第519話
いつもよりずっとゆっくりちまちまと私が食べている間に、ナディアが食後の薬も準備してくれた。待ち時間も全く無く、流れるように食後の服薬を済ませた私はまたカウチに寝そべる。
「次起きたら、お風呂、はいる」
「だから……」
即座に返るナディアの溜息。「熱が下がってからだって言ってるでしょ」という強い呆れが表れていた。
「あー、熱でまた汗かいてるね、気持ち悪いのかな~」
「ん~」
リコットが首筋に触れた後、シャツの確認を始める。急に私の上掛けを剥いでシャツも引き上げるものだから、傍に居たラターシャが慌てて視線を外していた。何かごめん。私のせいではないけど。私は眠いので抵抗せずぼーっとしている。素肌のお腹を触られていて、とてもくすぐったい。
「でも熱が高い内はまだお風呂はダメだよ、アキラちゃん。私らがダメだって思った時は代わりに温かい濡れタオル用意するから、それで我慢して」
「んん……わかった」
今の私ではか弱い女の子達を振り払ってお風呂に入るほどの力も無いのだ。負けると分かっている勝負で体力を消耗するわけにもいかない。大人しく引き下がろう。
というか、もう眠い。リコットも私が眠りそうになっていることに気付いたらしく、静かに私の服を直すと、肩をとんとんしながら寝かし付けようとしていた。気持ちいい。
目を閉じて、穏やかな眠りに身を任せた。リコットはこうして、実家では小さい弟妹を眠らせていたのだろうか。それとも彼女自身がこうして、両親や兄姉に眠らせてもらっていたのだろうか。
知っても何にもならないようなことを考えながら、眠り落ちた。
次の目覚めは昼食時だったが、起こされたわけじゃなくて自分で起きた。
リコットの手が私のデコルテ辺りに添えられていて、彼女が笑う拍子に微かに揺れる。キッチンに居るらしい他三人と、談笑しているようだ。
みんなの声と、その手の振動が心地良くて。一度開けた目を再び閉じた。
「もう、そんなに笑わないで」
「だってさぁ」
「珍しいよね、代わろうか、ナディア」
「あと一枚だから、大丈夫……」
何の話だろう。と思った直後に、やや焦げたような匂いに気付いた。そのまま続くみんなの会話を聞いていると、ナディアが何かを焦がしたらしい。普段は何でも卒なくこなしている彼女にしては確かに珍しい。特に嗅覚が優れている彼女は、焼き加減も匂いで察知していることがあるから。
「あんまりにもアキラちゃんが心配で、神経が全部こっちに向いてたんだよね~?」
「リコット」
意地悪な言い方で揶揄うリコットを叱るように、ナディアは不満気な声で彼女の名を呼ぶけれど。当然リコットは堪えた様子も無く楽しそうに笑っている。
でもナディアは私よりも、こうして私の傍に付いているリコットのことが、心配なんじゃないかなぁ。
時々思うけど、リコットは今でも、高熱を出す私を見て嫌な気持ちになっていると思う。お姉さんはこうやって亡くなったんだろうから。そっと目を開けて彼女の横顔を見つめれば、今はナディアの方を見て穏やかに笑っていた。その表情に悲しみの色は見付けられない。少しほっとした。するとリコットは私からの視線に気付いたのか、すぐに此方を振り返る。
「アキラちゃん。起きてたの? ごめん、うるさかったかな」
「……ううん」
むしろ心地良かった。眠っている私の為に、女の子達がいつもよりずっと静かに話してくれている声のトーンが、優しく響いたのだと思う。
「もうすぐお昼だよ、食べられそう? 今、スープとリゾットを作ってるけど」
すん、と部屋に漂う匂いを嗅ぐ。美味しそうな匂いだと思ったら、少し、お腹が減った気がした。
「……どっちも食べる、半分くらい」
「半分ね、分かった。無理しないでいいからね」
優しい言葉に頷くと、リコットは不意に手を胸から離し、私の頬に触れた。
「熱、少し下がったね。良かった」
触れた手は冷たく感じなかった。私の熱が下がったせいか、私の胸にずっと置いていたリコットの手が温まっているからか。温かくて、優しいもののように思った。
「……リコ」
「うん?」
「もうちょっと、ここ、置いてて」
胸の方を指して告げたらすぐに伝わったらしくて、リコットは「あぁ」と零して目尻を下げると、手を胸に置き直してくれた。
「これ気持ちいいよね」
囁くような静かな声と、胸の上にある体温に誘われてまた目を閉じる。リコットは
意識が落ちそうで落ちないところを漂っていたら十五分ほどで、「ごはん出来たよ」と柔らかな声で起こされる。熱が下がりつつあったせいか、朝に起きた時よりはずっと楽に起き上がることが出来た。私も一緒にダイニングテーブルで食べることにする。
不調な私を想って優しい味で作ってくれた野菜スープとミルクリゾットを、ゆっくりと口に運ぶ。美味しい。みんなは私がひと口目を飲み込むまで、じっと見守ってくれていた。
「そういえばナディ、何を焦がしたの?」
焦げた臭いと同時に複数の匂いがあった為、何の焦げかよく分からなかった。あと食卓をパッと見ても焦げているものが無いのだ。何処に行ったんだ?
「……聞いていたの」
私の疑問に答えるより先に、ナディアがそう言って項垂れていた。起きた時に会話がちょっと聞こえただけだ。焦がした瞬間はまだ寝てたよ。そう伝えたものの、ナディアは眉を寄せたまま。
「ハムだよ、ほらこれ」
代わりにリコットが答えてくれた。彼女の手元で、お皿に乗っている厚切りハムがくるっとひっくり返される。なるほど、片面だけ焦がしてしまったらしい。
「焦げも美味しいよね~、ハム」
「分かる」
「限度があるのよ……」
みんなのフォローでもナディアは回復せず、項垂れる一方だ。まあ確かに、許容される範囲をやや逸脱する黒さだったのは確かだけど。食べられないこともないよね、片面だけだし。
「アキラちゃんも少し食べる?」
「ちょっと、リコット」
「ひとかけ」
「アキラ……」
ナディアが焦がした肉を食べられるのはこれが最初で最後かもしれないので、その貴重な機会は逃してはいけない。一・五センチ大くらいに切ってくれたハムを、リコットが私の口に放り込んでくれた。
「ん。こうばしい。でもおいしい」
やっぱり焦げていると言っても不味くなるほどではない。美味しい。でもナディアが口を一文字に引き締めて喋らなくなっちゃった。お口を閉じたらご飯が食べられないよ?
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