第515話_王妃邸

 それに私の方にカンナを手放す気が無くっても、カンナの方がいつか気が変わらないとも言えない。私は『羽ばたく子』は無理に引き止めない主義なのだ。そう思うと、王宮の侍女に『戻れる』道は絶たない方がいい。今のカンナの気持ちは知っているけれど、王宮侍女だってずっと彼女の夢だったはずだから。

「此方が、カンナの任命書になります」

 私の侍女として働くことを指示する内容だ。そしてこの任を解かれない限り、私からの命令のみが有効であり、王族を含め如何なる身分の者の命令にも従う義務が無いことが明記されている。いいね、私の命令を『優先』ではなくて、私の命令『有効』って記載が、色んな状況をきちんと配慮した内容だと感じる。

 他にも私やカンナの不利益になるような内容は無く、彼女の高額な給与も記載があってちょっと笑いそうになった。

 ちなみにその給与の支払い、普段は直接の手渡しだそうだが、今後は金融ギルドにおろしてくれるとのこと。カンナの口座はもう今日の午後には作成されたそうだ。

「カンナ」

「はい」

 傍で控えているカンナを呼ぶ。彼女は応じて顔を上げた。

「私の侍女になるのは、構わなかった?」

 白々しいこんな問い掛けにも、カンナが戸惑いの色を見せる様子は無い。

「はい。私ただ一人にのみ許されたとても名誉なお話と存じます。また私だけでなく、伯爵家まで案じて頂き、心よりの感謝を申し上げます」

「良かった。此方こそありがとう」

 カンナは恭しく頭を下げた。本当、いつも冷静な表情を保ってくれて助かるよ。私の方がニヤけそうだ。

「彼女が任に就く時期ですが、身の周りの整理が付き次第となります。……彼女の移動は、いつもの転移魔法をお使いになりますか?」

「うん。それに荷物がどれだけあっても私の収納空間に入るから、無理に荷造りしなくていいよ。この辺まとめて全部~とか言ってくれれば、家具ごとでも入れてしまえるから」

 私の言葉に、みんなが一瞬きょとんとする。それから一拍置いて、「そうでしたね」と力無く呟きを漏らしていた。無限の収納空間、どれだけ見てもピンと来ないんだね。いつも一緒に居る私の女の子達ですらそうだから、偶にしか見ない君らはそうだよね。

「あの……私の腰ほどの高さの棚が二つございまして、それをそのまま持っていくことは可能でしょうか」

「勿論、余裕だよ」

 カンナがほっとした顔を一瞬見せてから、いつもの冷静な顔に戻った。

「それ以外であれば、大掛かりな荷造りはございません。明日一日あれば準備が可能です」

 めちゃくちゃ早いな。

 ちなみに、侍女としての仕事の引継ぎは特に無いそうだ。そもそも交替制の仕事だし、カンナ一人しか知らないようなことは少なく、その『少ない』部分の引継ぎも明日一日で事足りるとのこと。特に王宮だと人員が多い為、一人への負担がそんなに多くないのだとか。そりゃそうだ。いやしかし友達や同僚とのお別れ会とか……無いのか? 無いのか。この辺りはプライバシーだから触れるのは止めよう。

「じゃ、いつもと同じく二日後の夜にしよう。報酬を受け取る時に、カンナも連れて行くよ」

 普段はその『二日後』には王宮の部屋を借りてカンナと一夜を過ごしていたんだけどね。私の言葉にカンナと王様がそれぞれ「畏まりました」と答える。

 今回話した内容は簡単に覚書おぼえがきを作ってくれた。正式な書類の取り交わしはいつものように、二日後にする。仕事が終わった直後にやっていた時期もあるけど、大体の場合、私は疲れていて早く帰りたいことが多い。よって最近はずっと二日後、カンナに会いに来る時に報酬を貰っていた。今回も同じ形になる。

「では早速ですが、王妃にお会い頂き、治癒をお願いできますでしょうか」

「良いよ。何処に行けばいいかな?」

 この部屋にはジョットとカンナを残し、ベルクと王様を連れて転移してほしいらしい。転移先として指定されたのは、王妃が暮らすお屋敷の、王妃の寝室直通だ。

「可能でしょうか?」

「んー、ちょっと待ってね」

 行ったことがある屋敷の中――例えば城のこの部屋に飛べと言われれば簡単だけど、知らない屋敷の内部はやや自信が無い。でも理論上は出来るはず。

 転移する時、転移先の状況がぼんやり分かる。リンクを繋いだ先を無意識に探知しているのだと思う。その応用で、位置にずれが生じていないかは確認できるはず。うーん。唸りながら探索をしていると、私の周囲にはいつもの黒い沼の欠片みたいなのがうようよ出た。王様とベルクが一瞬驚いて仰け反っていた。ごめん。しかし横で控えているカンナは微動だにしなかったので私の侍女様はすごいなと思いました。

「ん。把握。大丈夫、飛べる――けど、王妃の他にも誰か居る?」

「転移先ですか?」

「うん」

 ベッドに居るのは王妃だろう。でもその傍にもう二人、誰かが居る気配がした。性別も年齢も全く分からないが。私の言葉に、王様が頷く。

「王妃の傍には今、医師とクラウディアが待機していると思います」

「ああ」

 クラウディアが居ないと思ったら、先日話した後に王妃の傍に戻っていたのか。さっき地図で見たら、意外と縦長だったフォスターの元領地。そのほぼ最南端に王妃の屋敷があった為、王都からは存外近かったようだ。二日で移動できちゃうとはね。

「分かった。じゃあ行こう」

 仕事は『治療』だ。あまり先延ばしにするのは良くない。軽くカンナに手を振ってから、私は王様とベルクを連れて転移した。

 王妃の寝室の扉付近に出現したら、ベッド脇に居た影二つがすぐに立ち上がって、私達に頭を下げる。クラウディアと、医師と思しき高齢男性だった。

「あれ? ……そういえば、この城にはもう一人、王子が居なかった?」

 ふと思い出して呟く。姿が無いようだ。

 長年苦しんでいたお母さんの治癒の場に、同居の息子が来ないってことある?

 すると私の言葉を聞いた瞬間、全員が黙り込んでしまった。数秒の沈黙を挟んでから、クラウディアが重苦しく口を開く。

「弟アティリオは、まだ子供でして。アキラ様に無礼を働くことが予想された為、現在は離れに待機させています」

 はー、なるほど。アティリオっていうのね。

 もしかしたら先日、要請を受けた時点で治癒を引き受けず、すぐに助けに来なかった私に対して、文句の一つや二つを言いそうな子なのかもしれない。

 同意を得たとは言っても此処で私の機嫌を損ねたら治癒はしないし、治癒後であっても殺すことはできる。此処に居る四名はそれを理解しているが、アティリオとやらは、そうではないのだろう。私から引き離した選択は賢明だったね。

 そこまで配慮したのに。結局私の機嫌を損ねる事態が発生することを、まだ誰も予想していなかった。

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