第560話

 その後一時間と経たない内に、リコットと子供達、そしてカンナも準備を済ませて出掛けて行った。この広い家にナディアと二人。普段なら工作部屋にさっさと入り込む私は、特に意味も無くテーブルに頬杖を付いてぼーっとしながら、窓の向こうに見える空を眺めていた。

「……そういえば」

 私がぽつりと呟くと、向かいの椅子に座って同じくコーヒーを飲んでいたナディアが顔を上げる。

「カンナは、食事の時に祈りを捧げないね」

 敬虔な信者はそういうものだとナディア達に教えてもらったから、貴族ならほとんどがそのような習慣を持っていると思っていた。それとも貴族はまた違うのかな。王様達との晩餐会でも祈りのくだりは無かったし……いやしかしあれは、私が目の前に居たから省いた可能性も高いんだよな。

 カンナが我慢していないなら、それでいいんだけど。この家では誰も祈らないから合わせてくれているのだとしたら、ちょっと申し訳ない。

「確かに、初めて一緒に朝食をした時……カンナは私達が食べ始めるのを待っていたわね。様子を窺っていたのかもしれないわ」

 ナディアが記憶を辿るように目を細めてそう言った。

 祈りを捧げるかどうか。捧げるならどういう形式で行うか。食べる時の作法は。貴族令嬢と平民では、あらゆる文化が異なるだろう。カンナもそれを分かっているから、みんなの出方を窺い、それに合わせるように努めたのかもしれない。

 ちなみに私が必ず言う「いただきます!」、ラターシャと三姉妹も最初は「なにそれ」だった。今では一緒に言ってくれている。伝染させた。

 だけどそんな私と違ってカンナは、身勝手に自分の文化を貫きはしないだろうな。

「聞いてしまえば、正確な答えが……いえ、だからあなたは、聞けないのね」

「そうだね」

 あっさりとバレてしまった心情が妙に情けなくて面白くて、眉を下げて笑う。ナディアは何処か呆れた様子で溜息を吐いていた。

 私が聞けば、相手がどう答えようともタグが真実を教えてくれる。相手が回答を拒んでも聞き方によっては、沈黙がおおよその答えになることもある。

 あまりカンナを困らせたくはない。だから心配だと思っても、さて、どう聞けば困らせないでいられるのだろうかと悩んでしまうのだ。

「私も娼館に入ってすぐの頃は、まだ心の中だけで祈っていたの」

 ナディアは敬虔な信者が多い町の生まれだ。子供の頃は食事の時に、ルーイ同様、救世主へと祈りを捧げていたと言っていた。でもそれをリコットやルーイは知らなかった。つまり娼館ではしていなかった。

 彼女は『心の中』へとそれを仕舞い込み、意図的に隠していたらしい。

 娼館に売られたような境遇で平和を祈って救世主に祈りを捧げる行為を、彼女はバカげたことだと少し思っていたのだと言う。

 最初はただ、周りがやらないから隠した。しばらくは形骸的に、子供の頃から『そういうもの』だったからと続けていたらしいけれど。外の世界を知り、自分以外の『不幸な子供達』を見て、一層ばかばかしく思った。そうして次第に、祈ることをしなくなったのだそうだ。

「話が逸れたけれど……。気持ちさえあれば心の中でだって祈りは捧げられるの。みんなの前で堂々と祈らないからって、窮屈と思うほどのことではないわ。勿論、感覚は人にもよるでしょうけれど」

 少なくともナディアが知っている範囲では、場にそぐわない場合には祈りを簡略化して、大っぴらに祈らないことはあるとのこと。だからカンナもただそうしてこっそり祈っているだけかもしれないし、私の考え過ぎということもあると。うん、慰めてくれているらしい。

「ありがと。どうしても気になるなら、また自分で聞くよ。聞かないなら、気にしないことにする」

「そうね、それで良いと思うわ」

 返す言葉のトーンもいつになく優しくて甘く聞こえた。その気遣い嬉しくて、自然と笑みが浮かぶ。

「ところでナディ」

「なに」

「順番的には次、ナディなんですが」

「……今日はどの店も宿も、きっと空いていないわよ」

 そうなんだよね。外泊が、この時期は非常に難しい。だからこんなにしっかりと被る時期に禊期間を持ってきたのは失敗だったなーと今更思います。

 昨夜のリコットとの外泊も宿の価格帯をぐっと上げたのでまだ空いていたが、それでもあと三部屋しかないって言っていた。最悪の場合は転移で街の外にテントを張るところだよ。つまり外泊自体は不可能じゃないけど。流石にしっかりとした部屋がいいだろう。私じゃなくって、女の子達が。

「四日目か五日目には落ち着くだろうから、その頃でいい?」

「ええ」

 子供達にも、その辺りの予定を伝えておかないとな。明後日がお出掛けだ~と思って予定を立てていたら可哀相だからね。予定は未定と事前に伝えはしたものの。はっきりしない予定はいつも怒られるので。

「さてと。私は工作部屋にでも行くかな。あ、コーヒーも淹れよっと。ナディも要る?」

「いえ、まだ私は残っているから」

「そう」

 お代わりを淹れて。工作部屋に行くかぁ。と、いそいそ移動したら、間もなくしてナディアも移動してきた。また今日もエプロンを作るのかな。そういえばまだカンナと私の分が残っていたっけ。

 そう思った通り、ナディアは昨日と同じ布を引っ張り出して、ミシンの方に座っていた。もうすっかり気に入っちゃったねぇ。もしかして部屋に残ったの、ミシンも理由だったりして。

 部屋にミシンの音が響き始めると、それ以外の余計な音が入らなくなっていく。これ幸いと私も手元に集中した。

「アキラ」

「ん~……」

 どれくらいの時間が経ったか分からないが、不意にナディアに呼ばれる。

 生返事になってしまったが、「ちょっと待って」の意である。うーん、回路が上手く入らない。うーん。まあいいや、ナディアを優先しよう。持っていた道具を机に置く。

「はい。ごめん、どしたの?」

「サイズ調整をしたいのだけど、手が空いたら」

「あー、今いいよ。そっち立てばいいかな?」

「ええ」

 マネキン役ですね。立ち上がって傍に行ったら、早速エプロンを着せられた。おお、いいねぇ。胸から腰の辺りの造りはシンプルだけど、腰下の部分がボックスプリーツだ。折れ目は左右の太腿辺りに一つずつだけ。可愛い。そして丈が脛近くまである。長いエプロンですね。工作で座りながら使うには丁度いいかも。

「じっとして」

「うぁい」

 後ろ側も見たくてきょろきょろしていたら怒られました。はい。今度は地蔵のように……いや正しくマネキンのようにピタリと静止しました。

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