第563話

 私が腰を落ち着けた後、数秒だけ考えるように沈黙を置いてから、ナディアは続きを言った。

「アキラは、救世主として見られることが嫌でしょう? ……なのにあなたが選んだ人がだってことが、信じられなかった」

 そう話すナディアは不愉快そうではなく、傷付いたみたいな顔をしていた。だから彼女が抱いているのは怒りではなくて、悲しみなんだと思う。

「心配してくれてるんだね、ナディ。ありがとう」

 私の言葉に、ナディアの猫耳がぺたんとした。可愛い。

「大丈夫だよ。あの子はあの子なりに、私を見てくれてるよ」

 カンナの中の私は、決して『偶像』ではない。名前の無い『救世主』でもない。あの子はずっと私をアキラと呼んでくれているし、私の具合が悪い時には心配そうに見つめてくれる。一緒に居る時は、どうすれば心地良くなるかを考えてくれる。それは形の無いものに向けるにしてはあまりに温度がある気遣いだ。

「あの子の中で、まだ整理もついていないかもね」

 彼女は多分みんなよりずっと深く、強く、信仰心を『教育』されているから。例えそれが揺らぐような考えと気持ちにぶつかっても、根底にある思考を手放すことは難しいはずだ。

「だからちょっと行き違うことがあっても、喧嘩しないでくれたらいいな。どうしても困ったときは先に私に教えてね」

 そう告げると、リコットがふっと笑った。

「私達はアキラちゃんが傷付かないかを気にしてるだけだよ。喧嘩はしないよ」

 そっか。そうだね。あちらこちらで喧嘩して帰ってくるのは私だけです。呆れた顔をされたように思ったのでそういう指摘だと思ったんだけど。どうだろうな。みんなが眉を下げて笑いながら視線を交わし合った理由は、私には教えてもらえないのです。

 十五分くらいすると、リコットとラターシャとルーイもまたお外へ遊びに行った。次に帰ってくる時は、お留守番組の私達にお土産も買ってきてくれるらしい。優しい子達だ。

「おや」

 三人を窓から見送っていた私は、不意にそう呟く。ナディアが振り返って、首を傾けた。

 そして同じく窓の外を覗いたナディアも、「あら」と似たような反応をする。もう伝わったと思う。出て行こうとしている三人とカンナが、アパート前で喋っていたのだ。

 どうやらカンナはもう帰って来たらしい。三人と短く会話した後、アパートの方へと入った。

「ナディは、階下の音ってあんまり聞こえないの?」

 音が拾えていたら、私が気付く前にさっきの光景は察知できそうだったが。そう思って尋ねてみる。軽く首を傾けたナディアは、右の猫耳だけをプルプルと震わせた。なんだそれ。可愛い。

「あの子達もあんまり大きな声で話していなかったし、それに今日は流石に外が騒がしくて」

 なるほど、そりゃそうだ。私の耳でも今日はずっと外から何かしらの音楽が聞こえているんだから、ナディアの耳にはもっとはっきりと聞こえていて、更に私には聞こえていない音まで拾っているはず。……うーん、大変そう。同情しているのが顔だけで読まれてしまい、ナディアは首を振った。

「普段でも窓を閉め切っていたら、階下の会話内容までは分からないわ。この家の作りが良いのだと思う」

 ほう。確かにこの家は私の感覚でも外部からの音が入りにくいし、内部の音も出て行きにくい。音に敏感なナディアにとってはこの家で勝利の日を迎えたのは丁度良かったかもね。前の宿ならもっと音楽や喧噪も大きな音で響いていたかも。

 そんな会話をしている間に、噂のカンナが玄関に到着。今度は特に立ち止まることなく入って来た。

「おかえり。早かったね?」

「午前に手紙を出し忘れたので、それだけを」

「ああ」

 本当は午前の帰りにでも出すつもりだったのを、時間に余裕が無くて省略してしまったんだろう。だから彼女の今の発言に『嘘』が出たのは「忘れた」のが嘘だろうな。手紙だけ出してきたって点は本当だと思う。多分ね。

「ご実家に出したんだっけ?」

「はい、父と、王宮の侍女長、そしてソフィア様に出しました」

 自分の為じゃなくて相手を安心させたいという理由での人選っぽいな。如何にもカンナの現状を心配していそうな相手ばかりだ。

「アキラ様やナディア達については何も書いておりません。私が元気にしていることと、今はジオレンに滞在していることを伝える内容です。父には、先日ナディアとの話題に上がった小説のことも」

 内容を報告してくるなんて真面目だなぁ。私は笑顔で頷いておいた。

 その後、カンナは上着をリビングのクローゼットに仕舞った後、寝室に消えた。

 みんなの私物を置く棚はそれぞれのベッド脇に一つずつ設置している為、洋服と本を除く私物はみんなそこに持っている。だから今日買ってきたものなどを片付けているのかもしれない。等と、後からふとそう思っただけで、彼女が寝室に行った時点ではあまり気にせず、私は自分のコーヒーを淹れ直していた。

「あ、カンナ」

「はい」

 そして彼女が再びリビングに現れ、茶葉の棚の上に何か紙袋を置いたところで声を掛ける。

「聞こうと思ってたんだけど、誕生日に御実家に帰るとか、普段はしてた?」

 さっきの話題である。もう日が迫っているので、早めに確認が必要だ。

「いいえ。互いの誕生日も、祝いの品と手紙のやり取りのみでした。最後に帰ったのは三番目の姉の結婚式だったと思います」

 そういう冠婚葬祭以外では帰るつもりが無かった様子だ。王宮ではきちんと休暇が取れるので帰れなかったわけではないそうだけど、カンナは仕事人間だからなぁ。あまり長い休暇を貰うのは嫌だったみたい。

「数年は、贈り物も断っておりました。多くは新しいドレスや宝石を贈られるのですが、着飾る機会が年々減っておりますので」

「機会ねぇ。お茶会とか、舞踏会?」

「はい、あとは晩餐会、サロンなどですね」

 ふむふむ。それぞれに適した服装もあるし、同じドレスを着続けることも目立つからと、毎年何かしら新しいものが必要になるらしいけれど。家族全員から贈られてくるとなると流石に着なかったものが出てきて、それが年々増え続ける……という事態に陥り、カンナはそれらの贈り物にご辞退申し上げる運びになったという。なるほどねぇ。貴族令嬢は大変だな。

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