第566話

 勝利の日の祝祭は三日間で終了したものの。四日目はまだ街全体が少しざわざわしていた。祝祭のせいで動けなかった住民らが買い物に行くなどで逆にごった返していたのである。よってジオレンが日常を取り戻したのは五日目だった。

「今夜行こうか、ナディ」

 禊の再開。いやしかし朝食の席で夜の話は些か問題があっただろうか。一瞬そう思ったけれど。一拍後に「ええ」と短い了承が返っただけで、長女様からのお小言は無かった。

「カンナは今日お休みだね、何処か行くの?」

 私の元に来て二度目の休暇になるカンナ。一度目が勝利の日に被ってしまって思い通りに行動できなかっただろうし、今日こそのんびりお出掛けするのかも。そう思って問い掛けると、カンナは少しだけ首を傾ける。

「いえ……大聖堂を観に行こうと思っていたのですが」

「うん?」

 行ったらいいのでは? 何か心配事があるのかしら。もう祝祭の名残りは無くなっていて、いつも通り観光できると思うけどな。

「本日は雨になりそうですから、出掛けるのは次の休日にしようかと思っています」

「え、そう?」

 全員の目が窓に向く。太陽の光が差し込んでいて、角度的に空は見えないけれど、少なくとも晴れていることだけは良く分かる光景だ。

「晴れてるみたいだけど……?」

 私が改めて伝えると、カンナが目をぱちぱちと瞬く。可愛い。

「その、絶対ではありませんが。昨夜遅くから湿度が上がり、気圧が下がっておりましたので、そのように予想いたしました」

「ほえー、なるほど」

 お茶を淹れる際、カンナは適切な淹れ方をする為に必ず気温、湿度、気圧などを確認している。だから日頃からその『変化』を見守っているようなもので、湿度上昇と気圧低下が同時に来る場合はよく雨が降る――という経験から、今日は降りそうだって警戒しているらしい。

「教えてくれてありがとう。それは確かに雨になりそうな気象変化だ。みんなも出掛ける時は念の為、傘を持って出てね」

 私の言葉にみんなは少し不思議そうにしながらも頷いていた。天気予報には馴染みが無くてピンと来ないらしい。でも私とカンナが言うから「そっかー」という感じか。素直で愛らしい。

「だけど、カンナは少し残念だったね」

 折角お休みだったのに。前回は祝祭と被っちゃったし。私のお休み設定が少し悪かっただろうか。しかしカンナは緩く首を横に振った。

「お休みは今日だけではありませんから」

 優しい声だった。まるで自分じゃなくて私を慰めるようだ。勝手にカンナの悲しい気持ちを想像して、眉を下げてしまっていたのかも。眉間を揉んだら、偶に同じ仕草をするリコットがくすりと笑った。

 それにしても、雨か。

 まだ降っていないし、降るかどうかも分からないけど。……降ってほしくないな。そう思いながら口に含んだサンドイッチは、ついさっきまでと違ってあんまり味がしなかった。


「――わぁ。本当に降ってきちゃったね」

「ベランダには何も干してないー?」

「うん、さっきナディアと一緒に取り込んだよ」

 昼下がり。工作部屋に籠っていた私は、リビングから聞こえた声に顔を上げた。工作部屋はアパートの廊下側にある部屋の為、窓が無い。雨の音もこちらまでは届いていないから、まだ小雨なんだと思う。

「カンナ……」

「呼ぶの?」

 小さく言うと同時に、同じく工作部屋に居たナディアが聞いてきた。だけど私は、首を振った。

「いや。忘れてた。今日はお休みだ」

「……そうだったわね」

 ナディアも忘れていたらしい。私は今、お茶を求めようとしてしまったのだ。今日はカンナにお茶を頼めない為、いつも通りにコーヒーを飲んでいる。

 お代わりは、欲しかったけど。部屋から出るのが少し嫌だったから、諦めてマグカップを机の端に寄せた。

「アキラ」

「ん」

 少し反応が遅れて、一拍後に顔を上げた。ナディアが私の方を見ていた。

「お代わりは? 欲しいならついでに淹れてくるわ」

「……うん、ほしい」

 多分まだナディアのコーヒーは底を突いていない。むしろ私の分のついでに自分の分を淹れる気だと思う。タグを『本当』にしつつ上手く誤魔化す言い方を心得ていらっしゃる。そんな賢い長女様の気遣いを無下にするのも違うと思ったので、素直に受けることにした。

 ナディアが私のマグカップを回収して、部屋を出て行くのを見守ってから。椅子の背に体重を掛けて、一度大きく、天井を見上げながら深呼吸をした。そして彼女が戻ってくる前にと姿勢を整え、改めて目の前のものに向き合う。

 今日の午前中、ようやく全ての道具の加工が終わった。あとはナディアに使用感を見てもらうだけなんだけど。カンナのエプロンも制作済みのナディアは今日、自身の分も作りたいということなので、道具の試用はそれが終わるのを待つことに。だからその件はまた後でとして。私はミシンの構造確認の為、一台の分解を開始している。

 まずは、魔力付与されていない方の仕組みを理解したい。その後、白い方を確認する予定だ。いずれも分解した後はまたちゃんと元に戻すのだから、ぼーっと分解してはいけない。集中しなくては。

「此処に置くわね」

 数分後に戻ったナディアが、新しいコーヒーを置いてくれた。逆に今度は集中し過ぎて反応できなかった。「ありがとう」と告げる頃には背を向けられているかと思いつつ顔を上げたが、ナディアはまだそこに居た。そして目を細めると、一歩、私の方に近寄った。

「大丈夫?」

「え、なに」

 ナディアの手が私の頬を撫でる。目を瞬いていると、更にナディアが身を寄せてきた。私はちょっとびっくりして仰け反った。

「雨で調子が出ないなら、今夜は無理しなくてもいいわよ」

 今朝、夜のお出掛けをお誘いしたものの。あの時はまだ雨が降るとは知らなかった。降り始めてしまったから、雨嫌いな私を心配してくれているようだ。

「いや、行きたい。ナディは、それでもいい?」

「私は構わないわ」

 ホッとした。雨の日だからって予定を空けちゃったらもっと嫌な気持ちになるかもしれない。安堵で小さく息を吐いたら、ナディアが少し眉を寄せて、身を屈めた。そして徐に彼女の唇が私の眉尻に触れてくる。思わず「え」と戸惑いの声が漏れた。ベッド以外でこんな風にナディアが触れてくるなんて。一体何がどうなっているんだ。

 驚き過ぎて今度は固まっていると、「ありゃ」と、扉の方から声が聞こえた。

「珍しい。二人がイチャ付いてる」

「……何もしていないわ」

 明らかに『嘘』のタグがナディアからぴょこんと出ていますが、リコットには見えないんだよな。ナディアは扉側に背を向けていたから、キスしたところも全く見えていないと思う。でもキスできる程度に顔を寄せたのは後ろからでも分かるよね。

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