第521話_休息
怪我が無いかを確認するナディアが屈む度に、長いスカートの裾がタイルの水に触れそうになってハラハラする。
「ナディ、服が」
「……服は洗えばいいし、着替えればいいでしょう」
ちょっと疲れたように溜息交じりにそう言ってから、ナディアは転がった手桶を拾ってくれた。同時に、浴室にノックの音が響く。
「おーい、すんごい音したけど、大丈夫?」
「大丈夫よ、手桶を落としただけ」
ナディアが声を返す時には、リコットがひょいと中を覗いていた。怪我もしていないことをナディアが説明している。そして私の手桶をナディアが両手でしっかり抱くようにして持っている為、私は頭が泡だらけの状態から逃れられない。二人の会話をのんびりと聞いた。
「なんか手伝う?」
「そうね、私の着替えも出しておいてくれる?」
「はは、了解」
状況を察したのか、ナディアの服を一瞥してから、リコットは笑って扉の向こうに見えなくなった。
「ナディ? 手桶……」
「頭を下げて」
「うん?」
促されるまま下を向いたら、改めて手桶で汲み直したお湯で、私の頭の泡を流してくれた。私もせっせと自分の手で髪を洗い流す。今の私では、お湯の入った手桶を持つのは危ないと見て、代わってくれたらしい。既に
その後も流す時だけ手伝ってもらって、お風呂は終わりです。流石にお湯に浸かりたいとは言わなかった。私もその体力までは無いと分かる。
なお、今は脱衣場で椅子に座り、ナディアに髪を拭いてもらっています。至れり尽くせり。
「アキラ、痛くない?」
「ん?」
何を聞かれているのか分からなくて、タオルの隙間からナディアを見上げた。彼女の瞳はじっと私を見つめ返し、何かを探っているみたいな色をしていた。
「さっき、ぶつけたところ」
「ああ、もう忘れてた。痛くないよ」
「……ならいいけれど」
その確認の意味も込めてこうして拭いてくれていたのか。手付きが妙に優しいのも納得です。
身体は既に拭き終えて服を着ているので、髪はナディアが良しと言ってくれたところで終わり。浴室から出たら、リコットに誘導されて寝室に向かう。すると私と入れ違うようにしてラターシャが浴室の方に入って行く。何だろう~って目で追えば、ナディアの着替えを持っていた。ああ、そうでした。私のせいで彼女は着替えなきゃいけないんだった。色々と仕事を増やしてしまったなぁ。
「ン~ンン~」
申し訳の無い気持ちを抱いていたのも束の間。髪を乾かしてもらえるのが気持ち良くってご機嫌に歌い出す。リコットがくすくすと笑った。
「そういえばお風呂でも歌ってなかった?」
「うたってた。すぐに疲れた」
「はは。じゃあまだ歌っちゃダメでしょ、どうして歌うの」
「何となく……」
私も指摘されてから思い出した。つまり忘れていたから歌ったんだね。歌うのを止めたら再びちょっとした疲労を感じました。もうやめましょう。
「はい、終わり~」
「わはは、くすぐったい」
リコットは髪が乾いたかを確かめるみたいに、私の頭を両手でもしゃもしゃした。くすぐったいけど楽しい~。って笑ってたら、すぐに疲れてぐったりした。リコットが「あ、ごめん……」って小さく言ったのはまたちょっと可笑しかったけどね。
「アキラちゃん?」
「んー」
じゃれて疲れて、リコットの膝の上に突っ伏したままで動かないでいると、リコットは無理に退けようとはせず、ただ背中をよしよしと撫でてくれた。以前、「これくらい、いつでも甘えて良いんだよ」って言ってくれた彼女の言葉を思い出していた。
「……城で、何かあったの?」
優しいリコットの声に、私はすぐに応じられなかった。代わりに、溜息を彼女の膝に落とす。リコットはそんな私を慰めようとでもするみたいに、まだ背中を撫でてくれている。
「助けてくれって頼み込むから、わざわざ行ってやったのに」
「うん」
「王妃は『死にたいから助けないでくれ』だってさ」
リコットの手が止まり、彼女は沈黙した。私はまた一つ、溜息を零す。
「……本当、気分の悪い仕事だった」
感謝されたかったわけじゃないけど。あれはただの仕事であって、私には治癒後の報酬があった。だから別にどうでもいいけど。それでも、ムカついたことには違いなかった。
「王妃様の身体、随分と酷い状態だったんだね。こんなに反動が出たなら、モニカさんの目よりも酷かったんじゃない?」
ほんの少し話を逸らすようなリコットの選択に沿って、私も頷いて応える。いつまでもムカつくことを考えても、仕方が無いからね。
「身体の中がボロボロだったよ。胴体まるごと再生した気分」
「それは酷いね……」
正直あれは怖かったなぁ。一瞬、治せないかもしれないとまで思った。今思えば、一時中断して休んでから再訪する手もあったんだよね。命の保証さえできれば、一回で治す為に私がぶっ倒れる必要は無かった。今度からは考えて治癒しようと反省もしている。ただ、あんなものは何度も来る依頼内容ではない。
「お疲れ様、アキラちゃん。嫌なことばっかりだね、城の依頼って」
「もうね~本当にそう」
大きな溜息を吐けばまたリコットが背を撫でてくれるのが気持ち良くて、私の身体から力が抜ける。じわじわと、眠気が襲ってきた。
「リコ」
「ん?」
「寝たら、退けていいから」
私が次に起きるまでこのままの状態は可哀想だろう。だけど私は眠るまで、この温もりを放したくなかった。リコットは少し笑ってから、私の頭を撫でた。
「分かった。ゆっくり眠ってね」
返事の代わりに、左右の足を一度ずつパタパタした。そしたら反動で足の布団が捲れた。
「ちょっと、もうアキラちゃん。此処からじゃ届かないじゃん」
リコットが笑っている。それでも私はまた足をパタパタさせた。もう足に掛かる布団が無い。フリーダム。すると、むき出しの足を誰かに軽くぺしりと叩かれる。イテ。その手は、足元の布団を丁寧に整えてくれた。
「ナディ姉、ありがと」
「いいえ」
一体いつから居たんだ。私がリコットに甘えたすぐ後くらい? 睨まれていそうだし、繰り返し足をパタパタしたら今度は足じゃなくて頭を叩かれそう。大人しく眠ることにする。リコットの脚にぐりぐりと頭を押し付けて、居心地の良い場所を探してから身体の力を抜く。リコットの手が私の後頭部を撫でてくれたらすぐに、私は眠り落ちた。
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