第533話

「それに私はさ~、ちょっと贔屓目って言うか……今回は警戒役するの無理だと思う。カンナのこと、悪く思えないんだよね」

 唐突にリコットが、溜息交じりにそう言って項垂れる。ナディアとルーイは首を傾けた。

 二人からすれば、彼女がそのように言うのは意外なことに思えた。三姉妹の中で、新しい人間に対して警戒心が最も強いのは、実のところリコットなのだ。笑顔で対応しつつも最後の最後まで心を許すことが無く、いつまでも相手の心を窺う癖がある。人当たりがいい彼女だから分かりにくいものの、ナディアとルーイは彼女のその性質をよく知っていた。しかしそんな彼女が、一日も経たない内にもうカンナを警戒できないと言う。

 どんな事情でもってそう考えるのか、リコットが続けようとする言葉に二人は慎重に耳を傾けたけれど。

「無表情で口があんまり上手くない不器用なところが、ナディ姉に見えて……」

「……喜ぶべきか落ち込むべきか、迷うわね」

 理由に肩透かしを食らったように、ナディアが少し脱力する。

 ナディアと似ていると思うから警戒できない、つい好意的に見てしまうという発言は、ナディアにとっては自らに向けられた好意でもあって嬉しいのだろうが、内容が内容だけに、素直に喜べもしない。

 正直、リコットはカンナの無表情さには当初とても驚いていた。彼女はナディア以上に、表情がまるで変わらない。口元を歪めることも、眉を動かすことも無く、目を時々瞬いたり、少し丸めたりする程度だ。

 そんな様子は、まるで人形のようだと――きっと今までに、カンナ自身、周りから幾度となく言われてきたことだろう。ナディアもまた、娼館では同僚らから時折そう囁かれていた。人付き合いをほとんどしていなかったナディアは娼館でも一人で居ることが多く、そんな状況では今の彼女のように眉を寄せるような機会も無い。表情を動かすのは、客が来た時に作る笑顔だけ。ナディアに至っては顔立ちの美しさが抜きん出ていたこともあって、一層、彼女の全てが作り物のように見えていた。

 それは当時のリコットにとっても、ルーイにとっても。

 だからこそ、全く表情を動かさないカンナの不器用さを、当時の彼女と重ねてしまって、リコットはどうしても悪い印象が持ちにくい。

「とにかく私達がカンナに毒気を抜かれてて、警戒すべき点も全く見付けられてないってことは確かだね」

「そうね」

 一旦リコットがそうして締め括ると、ナディアは何か言いたげな表情を残しつつも飲み込んで頷いた。掘り下げても、自らにとって得になる話でないことは察しているらしい。

「そういえば午前はずっと、音が消してあった感じ?」

「ええ、何も聞こえなかったわ」

 午前中、仕事の話だと言って短い時間、アキラとカンナが二人で工作部屋に籠っていた。扉は閉ざされ、その間ナディアは一度も二人の声や物音を聞いていない。先に部屋から出てきたカンナは仕事の話をしたと言っていて、少し後から出てきたアキラもそれを証明するように、カンナの出勤予定表を暦の横に張り出していた。曰く、カンナにはきちんと休暇があり、その日はナディア達と同じく家事の手伝いをするだけで侍女としては働かせないそうだ。

 だが本当にそういう話し合いをするだけなら、何もわざわざ音を消してまで二人きりになる必要は無かったのではないかと、三姉妹はやや疑問に思っている。

「イチャイチャしてたのかな」

「どーだろ。それなら別に、いいんだけどね」

 良いことかと言われるとあまり良いことでは……少なくとも教育に良いことではないが、待ちに待ったカンナを引き入れたアキラが非常に浮かれた結果そのような行動に出たというなら、多少の小言を告げる程度で許せる範囲だろう。

「もしくは……私達に対する正直な感想や意見を聞こうと思えば、消音にも納得できるかしらね」

「あ~」

 リコットとルーイが同時に、さもありなんと言った様子で大きく頷いた。

「今はお互い様かもしれないよね~」

「そうだよね」

 三姉妹がこうしてカンナについての印象を共有し合っているように。カンナの方もきっと、ナディア達に対して探り探りな部分はあるだろう。特に彼女の場合はたった一人で、既に出来上がっていた集団の中に入り込んでいるのだから。まして今までとはまるで違う、平民達の暮らしの中に。

「まあ、アキラちゃんが平穏無事なら、それでいいや」

 何だかんだと話し合ってみても。今のところカンナに不審な点を見付け出しておらず、嬉しそうにしているアキラの顔ばかりが印象的で。

 そもそも、以前にナディアとリコットが話していたように、もしもカンナがアキラすらも騙せるほどの才女なのであれば、身分の件を抜きしたってナディア達には太刀打ちできない。心配は尽きないものの、リコットからすれば少しくらい変な方向へ転がってもアキラ本人が良いなら「それでいい」という結論に達してしまっていた。

 ルーイもそれに同意していたが、ナディアは沈黙した後で、少し俯く。

「……私は平穏無事なら、どうでもいいわ」

 まるで「心配なのはアキラではない」とでも言いたげだ。

 何も知らない者が聞けば薄情に聞こえる言葉だけれど。ナディアが扱えば到底、その通りには受け入れられない。

 二人にとっては彼女こそ、『縁もゆかりもない誰か』に優しさと愛情を注ぐ人だったから。

 赤の他人でしかなかったリコットとルーイを、守ってくれた人だったから。

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