うん、完璧。私が女の子達に話した内容は全て把握してくれてるね。議会制も正解だよ」

 カンナは私の言葉に恐縮した様子で少し頭を下げた。撫でたいが、自ら話の腰を折るのも間抜けだから今は置いておこう。

「そんな賢い君に聞きたいんだけど。『議会制』って言葉が存在するってことは、この世界にもその仕組みはあるんだよね?」

 この子をわざわざ『話し相手』として指定したのは、こういう話がしたかったからだ。

 勿論、平民の三姉妹だって色んなことをよく知っているし、政治の話が全く出来ないとは思っていない。ただ、誰よりもしっかり教育を受けているのがカンナだろうから、一番話が早いと思ったのだ。案の定カンナは考え込む時間など全く無く、私を真っ直ぐに見つめながら頷いた。

「はい。共和国は議会制によって政治運営が行われております。ただそれは『有力貴族による議会』であり、平民がそこへ介入することはございません」

「なるほど」

 ダラン・ソマル共和国。元となった国として挙げられたのはダラン王国とソマル王国と聞いているから、共和国となる前は君主制だったようだけど。一方がもう一方を支配して帝国となることなく、互いに手を取り合う制度を作った。だが、身分制度を根底から失くすまでは至らなかったと。まあ、元よりそこまでの考えは双方、あるいは共和国に統合された他全ての国も、持っていなかったのかもしれない。身分という考えは、物心付いた頃から当たり前にあるものだから。

 また、カンナが言うその『有力貴族』も一応は任期があるとのことだが、伯爵以上の位から一定以上の推薦があり、且つ、公爵位らの承認も必要だそうだ。つまり基本的には人員が動くことは無いと言う。

 結局、身分という明確な差が人々の間に立ちはだかる以上、私の知る世界ではないことは明らかだった。それでも、私の感覚では共和国の方がこのウェンカイン王国よりもずっとだ。

「……この世界の政治なんかどうでもいいと思っていたけど。いい加減ちょっと、目に余るんだよね、ウェンカイン王制」

 王様の一存で色んなことが動いていて、彼の動きを制するものが何も無い。王妃が可愛いってだけで無茶な隠蔽工作まで押し通せているのが、あまりにも不可解だった。

「どれくらい王様の自由になるんだろう。宰相とか、強く反対意見を言える人は居ないの?」

 最初に会った時には横からごちゃごちゃ言う男がちらほら居たんだけど。最近、王様に会う時に現れるのは大人しい従者らか、ベルクとコルラード。私を怒らせないように同席させていないだけで実は裏で意見を言っているとかなのかなぁ。という私の優しい予想も、直後に打ち砕かれた。

「簡潔に申しますと、……おりません。我が国は、国王陛下の御決定が全てでございます。陛下の御心を覆せぬ限り、一度下された決定が変更されることはありません」

 は~~~。とんでもねえ独裁政治じゃねえかよ。

 私は長い溜息を吐いて額を押さえる。その間カンナはじっと静かに待っていたが、それはいつも通り従順な彼女だからではなく。ふと見れば、彼女らしくないほど苦い表情をしていた。間もなくして、彼女は酷く迷った様子で口を開く。

「このような物言いをすると、国内では問題になるのですが……我が国は、『宗教国家』に近いのです」

 あ、あぁ~~~! そういうことか!

 今の言葉で伝わったことを私の表情から察知した様子で、カンナは一つ頷いた。

「救世主様の御心と御言葉が、全国民の指針です。そして救世主様が御不在の期間は、王族――ウェンカイン家がその代理人となります。……我々にとって『陛下の御言葉に逆らう』というのは、救世主様へ刃を向けることと変わりありません」

 まだ王様と近しい人ならば『人と人』としての付き合いがあるから多少の苦言を呈すことはあるとしても。王様だけの意見で決定できないような『仕組みを作る』なんて動きは、もはや信仰の否定となる。

 国民全員が信者。

 勿論、その信仰心に強弱はあるとしても。その規模で成り立っている『宗教』だから、一個人がその信仰を否定するという恐ろしさは、宗教にあまり縁のない私でもよく分かった。

 この国の権力があまりにも王様へ偏り過ぎているという状態がようやく腑に落ちた。救世主信仰で成り立っているこの国で、救世主を召喚できる唯一の血筋。そりゃ、覆ることの無い絶対的な権力があるはずだよ。

「ありがとう、物凄く分かりやすい説明だった」

 何処か清々しい思いで私はそう言った。カンナは静かに頭を下げた。そして軽く紅茶を傾けてから改めて話を続けようとして――、まだ俯いたままのカンナに気付いて慌てて紅茶を置いた。

「ごめん。君にとっては言いたくない説明だったね」

「……いえ」

 彼女は否定の言葉を口にしたけれど。視線は上がらず、タグも出なかった。常に正直で真っ直ぐである彼女にしては珍しいことだ。

「この話については、気分が悪くなれば席を立つことを許可するよ」

 従順すぎる彼女に逃げ道を与えるつもりだったが、それでもカンナはじっと固まったままで動かない。けれど「大丈夫」とも答えなかった。しばし動きを待ってみたものの、大人しいままだ。この後に続けようと思っている質問もカンナにとっては気分が悪いだろうと思うんだけど。受け止めてくれるのだろうか。

「『宗教国家』という言葉は、この国の中で教育されるの?」

 案の定、私の言葉にカンナは数秒間沈黙し、答えを渋った。

「……そのように表現する教育は受けません」

 ようやく口にした言葉はそれだけで、じゃあどうしてカンナがそういう表現をしたのかという説明は続かない。そのまま、ゆっくりとカンナが顔を上げる。いつになく弱い目をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る