第500話
そして、この報告書に使われたものと同じ額を記したフォスター侯爵家の帳簿も見せてもらえたが、それを視界に入れた瞬間、私はタグの示す内容に噴き出すようにして笑った。
「これ原本じゃない!?」
「はい。仰る通り、写しではありません。三年前、即座に回収いたしました」
動かぬ証拠が隠滅されるどころか王家に回収されているって、どういう状況だよ。でもフォスター侯爵家はアホだから、帳簿が無くなっていることすら今も気付いていないらしい。
「でも全く公表していないんだから、『王家に守られていた』証拠だねぇ」
「……返す言葉がございません」
此処にある以上、フォスター侯爵家だけでなく、真実を暴きたい全ての貴族が手を出せない。こんなバカな話があるかよ。実際の意図が何であれ、表に出さなかった以上は守る為に回収したと言っても過言じゃない。
突っ込むのも疲れるような状況だったので、聞こえよがしに溜息を吐くだけに留めた。モニカは私と違っていつも通りお上品に、身体も表情もほとんど動かすことなく、「続きを」と王様を促す。私よりも心は穏やかじゃないだろうに、つくづく立派な人だ。
王様は促されるまま、以降も淡々と、フォスター侯爵家からの報告書を見せては、その間違いを正す資料を提示していく。
火を見るよりも明らかってのはこの事だなってくらい、フォスター侯爵家が真っ黒で、アグレル侯爵家は真っ白だった。
「このように、私は全ての証拠を集め、アグレル侯爵家には何の罪も無く、全てはフォスター侯爵家が仕組んだことであると明らかにした上で、沈黙しました」
横で聞いているだけでも腹が立って情けなくて、いっそ泣き出したくもなる。モニカが何も言わずに大人しくしている気丈さが、私のようなクソガキには全く理解できない。
「アグレル侯爵家が悪であったなどと公表したことは勿論ございません。ですが、フォスター侯爵家がそう触れ回ることを諫めたことも、訂正したこともございません」
つまり今、市中に広がっている噂はフォスター侯爵家とその傘下がわざわざ伝えて回ったものであって、正式に発表をしたものではないとのこと。しかし、訂正しないということは、肯定に見えるだろう。『賢王』と名高いこの王様が見逃すのだから、なおのことだ。
「ご存じの通り、我が妻である王妃イーリスは、現フォスター侯爵の長女です。十年ほど前から体調を崩しがちになった彼女は、五年ほどするともう、起きていられる日がほとんど無くなりました」
そして『心労も一因だ』と医師に言われている話も王様が付け加える。どうしてもこの話には苛立ちを覚えるが、前回の懇願のような色をしていなかったので、口を挟まなかった。
「彼女の状態が改善に向かっていれば『もう少し落ち着くまで』と。悪化に向かっていれば『せめて状態が安定するまで』と、そのような考えで、私はフォスター侯爵家の不正を見付ける度、『いつかはきちんと裁くのだ』と証拠だけを掻き集め、そうして動いている自分は悪ではないのだと言い訳を重ね、飲み込み続けていました」
もうすっかり、後ろのベルクとクラウディアはドン引きしている。
その反応が見られただけでも、私の気分が僅かながら晴れた。次代を継ぐ彼らがこの行為を軽蔑してくれるなら、それはとても良いことだと思う。
「アグレル侯爵家、全員の死亡を確認したと、三年前、報告を受け……取り返しの付かぬことになったのだと痛感しました。何度も、このような状況は正すべきだと、葛藤をしました」
脱税や横領も、小さな犯罪ではない。しかし、人は死ななかった。だがあの事件では多くの『無実の人間』が死に、そして、侯爵家という巨大な力が失われた。
ともすればフォスター侯爵家は、三年前のあの日に至るまでの度重なる『小さな不正』が一度も暴かれなかったから、味を占めて事を起こしたと言える。だからこんなにも報告書が杜撰なのだ。王様が何も言わないことを、彼はもう確信していた。
「王妃には、事件があったこと自体、今も伝えられていません。王妃はアグレル侯爵家が失われたことも、何も知らないままなのです」
「……王妃殿下と私は、同世代ですからね。昔はよく社交界でお話させて頂いておりました。病で臥せられるようになってからも、何度も手紙を交わしていましたね」
なるほどねえ。『心労』ってのを思えばフォスター侯爵家の悪事も、アグレル侯爵家の消失も、どっちも告げられない事件だったわけだ。
ただ、モニカと王妃の交流が途絶えたのは三年前ではなく、五年前だった。終戦直後、モニカも復興などで忙しくしていて、夫の訃報と自らの無事を知らせる手紙を送ってからはほとんど連絡していなかったと言う。王妃付きの侍女からそのような事情も聞いた上で、王様は全てを隠すことに決めたそうだ。
そして王妃の周囲には「心労に繋がる可能性がある」と説明し、あの事件について王妃に告げないように命じていた。
ベルクとクラウディアが後ろで頭を抱えている。そりゃそうだよな。二人は何も知らず、王様の下らない罪の片棒を担がされて、王妃に隠し事をさせられていたんだから。
「夜襲の日、モニカは侍女や女性の従業員と共に、何らかの目的で一か所に集められていた。そこから何とか全員で逃げ出して、山奥で密かに生きてきた」
ヴァンシュ山の頂上付近に村があったことを改めて伝えれば、ベルクは「魔物が少ない」と伝えたことや、私が何度も山頂に一人で行ったことを思い出したのだろう、ハッとした顔を見せていた。
「モニカは、あの事件で両目も潰されていた」
これは未だ王様にも告げていなかった。彼は息を呑んで、喉を微かに震わせる。
「私の魔法で目は治したけど。家族だけじゃなく光すら失って、あの山で怯えて三年間も暮らしていたんだ」
彼女らを見付けたあの時より。モニカの目を治したあの時よりも。ずっと、その事実が私の心に重く圧し掛かり、原因の一端である王様に、言いようのない怒りが湧き上がる。
「……お前らに」
怒りの中から絞り出すように、低い声を出した。部屋全体が怯えて震えているのも分かっていたけれど。飲み込めなかった。
「その恐怖と痛みと苦しみが。ほんの少しでも理解できるか?」
私の感情に応じて魔力が漏れ、テーブルや本棚が大きく軋む。ジョットとクラウディアは息を呑んで数歩下がり、ベルクと王様は動かなかったものの、緊張に身体を固めていた。
「領主様」
そこへ、モニカが優しい声を挟んだ。私はまだ怒りに囚われて視線を彼女へ向けられなかったが。小さく息を吸い込んだら、怒り以外に入る余地の無かった心に、ほんの少しの隙間が生まれる。
「ありがとうございます。ですが、どうか私に、もう少し話をさせて下さい」
……私が爆発しちゃ、いけないんだったな。
ゆっくりと息を吐き出して、怒りを抑え込む。肩を竦めて「ごめん、そうだったね」と言った声はまだちょっと震えていたけれど。そのまま私は、口を噤むことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます