第558話

「私よりアキラちゃんが心配だなって正直思った」

「うん?」

 お風呂から一緒に上がって、互いの髪を乾かし終えた後、ごろごろしながら徐にリコットがそう言った。私は髪を結い上げて、改めてベッドに上がる。

「なんで?」

「アキラちゃんって女慣れしてるくせに、なんか、思った以上に興奮してるよね」

「しますが?」

 するに決まってるでしょ。何を言ってるんだ。愛しい女の子が裸で目の前に居るんですよ。理性は焼き切れるもの。

 何もおかしい点が無い至極当然のことだと思いながら言い切るも、リコットがお腹を抱えて笑う。

「そのせいで心配なんだってば。お風呂で興奮したら倒れるよ?」

「確かに」

 お風呂で行為に及ばないというのは誰より私の為に大事だったのかもしれない。って言うか私がお風呂で倒れたら女の子も大変だからね。女の子を思えば猶の事、行為に及んではいけないのだ。

「アキラちゃん、気持ち悪くなってない?」

 さっきお風呂では私がリコットに聞いたんだけど。仕返しみたいに聞いてくる。ふふっと笑って、「大丈夫だよ」と答えた。

 じゃあ改めて、理性をじっくり焼きますか。

 ずっとベッドの端から端までごろごろ転がって遊んでいる可愛い子を捕まえるべく、その上に覆い被さる。そんなことで驚いたはずもないのに、リコットが「わぁ~」と楽しそうな声を上げて笑った。

「あー、そういうところも好きだな」

「うん?」

 二人でシーツに包まって、ぽつりと零したら、リコットが首を傾けた。

「ベッドの前後、少しはしゃぐ。相手の緊張を解く意味もあるだろうけど、君自身が、気恥ずかしくも怖くもならないように」

 ぎょっとした様子で、リコットの目が丸まる。

「本当は少し怖がりだよね、それから、恥ずかしがり屋だ」

「な、ちが、いや、ちょっ、アキラちゃん!」

 慌てて取り繕おうとしたって、タグが見える私から逃れる形の『取り繕い』が咄嗟に思い浮かばなかったらしい。とにかく私を口調の勢いだけで黙らせようとしていた。愛らしい無駄な抵抗だ。

「あと、すごく優しい。大切だと思った人を大切にする時、それが相手に伝わらなくたっていいって思ってる。ただただ静かに、気付かせないように、そっと大事にしてる」

 さり気ないフォローも、見えないところでのちょっとした気遣いも。もしも相手が気付かなかったら、リコットがどれだけ相手を大切に思っているか、愛しているかという気持ちが本人に届くことは永遠に無いのに。それでもリコットは構わなくて。むしろ相手が気付いてしまって重荷に思わないようにと、色んなものの中に紛れ込ませて相手を思い遣る。深くて静かで、美しい愛情。いつもうるさいばかりの私とは違うよ。

「さ、さっきのやつなら、もういいってば!」

「だめ」

 珍しく私を押し返そうとするリコットの手の力に逆らい、ぐっと身を寄せた。

「もう、リコのことしか考えない時間だからね。たっぷり伝えられるし、二人きりだから容赦もしなくていいでしょ?」

「容赦はして」

 困り果てた顔。暗くてよく分からないが、頬に口付ければそこはすっかりと熱かった。

「私の気が済むまで、付き合ってね、可愛いリコ」

「……ほんっと、藪蛇……」

 喉の奥で唸る姿すら愛らしくて。首筋にそっと口付けを落とした。

 こんな調子だったから、翌朝の私達は少し朝寝坊。もうすっかり日が昇ってしまったけれど、腕の中ですやすや眠るリコットの髪を撫でながら微睡んでいた。久しぶりに女の子とゆっくり過ごす夜だったせいか、なんか身体いっぱいに幸せな感覚がぱちぱちしていて、気持ちがいい。

「んん、くすぐったい……」

 幸せな夜のことを思い返しつつぼーっとしていたら、腕の中でリコットがぽしょりと小さく呟いた。

「んぁ、ごめん……」

 私も寝惚けていたので、返した声がふわふわになった。

 今リコットに抗議を受けたのは、私が髪を撫でるついでに地肌も指先で撫でていたせいだ。しかし私は寝惚けていたのでわざとではなくて手が勝手にそうした。リコットも声で私が半分寝ていたのに気付いたようで、くつくつと笑う。

「おはよー」

「うん、おはよう、リコ」

 朝の挨拶を交わしながらも、リコットは今すぐ起きるつもりではないようだ。目を開けることなく私の胸に擦り寄った。可愛い。ぎゅっとしよう。ぎゅー。リコットはちょっと肩を縮めながら、くすぐったそうに笑う。

「起きた時、アキラちゃんがベッドに居るの、すごく好き」

「うん?」

 嬉しいことを言われた気がする。慌てて目を瞬いて聞き返したけど、先んじて声に喜びが滲んでしまった。

 リコットが顔を上げて、頬に額を擦り付けてくる。私を見つめる目は起き抜けとろとろの薄緑色。それが無性に愛しくて、彼女の額に口付けを落とした。

「仕事した時に、ベッドでそのまま一緒に寝ることなんか無かったからさ」

 娼館での仕事か。そりゃそうだね。客の前で眠るなんて失態になる。どんなに疲れ果てても彼女らは眠ってはいけない。元気なままで仕事を終えて、きちんと客を見送る必要があるのだ。

「疲れたらそのまま眠れて、怖いことも何も無くって、起きたら優しく抱いてくれてるの。……夢に見ることすら馬鹿馬鹿しかった『当たり前』の中に自分が居る。こうして目を覚ます度に、なんか、感動しちゃうよ」

 愛を交わすベッドにおいて当然の流れだけど。この子にとってはあまりに無縁なものだったんだよな。娼婦をしていた三姉妹は全員そうだとは言っても。何を傷に思うか、どの変化を幸せに思うかは人それぞれだ。少なくともリコットは、安心して眠って目覚めることのできるこの時間を、嬉しく思ってくれているみたい。

「毎日でも抱いて寝たいけどね、ナディが許してくれないだろうな」

「ふふ、だろうね。あとアキラちゃんは絶対に触る」

「触るね、間違いない」

 以前にも添い寝はしてもらったし、あの時は変に触れることは無かったけど。慣れた頃に寝惚けたらもう危ないね。素直に認めたらリコットが楽しそうに声を上げて笑った。

「もう、笑い過ぎて目が覚めちゃった。起きて、帰ろっか」

「うん」

 腕の中から逃れちゃった温もりは名残り惜しいけれど。私の心の準備を待つと永遠に出してあげられないので従いましょう。

 その後ちょっとだけ予定時間より遅れて帰宅したら、ナディアが何処かホッとした顔を見せた。なんでだ。帰ってこないとでも思っていたのだろうか。

「どうかした?」

「いえ、久しぶりだったから。またリコットが起きられなくなっていないか心配で」

「あははは」

 確かに昨夜はとても長めに付き合って頂きましたよ。でもリコットが前回ほど深酔いしなかったお陰か、朝は元気に起きてくれました。セーフ。

 ところで既にラターシャが居心地悪そうに視線を逸らしているので、早くこの話を流すべく、買ってきた朝ご飯をテーブルに並べた。

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