第559話

 朝食を終えたら、今日お休みのカンナに代わってリコットがコーヒーを淹れてくれた。それを傾けた頃。食器を片付けたナディアが、不意に窓の外へ目をやる。

「――賑やかになってきたわね」

 猫耳が、窓の外を向いていた。みんなが私を窺うように見たのも分かった。既に私の耳にも、遠くで音楽が響いているのは聞こえている。

 今日は、二番目の月である淡紅あわべにの一日目。『勝利の日』の祝祭が行われる日だ。

 先月の半ばから、街のあちこちに祝祭の日程に関する知らせが張り出され、日に日に飾り物は増えていた。誰の目にもそれは明らかだったが、私が一度も触れなかったから、みんなも私の前では話題にしないでいてくれた。

 別にね、この世界のお祭りごとってだけだから、怒ってるわけじゃないんだけど。どう受け止めようかと迷っている内に、今日を迎えてしまったのだ。みんなにはそんな私の優柔不断に付き合わせて、気を遣わせて、申し訳ないとは思っている。

「みんなは今日、どうするの?」

 なるべく軽い調子で私が問うと、女の子達はそれぞれ視線を交わし合っていた。

「折角ジオレンに居るから――とも、最初は思ったけれど。此処は本当に大きなお祭りになるみたいなの。私やルーイだと、少し危ないかもしれないわ」

 ジオレンには、救世主を祀る大聖堂がある。王都が一番賑わうそうだけど、その次がジオレンだと言われている。つまり、相当数の信者が押し寄せる。

 混雑というよりは混沌とも言える騒ぎになることがあり、市場も含めて人がごった返すそうだ。普段のちょっとした人混みでも負けてしまいそうなルーイとナディアは、下手に踏み込むと身の危険すらあるかもしれない。

「司教様が来て祈りを捧げるのは、今日だけなんだよね?」

 ルーイがナディアを見ながら問い掛けた。『司教』とは以前ナディアが説明してくれた通り、『司祭』らの上に立つ偉い御方だ。ジオレンは大きな聖堂だから、司祭と比べれば数の少ないその尊い御方が直々に祈りを捧げてくれるのだという。日々の教会ではあまり聞く機会が無いとのことで、それだけを目的としてジオレンに来る敬虔な信者も多いらしい。

「ええ。だから今日が一番の人混みで、明日以降は少し減ってくれるでしょう。それでも通常よりは多いでしょうけれど」

 このように事前にいくらか『噂』を聞けても、私達は今回初めてジオレンで勝利の日を迎える。私に至ってはこの世界に来て初めての経験だ。どのような状況になるのか皆目見当も付かない。

 なお、もしも王様から王都の祝祭に参加してほしいとか連絡が来たら爆発しようと思っていたが、結局何も来なかった。当日に言ってくるほど馬鹿でもないだろうし、おそらく弁えているんだろう。

 いやむしろ『救世主』という役割としては明らかに非協力的な私には、こんな大事な日こそ遠くで過ごしてほしいと思っている可能性もある。信者らの心を盛大にぶち壊されてしまったら、この国は大混乱間違いなしだ。

 なんて。城のことはまあ、いいとして。

 今日この日、私はどう過ごすべきだろうな。ずっと先延ばしにしていた結論を、流石にもう出さなければならない。だけど『どうして迷うのか』を紐解くほど、もう答えは決まっているようなものだった。

「祈りを聞いたら気分を害しそうだから、私は止めておこうかな。この家で、窓の外だけ楽しむよ」

 苦笑してそう言えば、みんなはちょっと心配そうに眉を下げて頷いた。

 賑やかな祭りそのものは、嫌いではない。救世主としての立場を拒絶した私に祈りは何の関係も無く、全ては過去の救世主に向けられるものだ。

 そう思っても。その『過去の救世主ら』が、私と同じく全てを奪われて此処に来たのだと思うほど。……唯一知っている、二代目の救世主の写真を思い返すほど。気分が悪いんだ。

 だから、まだ心の整理が付いていないこんな状態では行かない方が良い、という結論だった。この世界での年月を積み重ねて、いつかは心乱されることなく聞き流せるかもしれないし。行くならその頃でも良いだろう。

「私も今日は、部屋に居るわ。興味はあるけど。……人混みは嫌いなのよ」

 続いたナディアの言葉には『本当』が出たし、『らしい』意見だからちょっと笑った。勿論、私が残るなら誰かは残るだろうし、そういう意味では他の子らが「行きたい」と言えるようにって気遣いでもあるのは、分かっている。

 しかし当然そんなことを突っ込んだらきっと怒られるし、彼女の思い遣りを無下にすることになってしまう。私は彼女には何も言わずに、そのままカンナの方へと視線を向けた。それに応じて、カンナも顔を上げる。

「君は今日、お休みだから。好きにして構わないからね」

 この子も貴族だし、救世主信仰は厚いはずだ。私に気遣ってしまわないようにと敢えて名指しで言ってみる。カンナは私をじっと見つめてから、視線を落とした。

「私が尊ぶべき御方は此処におられます。聖堂で祈る必要はございません」

 彼女の言葉に一瞬、女の子達がぎょっとした顔をした。私はそれに知らない振りを決め込んで、カンナだけを見つめ続ける。

「ですが折角のお休みでもございますので、少し街は見て参ろうと思っております。あまり、混み合っていないところに」

「ふふ、そうだね。出掛ける時は気を付けてね」

 流石に市場と大聖堂を避けさえすれば、歩くのに困るほどの状況ではないだろう。迷子にさえ気を付けてくれたら、カンナが一人で歩いてもあまり心配は無いと思っている。穏やかなままの私を見て、女の子達は少しだけ安堵した様子だった。

 女の子達は、カンナがまだ私を『救世主』としてことに、びっくりしたんだと思う。だけど冷静に考えれば、おかしなことではない。出会った瞬間からカンナにとって私は『救世主』だった。

 出会った『後』にそうだと知った子達と比べて感じ方は大きく違うだろうし、幼少期からしっかりと救世主信仰の教育を受けている貴族令嬢の考えを、そんなに容易に覆せるとも思っていない。

 カンナが私を救世主ではなくアキラと呼んでくれる限り、心の中がどうだって、私は構わないよ。一瞬だけ変な空気になったけれど、いつも通り、リコットが明るい声を挟んでくれた。

「私は、ルーイとラターシャが行くなら付いて行こうかな。念の為ね。二人じゃ心配だし」

 そう言ってリコットが子供達に笑い掛ける。そうだね、リコットが行ってくれたら、私達も安心だ。

 ルーイとラターシャは二人で少し顔を見合わせると、揃って「観に行きたい」と言った。興味はあるものの私達が行かないからどうしようって思っていたみたいだ。リコットが一緒に行ってくれるし、私とナディアも了承を示して頷いたから、ホッとした顔で出掛ける予定を立て始める。可愛いね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る