第534話_幕間(三姉妹)1
アキラから『三姉妹』と呼ばれているナディア、リコット、ルーイは、同じ娼館の出身とはいえどもその当時から接点があったわけではない。むしろまともに言葉を交わした記憶など全く無く。互いが娼館内で有名だった為に名前と顔だけは知っている、その程度の仲だった。
組織に買われたからと言ってそんな三人が唐突に仲良くなるかと言えば、そんなこともあるわけがない。状況が状況だけに、交わす言葉も必要最低限で過ごしていた最中。何の前触れもなく教え込まれた現実。三人の身体には魔力封印の焼印が押された。
「リコット、薬よ、飲める?」
「……う」
床へと雑に敷かれた布団の上に横たわっていたリコットに、ナディアが薬と水を運んでやった。
心無い組織ではあったが彼女らは『商品』であり、傷が治るまでの薬や療養期間を惜しむことは流石に無かった。そもそも一般的に広くは知られていないものの、あれは違法な処置だった。治る前に人前に出し、苦しむ姿を見た部外者が医者を呼ぶようなことがあれば困るのだ。その為、彼女らには癒えるまでの休息期間が与えられていた。
ただし当然、世話人などは付かない。組織からは三人の十日分の薬と、最低限の食糧だけが渡されていた。つまり世話は自分達で行わなければいけなかった。
「強い薬だから、先に少し食べた方がいいけれど。これだけでも入る?」
小さめに切られた果物も一緒に差し出され、リコットは何とか頷いて、焼かれた右脚に響かぬようにと起き上がる。
「大丈夫、自分で……」
「そう」
短い意志表示でも伝わり、ナディアは薬と水とその果物を置いて、傍を離れる。すぐに同じようにルーイに声を掛けていた。ルーイは眠っていたようだが、声を掛けられて目覚めるなり、くすんくすんと泣き始める。まだ幼く小さな身体には、耐え難い痛みだろう。ナディアはそんな彼女を優しく宥めながら、果物を差し出す。しかしルーイは食べようとしない。
「擦り下ろしましょうか。それなら少しは食べられそう?」
食事と服薬を終えて再び横たわったリコットは、そのやり取りを横目に、「赤の他人によくもまあ献身的なものだ」と、そう思っていた。リコット自身も傷みと熱で深く思考が回っていなくて、自分とルーイの為に動く彼女――ナディアにも同じ痛みがあるはずだという当たり前のことが、その時まだ、よく分かっていなかった。
娼館に居た頃はリコットも「面倒見がいい」と言われていたものの、余裕のある範囲で手を伸ばしていただけだ。「これより下は無い」と思っていた低級娼館の生活が生易しいものだと知った今、他者を思う気持ちなど残っていない。リコットはそのように、半ば苛立った思いでいた。
その後、果物が擦り下ろされてペースト状になると、ルーイも何とかそれを口にした。最後はそれと混ぜる形で薬も飲んだようだ。
「薬が効いて、少しでも痛みが引いた頃に、ガーゼを交換するわね」
その言葉が聞こえる頃にはリコットももうウトウトしていた。強い薬だと、ナディアは言っていた。眠っている間だけは痛みも苦しみも忘れていられる。これ幸いとリコットは眠り就いた。
次に目覚めた時、自分の右脚に誰かの手が触れていて、リコットはぎくりと身体を固める。その動きで目覚めたのを知ったのか、その手の主、ナディアが顔を上げた。
「起きたのね。もうガーゼは換えたわ、これで終わり」
今からの処置かと思ったら、後だったらしい。ほっと息を吐いている間に緩いワンピースが整えられ、傷に響かぬように、そっとブランケットを掛け直される。
「そっちも、もう終わったの」
離れようとしたナディアに問うと、ナディアは少し首を傾けて、答える。
「ルーイなら終わったわ。私はこれから」
その時、リコットは水を浴びたような心地になった。同じ傷がナディアにあることを、その言葉でようやく思い出したのだ。
一度ルーイに視線を向ける。ルーイはどうやらリコットのように目覚めることなく、ガーゼの交換を終えたようだ。そして改めて、離れて行くナディアの後ろ姿を凝視した。
「右の、腕、だっけ」
「ええ」
リコットに話し掛けられることを意外と思うのか、振り返ったナディアは一瞬、きょとんとした。
ナディアは右の二の腕の裏側を焼かれ、リコットは右太腿の外側。ルーイは背中の左肩甲骨だ。場所が何処であろうと、痛み自体に上下は無いだろう。しかし動きに応じて振動が加わったり、皮膚が引き攣ったりする位置なら痛みが『増す』はずだ。
「自分で、できるの」
「……平気よ。慣れているから」
その言葉の意味も考える思考力が無く、再びリコットは睡魔に襲われて何度も目を瞬く。それを見付けたのか、ナディアの声は一層優しく、静かな音に変わる。
「眠ってしまった方が良いわ。また薬の時に、起こすから」
まだ何か言おうとしていたはずなのに。リコットは短く息を吸えただけで、声を出すことが出来ずにそのまま眠り落ちた。
以降も、痛みと熱の酷かった三日間は同じような時間を繰り返した。差し出される食べ物と薬を何とか飲み込み、苦しみから逃げるようにひたすら眠る。いつの間にかガーゼは交換されている。時々、汗に汚れた身体を濡れタオルで拭いてくれる。起きれば自分でやっていたが、大体は朦朧としている間に終わっていた。
四日目になると、峠を越したようにどちらもマシになり、意識がはっきりとしてきた。
「そろそろ普通に食べられるかしら」
ナディアがそう言って、リコットの枕元にスープとサンドイッチと、食べやすいサイズに切られた果物を置いた。食べられるものを食べろということだろう。雑に頷きながら、先にスープを口にした。すると少しずつ食欲も湧いてきて、サンドイッチに齧り付く。久々の真っ当な食事は、質素ではあったが美味しく感じられた。
三日も真っ当に食べていなかった為、皿に乗せられた内の三分の一ほどは残してしまったけれど。確かに活力になったように、リコットは感じていた。
それが理由だったかは分からない。一番の理由は痛みと熱が引いたことだろうが、とにかく、この時のリコットはその日までと違って視界と思考がはっきりしていて、置かれている薬の量が前三日間とは違うことに気付いた。そしてそれが、この薬の真っ当な『一回分』であることも。
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