第532話

 午後になってアキラがカンナとラターシャを連れ、出掛けて行った後の部屋。リコットは窓から三人の背中を見送っていた。

「ラターシャって気遣い屋というか、めちゃくちゃ察しがいいよねぇ。お母さん以外とはほとんど接してこなかったって過去、時々忘れそうになる」

 そう呟くと、リコットは窓から離れてソファに戻る。ソファで寛いでいたナディアとルーイは軽く顔を見合わせた。

「確かに、人付き合いに不慣れとは思えないわね、私と違って」

「ふふ。そんなこと言ってないじゃん」

 ナディアの自嘲的な言葉にリコットが笑う。ルーイも楽しそうに笑っていた。

「あれって、やっぱり私達を残してくれたんだよね?」

 リコットの言う『あれ』とは、ジオレン案内の付き添いにはラターシャが行くと名乗り出たことである。彼女が行くということはつまり三姉妹が部屋に残るということ。それを狙っての行動だったと、リコットは受け止めていた。

「私達と言うより、あなたを、でしょうね」

「あはは」

 ナディアはリコットを指してそう付け足す。当人は笑っているが、自覚もあるらしい。否定の言葉や戸惑いの様子は無かった。実際、ラターシャが行かないなら日中の付き添いはリコットになる。残そうとしたのはリコットであることは間違いないが、ナディアが言うのはそれだけの意味ではないだろう。

「……あなた達から見て、カンナはどう?」

 ナディアは手に持っていた文庫本をテーブルに置くと、徐に二人へとそう問い掛ける。問われたリコットとルーイは、それを問われることを初めから知っていたかのように、即座に回答した。

「いやー、まず想像と全然違った」

「それ! グラマラスじゃなかったのが衝撃だった。アキラちゃん胸が無くても本当に好きなんだね」

「待って。ルーイ、もしかしてそのせいで私が叩かれた?」

「あ、うん、ごめんなさい」

 昨夜カンナを見て即座にルーイがリコットを叩いたのは、その衝撃を誰かに共有したかったからだったらしい。この会話で分かる通り、まるで共有は出来ていなかったわけだが。

「細くて身体も小さくていいなら、私もチャンスある」

「そ、そうだね。よかったね」

 カンナは細身で、その点で言えばラターシャと同じ系統ではあるものの、ラターシャは手足が長くて身長より背が高く見える。しかしカンナは標準より小柄で、ルーイの方に体型が近いと言っても過言ではなかった。ルーイも元が小柄であるので、大人になって背が伸びたとしてもラターシャよりはカンナに近い背格好になる可能性が高い。本人もそう思うからこそ、アキラが溺愛する『侍女様』の姿に、光明を見てしまったようだ。ナディアくらい胸が欲しいと願うよりは確かに現実的ではある。

「あの……そういう話をしているのではなくて」

 呆れたようにナディアはそう言いつつ、二人の会話は可笑しかったのだろう。口元は微かに笑っていた。二人もナディアがそんなことを聞いているわけではないと分かっていた為、笑いながら「ごめんなさい」と返す。

「私には超が付くほど真面目で誠実に見える。賢いのは間違いないけど、計算して騙してるとは思えないなー」

 改めて真っ当にそう告げたリコットに、ルーイもふざけることなく真剣な表情で頷いた。

「貴族様っぽくないっていうか、私達に合わせようとしてくれてるし、見下してる感じも全然しないね」

 二人の言葉にナディアは同意するように頷いているけれど、表情は、険しさを増していた。

「私も同じ印象よ。……悪い印象が無さすぎて、逆に不安になっているくらい」

「まあ、その気持ちも分かるよ」

 平民にとって貴族というものはあまり良い印象の無い人種だ。ただ、モニカのような人格者が存在することも、もう知っている。

 しかしそのような稀有な人格者がそうそう都合よく現れるわけがない、という気持ちも多分にある。モニカはかつて侯爵家で多くの平民を従業員として雇っていたそうだから、平民に理解があるのは納得できる。一方でカンナは十六歳から王宮侍女として働き、おおよそ高位貴族のみに囲まれて生活していた。そんな彼女が平民に対してここまで偏見なくフラットに応じてくれるということは本当にあるのだろうか?

 だがカンナはアキラの目の前で、アキラ側の人間だと、アキラに不利益は与えないと宣言していた。あの時アキラは確かにカンナを見て目尻を下げており、偽りのない言葉だったと窺える。

「アキラちゃんが惚れ込んでるくらいだから、変な人じゃない、とも思うんだけどね」

「ヘレナさんにも騙されなかったもんね、アキラちゃん」

「……あの人も性根が悪いわけではないわ。私達とは合わないだけで」

 こういう会話になると度々引き合いに出されているヘレナは最早ただの冗談になりつつあるが、事実、彼女はこの家の住民にはあまり好かれていない。アキラが彼女のせいで酷く追い詰められたあの時を思い返すほど、彼女側にも事情があると分かっていても怒りは消せなかったのだ。こうして軽口で述べられる程度には、消化されてきてはいるのだけど。

「軟派な性格をしていても、アキラは人をよく見ているわ。あれは、あの人が生きてきた世界で培われたものなのでしょうね」

 祖父が元閣僚であり、父と兄が官僚であるアキラは、幼少期からそれなりに醜い権力の世界に触れている。自らに寄ってくる人間がどのような目的を持っているのか、一つ一つ見極めようとしているはずだ。加えてこの世界では『救世主』として、神にも等しい扱いを受けるほどの『特別な人間』。カンナはアキラが救世主であることを知っていて、且つ、所属は王宮側である。

 そんな悪条件の中でもカンナはアキラに許され、溺愛され、こうして懐に入れられている。ならば何らかの形でアキラ側であることを証明させたか、タグで見極めた結果であるはず。少なくとも三姉妹は今のところ、そうとしか受け止められないと感じていた。

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