第579話

 アキラと子供達が出掛けていく様子を窓から見守っていたナディアは、三人が確かにアパートから離れたのを確認して、部屋の方に向き直る。ダイニングテーブルでのんびり座っていたリコットと目が合い、軽く頷き合った二人は、茶葉の棚の前で屈んで何やらゴソゴソしているカンナへと視線を向けた。

「カンナ」

「はい」

「ちょっと良いかしら。あなたに少し、アキラの話をしておきたくて」

 目を瞬いた後で、カンナはゆっくりと立ち上がった。

「アキラ様のお話ですか?」

 彼女は表情も声も感情が読み取りにくい。無垢にも見えるその瞳がじっとナディア達を見つめ返してくるのを受け止めながら、二人は慎重に頷いた。

「ちゃんとアキラにも許可を取ってあるわ。カンナに話してはいけない内容は何も無い、とのことよ」

「ははは、流石」

 リコットがからからと笑う。勿論アキラとしては、ここまでしっかりと自分に対して情報共有をされるという意識までは無くそう告げているのだが、後から知ったとしても怒ることは無いだろう。

「例えば『元の世界でどんな暮らしをしてたか』とか、まだ聞いてないんじゃないかな、と思ってさ」

 リコットが補足すると、カンナは小さく頷いて「お聞きしていません」と返す。

「お城に居る時に話さなかったのは別の意図があるんだろうけど、今はきっとそういうんじゃなくて。うーん、アキラちゃんって自分の弱いところ、あんまり進んで話さないからね」

「見栄っ張りなのよ」

 食い気味にそう告げるナディアは不満げだ。彼女はそれをまるでなじるように言うが、つまるところ、アキラに弱音を吐いてほしいと一番思っているのはナディアなのだろう。

 カンナが二人の掛け合いをじっと見つめたままで居るのに気付いたナディアは、気を取り直すように小さく咳払いをした。

「知っておいてほしい、と思うのは私の勝手な我儘だから。カンナが聞きたくないなら、言わないわ」

 ナディアの言葉に、更に数秒、カンナは彼女をじっと見つめた。そして一度考えるように視線を落とし、感情少なく「いえ」と小さく呟く。そして改めて彼女の無垢な瞳が、二人を見つめた。

「お聞かせ下さい。お茶をお淹れします」

 了承と共に続いた言葉に、ナディアとリコットは少しきょとんとしてから、ふっと笑った。

「ありがとう、頂くわ」

「役得だね~」

 カンナはアキラの侍女である為、他の子達から気軽に「淹れて」というお願いは出来ない。しかし彼女が勤務の日の朝だけは、アキラの指示で全員分を淹れてもらっている。

 女の子達にとっては貴重で有難いとも言えるその癒しの時間を、今回は追加で味わえるらしい。それがナディアとリコットには随分と特別なことに感じられた。

「後でルーイ達にずるいって言われるかな?」

「黙っていればいいのよ」

「はは!」

 ナディアにしては不誠実な言葉に、リコットは堪らず笑った。

「いつでもお淹れできるのですが、……淹れてほしいと言う側にも、色々と考えることがあるのだと侍女部屋でもよく言われました」

 カンナが淹れるお茶は、王宮侍女の中でも特に美味しいと言われている。

 それもあって飲みたがる同僚らも多かったのだが、休憩時に「淹れて」と願うことはカンナを残業させるに等しい。その為、不躾にそれを願う者はなかなか居なかった。

「それなら私が淹れる際に『皆様もどうですか』とお聞きすることにしてみれば、既に飲んでいるものがあっても飲みたいと仰る方が出てきてしまい……」

「分かるなぁ~」

「それくらい、あなたの紅茶は美味しくて、逃したくないのよね」

 三人揃って、うーん、と小さく唸る。

「難しい問題ね」

「はい……」

「ふふ。何の話だっけ」

 脱線していることを失念しつつあったナディアとカンナが同時に目を丸める光景を、リコットはそれこそ『役得』の気持ちで見つめ、目尻を緩めた。

「そうだったわね。アキラの話をしましょう」

「はい」

 気を取り直し。改めてナディアとリコットは、彼女らの知る限りのアキラのことをカンナに話してやった。彼女の元の世界の話や生い立ちは勿論、ナディア達と出会ってからの今までのアキラのこと。

 そのついでに、恋煩いのように憂いながらカンナに会いたがっていたこともナディアが暴露していて、リコットが「それも言っちゃうんだね」と笑う。

「でもまあ、もう、揶揄からかった後だっけ」

 この家でカンナと共に取る初めての朝食を妙に張り切って作っていたアキラに向かって、「愛しい侍女様」という揶揄いは既にしている。アキラは抗議に近い声を上げていたものの、言わないでくれとは願っていなかった。彼女はその辺りを気にする気質ではない。

「『会いたかった』と仰っていたのは、……本当の言葉だったのですね」

 そう呟いたカンナは、すぐに俯き、目を閉じてしまった。その為ナディア達には彼女がどのような感情をその胸に抱いていたのか、見極めようも無い。

 そのまま数秒ほどすると、ハッとした様子でカンナが顔を上げ、「失礼しました。続きを」と居住まいを正す。二人はそれ以上の追及はせず、軽く頷いて続きを話す。

 記憶を辿ってのことになるので多少の前後はあったけれど、一通り話し終えた後。凡そは網羅できただろうと、確認するようにナディアとリコットは軽く頷き合った。

「そういえば、スラン村にはいつ紹介に行くのかしら」

「あー、何にも言ってなかったね。カンナも聞いてない?」

「はい、特には」

 リコットは軽く首を傾けるけれど、すぐに頭を真っ直ぐの位置に戻す。

「それよりも、カンナの誕生日会が優先ってことかな」

「……そんなに大事おおごとになるのでしょうか?」

 やや不安げに呟くカンナを見て、リコットは何処か楽しそうな笑みを浮かべた。

「なるよ。恐縮し過ぎてカンナが一回り小さくなるかも」

「誕生日なのに可哀相なことね」

 冗談なのか本当なのかカンナには判断が付かず、目を瞬くばかりだ。その反応を見守ったリコットは、更に目尻を緩める。

「当日は、アキラちゃんがね、すっごく幸せな顔するから。それも見どころ」

「結局あの人が一番嬉しそうなのよね」

 そんな二人の言葉に一度カンナはくるりと目を丸めて、そしてそれを、ゆっくりと和らげた。

「……それは少し、楽しみに思います」

 自らが盛大に祝われることよりも。アキラがそんなにも嬉しそうにする顔が見られるなら。カンナはそれを見てみたい、楽しみだと思うらしい。

「とりあえず、今のところはこれくらいかしら。話しそびれたことがあれば、また」

「はい。ありがとうございました」

 場を閉じると共に、ナディアとリコットは証拠隠滅の為にいそいそとカップを片付け始める。その横でカンナはまだ少し残っていた紅茶を静かに傾けながら、窺うようにひっそりと二人へ視線を向けていた。

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