第494話
キッチン周りを片付けたら、次は浴室。お湯を溜める用の桶や、風呂椅子などを設置した。
「ん? 思ったより広いな」
前の宿と同じものを置いてみると、こちらの浴室がどれほど大きいかよく分かる。もう一個、同じ桶を置いてみた。うむ。何とか二つ置けるし、置いてもまだ身体を洗うには充分なスペースが残った。
「よし、片方は汲み上げ用。もう片方は入浴用にしよう」
この桶は、女の子なら充分に身体を浸けられる大きさだ。のんびり浸かってから次の人が入るとなると、五人じゃ流石に時間が掛かり過ぎるけど。ルーイが浸かっている間にラターシャは洗い場を使って、という形ならちょっとは短縮できるし、気楽に浸かれるかも。まあ、両方の同意が要るし、あまり長風呂は出来ないけど、その辺は相談してもらおう。
ちなみにその場合だと順番的に私はナディアが浸かっている間に入れちゃったりするはずなんですが。当然のように許されんだろうな。
「……そもそも私の後じゃ、尻尾の毛が浮いてしまって誰も入れないわよ」
二つの桶を設置したことと用途を説明した時、呆れた顔でナディアが言った。ナディアは長毛種の猫系獣人だから、他の種と比べても特に毛が抜けやすいのだそう。なるほど~。
「でもナディも気にしないで浸かって良いよ。私は最後だから、汲み上げの方にお湯を足して浸かってしまえば良いだけだし」
ナディアの後は私だけだから、桶が一個あれば良いです。そう言うと、ナディアは考えるような顔をして軽く頷いていたが、まだ何か思うところがあるような表情だった。何だろうなーと、しばらく彼女の様子を窺っていたけれど。次の言葉はルーイから上がった。
「中から『次入って良いよ~!』って叫ぶの、近所まで響きそうでちょっと嫌かも……」
「あー」
このアパートはそこそこ壁もしっかりしていて音は響きにくいものの、浴室となると流石に換気口のせいもあって声が外へ通り易い。
「それなら、あの魔道具を作っちゃうか。私の屋敷で設置する予定の、侍女呼び出しボタン」
別の部屋に居ても呼ばれていることが分かる仕組みをカンナが望んでいたので、開発を予定している魔道具だ。大体もう私の頭の中で構造を考えてあるし、あとは図面を引いて作るだけ。魔力の測定器みたいに『精度』が必要になるものじゃないから、すぐに作れそう。
「実験としても、作ってみようかな。浴室で押したら、居間で分かる仕組みね」
「へえ~面白そう~」
ではお片付け完了後の私の作業は、呼び出しボタンの開発ですね。
そんなに荷物も多くない上、段ボール箱に梱包して運んできたわけでもないので、片付けはすぐに終わった。追加で購入した家具も予定時間にさくっと搬入してもらえたし、想像以上にあっさり新居は整いました。
残るは取り寄せ待ちになっているベッド二つのみ。結局これが一番遅くなっちゃったな。
なお、既に搬入してもらった三つはルーイとラターシャとリコットにあてがい、テント用ベッドを予備として使うのは私とナディアです。こういう時は年下優先。いつもの順番である。
「さて。お姫様達、ソファの座り心地はどうですか?」
すっかりソファで寛いでいる女の子達にコーヒーを運びながら尋ねる。いの一番にルーイが「気持ちいい!」って笑顔で返してくれた。それは良かった。
「家にソファがあるのは初めてで、何だか贅沢な気持ち」
ぽつりとラターシャが呟く。するとリコットとナディアもちょっと首を傾けて記憶を辿ってから、頷いた。
「そういえば私も無いなぁ」
「……そうね、私も家にはなかったわ。娼館では、共同のロビーに幾つか置いてあったけれど」
あら。そうなんだ。ルーイも頷いていたので、私を除く全員、ソファでのんびりと寛いだ経験は無いことになる。今までの宿もカウチはあったけど、座面に薄いクッションが引いてあるだけで、他は全部が木製の粗末なものばかり。全体を厚いクッションで覆ってあるようなものは無かった。今回買ったのは布製だから冬でも冷たくないし、何処に凭れても痛くなくて気持ちいい。
「これからは好きなだけ此処で寛いでね。あ、クッションもあった方が良かったかなー」
クッションのことは考えていなかった。背凭れにしたり、本を読む時の腕置きにしたり、お昼寝する時の枕にしたり出来るもんね。うん、また今度買ってこよう。
「……ちょっと思ったのだけど」
「うん?」
不意にナディアがそう呟き、やけに神妙な顔をした。何か心配事を思い付いてしまったのかな。
「アキラが寝室で昼寝をすると、見張れないわね」
「昼寝に見張りとか要りますか?」
「いや~、アキラちゃんだしなぁ」
「ひどい」
何を言い出すのかと思ったら私の悪口だった。悪口だよね?
この家は2LDK。玄関から入ったらまずリビング、左手にはダイニングがあってその奥にキッチン。そしてリビング側には個室に入る扉が二つ。うち一つはかなり大きな部屋で、五つのベッドを置いてもまだ余裕がある。今ナディアが言った『寝室』はその部屋のこと。もう一つの部屋はその部屋の半分以下の広さだけど、魔道具などを製作する為の工作部屋にしようと決めてあった。宿では私の魔法を色々と駆使して製作時の匂いがベッドや衣類に付かないように気を遣ったが、部屋が区切れるならもっと気楽に工作が出来る。
さておき。私が昼寝をする為に寝室に入ったら、私の姿がリビングから見えなくなるという懸念……そんなことを懸念されるのはとても悲しいのだけど、とにかく、そういう話らしい。
「リビングにはまだスペースがあるのだし、アキラの昼寝用に簡易ベッドかソファを置くのはどうかしら」
「あーそれいいね。アキラちゃん、宿でも窓際のカウチでよく寝てたし、窓際に置こうか」
「私抜きで話が進んでいく……まあ、いいけどさ」
確かに私も、みんなの気配を感じながらウトウトしたい時はある。そういう昼寝スペースを作るのは良いのかも。このソファでも寝ることは出来るものの、三人掛けが二つだから、一人寝ると残り四人全員が座るのは難しくなってしまう。
「じゃあ昼寝用カウチ、考えますね……」
自らを監視させる用に新しい家具を用意することの妙な心寂しさよ。みんなが安心するならいいんだけどね、私自身も此処に昼寝スペースがある方が心地良さそうだしね。でもね、ちょっとだけね。
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