第565話

「カンナはまだキッチン?」

「ええ……まるで薬の調合をしているかのように、熱心に茶葉と向き合っているわよ。蒸らし時間やお湯の量、ブレンドも色んなパターンで試しているみたい」

「ははは、流石の拘りだ」

 黙々とやっていて、ナディアでも声が掛けにくい状態とのこと。面白い。私もコーヒーを淹れるついでに観に行こうかな。思い立ったら即行動。ナディアと入れ違うようにして工作部屋を出る。

 しかし流石は侍女様。休日でも主人である私の姿には即座に反応し、ぱっと此方を向いた。申し訳ない。用事は無いと伝えるように軽く首を振れば、カンナは小さく会釈をしてくれた。伝わったと思う。

 ちなみにカンナは結局、調理用テーブルの全体を使うことなく、半分ほどの占領で済んでいた。このテーブルは結構大きいから、カンナのように小柄な子では逆側の端まで手を伸ばしても届かない。そのせいでもあるのだろう。

 しかし私は空いているスペースではなく、コンロ横にある調理スペースを利用してコーヒーを淹れた。こっちの方がシンクも近くて楽だというのもあるし、カンナの視界に入ってその集中を妨げたくないというのもある。

 だけど、私が抽出器具にお湯を入れた瞬間。背後でカンナがはっと息を呑んだ音がした。結局、妨げてしまったようだ。

「申し訳ございません、お気遣い頂いて……」

「はは。カンナは魔力感知が鋭いねぇ。これくらい大した手間じゃないから、気にしないでいいよ」

 手元の抽出器具に消臭魔法を掛けて淹れていたら、すぐに気付かれてしまった。カンナは魔力感知がしっかりしている上、手元を見ればコーヒーを淹れているのに匂いがしないのも分かる。紅茶の試飲中であるカンナの為のことだとバレバレだ。

 でも消臭魔法くらいそんなに大仰な気遣いではない。私は軽く首を振った。

 抽出後のコーヒーかすからも匂いが漏れないようにきちんと処理を終えてから、魔法を解く。ただし私が今持っているマグカップにはまだ消臭魔法を付与したまま。こっちは工作部屋で解きましょう。

「夢中になれる趣味があるのは大歓迎だよ、見てて可愛いからね」

 振り返ればまだ私の方を見ていたカンナに、そう言って笑みを向ける。カンナはやや戸惑った様子で目を瞬いた。

「いい茶葉は手に入った?」

「……はい。教えて頂いたお店を二軒回りましたが、私の知らぬ茶葉が多くありました」

 そう話すカンナは少しだけ目尻を上気させていた。

 本人としてはその中からも更に吟味して買ってきたらしいけれど、買ったのは八種類。まずはそれぞれの配分を商品説明の記載通りに淹れつつ、自分なりに最適の温度・分量・蒸らし時間など諸々を見つけ出す。その上で、他のものとの組み合わせ――ミルク、違う茶葉とのブレンド、お茶菓子との食べ合わせ等を考えていく。紅茶のアレンジはカンナ曰く無限にあるそうなので、やり始めるとキリが無いらしい。ふふ。それを教えてくれるカンナが本当に楽しそうで可愛いよ。

「カンナの及第点が出たら、また私にも飲ませてね」

「はい、勿論でございます」

 可愛いなぁ。よしよしと頭を撫で、「無理しないでね」とだけ告げたら。これ以上の邪魔をしないようにその場を離れた。

「かわいかった」

「……そのだらしない顔を見るだけで分かるわ」

 工作部屋に戻って感想を伝えると、即座にナディアからは呆れた声を返された。おかしいな。私はいつも通りキリッとしているはずなのに。キリッ。唐突に真剣な表情に変えたらナディアが「ンフッ」って笑った。やったぜ。我らが長女様を無防備に笑わせてやった。

 しかし満足感で私の表情はすぐに崩れてしまったし、何だか悔しかったらしいナディアに軽く腰辺りを叩かれた。ああっ、やめてっ、今コーヒーを持っているんです。そんな状態で人を揶揄う私が悪いんだけども。

 その後、間もなくしてリコット達も手土産のケーキを持って帰ってきて。各々好きな飲み物を片手にお茶会である。カンナはお片付けに手間取っていたけど、丁度いいから切り上げるらしい。良い子だねぇ。

 こうして私は、可愛い女の子達のお陰で不機嫌になることなく、祝祭一日目を終えた。

 そして、祝祭二日目となる翌日。

 少し考えていた通り、私は午後から短い散歩に出掛けた。

 カンナは勤務の日なので当然のように随行してくれて、見張り役としてはナディアが来た。一日目はナディアも部屋に籠っていたし、少しは外を見たかったというのもあるかもしれない。分からない。リコットと子供達が既に一日目の観光で疲れ果てているから代わっただけかも。

 ただ、もしも『見たかった』が理由なら申し訳なかったんだけど。

 私は本当に遠くの遠くから大聖堂付近の賑わいを眺め、市場や大きな通りの人々の賑わいを見学して、特に何をするでもなく、何を買うでもなくそのまま帰宅した。付いて来ていたカンナとナディアも、私を出迎えたお留守番組の三人も、そんな私を気遣わしげに見つめただけで何も言わなかった。

 来年はもう少し、気楽に受け止められるといいな。

 その比較をする為の経験だったと思えば、まあいいか。

「アキラ様、何かお淹れ致しますか?」

 優しい声でカンナが聞いてくる。それに私はたっぷり三秒ほど沈黙してから答えた。

「甘いお菓子と、それに合うお茶が欲しいな」

 疲れたからね。うんと甘いものがいい。言わんとしていることをすぐに汲み取ってくれた有能な侍女様はただ静かに「畏まりました」と告げ、二十分後には私の傍に甘いお茶菓子とミルクティーを置いてくれた。

「ブランデーをお淹れしても構いませんか?」

 私が手を伸ばす前に、そう言って小瓶を見せてくる。ふむ。美味しそうだけど。満足したらそのまま寝ちゃいそう。そんな考えを読んだように、カンナは少し目を細めて静かに囁く。

「少しお休みになられても宜しいのではありませんか。お疲れのようです」

 甘やかしてくれるみたいなその声だけで、もう眠くなりそうだった。うん、まあ、そうかもしれない。連日、細かい作業もしていたし。ちょっと今日はお昼寝して、休息を取ろうか。私が「そうだね」と言って頷いたら、カンナがミルクティーにブランデーを少し加えてくれた。

 出してくれたお菓子もミルクチョコレートで、たっぷりと甘い。

 のんびりとそれらを味わった後でカウチに寝そべれば、ブランケットを掛けてくれるカンナにお礼も言えないくらいの速さで眠った。

 少し嫌な気持ちになる時は、やっぱり寝るのが一番だね。思ったよりずっと穏やかな眠りを得た私は、夕方にはいつも通り、呑気な笑顔でみんなと喋ることが出来た。

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