第484話

 人の気配が少ない場所と言うのはこの世界では反比例して魔物が多い。麓の集落でも『魔物の多い山』と言われていたヴァンシュ山に辿り着いたのは、分かる気がした。

「山を少し登ったところで、ふと、上から魔物の気配や音が全く無いことに気付いてな。ちょうどいい隠れ場所になるかもしれないと、更に上を目指したんだ」

「ああ、そっか。ケイトラントは耳も良いんだっけ」

「人族よりはな」

 エルフの結界の恩恵を受ける範囲内に辿り着いても、スラン村の元になった廃村はすぐに見付けられなかったようだ。身体を休める為に野営して、周辺の果物や小動物を食材にしていたところ。野営三日目で、果物を取りに出ていた一人が此処を見付けたのだとか。

「本当に幸いだった。既に獣道以外は何も残っていなかったことを思うと、どれほど昔の村かは知らないが」

「あ、此処、元はエルフの村だよ。だから千年以上前」

「は?」

 言ってなかったね。廃村だと聞いた時にも予想はしていたが、エルフの知恵で確信に変わっていた。でも別に重要なことじゃないからいいやと思って、誰にも告げていなかった。

「エルフが亜空間に住む前に、住んでた村。此処のエルフの里の祖先だと思う」

「……なるほど、合点がいった」

 そもそもエルフは当時から外部との交流を好んでいたわけではないみたいだし、断絶する前であってもあまり人里近くには住んでいなかったんだろう。ちゃんとした街道は、当時から無かったと思われる。

 他のエルフの里も凡そ同じで、例えばラターシャの故郷の里も、里の入り口付近――私とラターシャがうろうろしていた場所の少し北の方に、昔は住んでいたという記録が知恵の中にある。おそらくそこも廃村として、今でも何かしら残っているのだろう。

「此処で生きるという決断は、難しいものでしたが……村の者達が私と共に生きると決めてくれたので、それに応えなくてはと、覚悟を決めました」

 モニカはそう言うと、軽くケイトラントの方を見て一つ頷いた。続きはまたモニカが話してくれるようだ。

 当時、モニカ以外なら市中に下りて生きることも可能だったはずだ。領土を出てしまえば流石に『侯爵家で働いていた者』まで認識されることはないだろう。勿論、単独でこの山を下ることは無理だろうけど、途中までケイトラントに送ってもらえたらね。だけど誰一人としてそれを願うことは無く、モニカの傍で、モニカを支えて生きることを選んだ。

「領主様からフォスター侯爵家の話を聞くまでは、正直、一体何故あのようなことが起こったのか、何も分かっていなかったのです」

 そう語るモニカは、手元のカップを両手で温めるように包み、その水面を見つめながらも、遠くを見るような目をしていた。

「フォスター侯爵家が攻め入ってきたこと。身に覚えの無い嫌疑が掛けられていること。我が家が燃やされたこと。父と息子が、そして私達に仕えてくれていた多くの者が死んだこと。その事実しか、分からなかったのです」

 ちなみにモニカのお母さんはモニカがまだ若い頃に病で他界しているそうで、夜襲や戦争の犠牲者ではないらしいが。何にせよその事件を最後に、モニカは全ての肉親を失った。自らも目を失って、この山に逃げ込んだ後は一切の情報が入らない。あれは何の為に、何の名目で行われたのか。そして今、どのように語られているのか。

 私達が持ってきてしまった情報で、初めてモニカはそれを知った。これは彼女の傷をただ、抉ることだったかもしれない。無理に聞き出すまいと思っていたけれど。結局あまり変わらない形で、話させてしまった。

「余談ではありますが……目を失いましたのは、私の過失です。この子達は私を必死に守ろうとしていたのに。斬られそうになる使用人を見て、咄嗟に庇おうと前に出てしまいました」

 いつもモニカの傍に居る二人の従者さんは、元々モニカ専属侍女で、有事の際にはモニカに侍女服を着せて逃がすことを当主ジョシュアから命じられていたらしい。だからモニカは侍女と間違えられて、殺されずに捉えられていたんだね。

 そして目を潰された時。既にモニカ含め女性らは一箇所に集められていた。侍女に扮しても屋敷は徹底的に包囲されており、逃れることは出来なかったようだ。しかし諦めていたのではなく、生き延びさえすれば逃げるチャンスがあるはずだと大人しくしていた。ところが、捕まっている女性の一人が敵の兵士と揉めて斬られそうになった。それを止めに入ろうとして、モニカは目を付けられた。守ろうとした女性は結局殺されてしまい、モニカも見せしめに目を潰されたという経緯だったらしい。

 幸いなのはその時点で、モニカが侯爵家の血筋とバレなかったことだけ。おそらく周りが下手に庇おうとしていれば、特別な人間だと気付かれてしまっただろう。正しくそれを判断し、モニカの目が潰されるのをただ見ていることしか出来なかった他の人達の当時の苦しみを、分かりもしないのに勝手に想像して、歯を食いしばった。

「復讐を考える余裕は、私にはございませんでした。光を失い、それでも私の傍に居てくれる者達を、どうにか守り通したいという願いだけ」

 だからこの場所で生き抜く覚悟を決め、モニカ達は此処に家を建て、生活基盤を整えた。

 復讐を願うならせめて市中に下りて情報を得なければならない。しかし貴族を相手に、家を奪われた立場ではかなりのハイリスクだ。アグレル侯爵家を取り潰した直後にそのような気配を察知されれば必ず関係者だと思われる。しかもモニカは目を失っているのだから必ず誰かは巻き込まなければならない。心優しいモニカに選べるわけがなかったのだ。

「……ですがあの愚か者が。我が侯爵家だけでは飽き足らず、今も民を、誰かを陥れ、搾取し続けていると言うならば話は別です」

 言葉尻が低くなり、感情で微かに震えていた。モニカの瞳に明確な怒りが宿ったのを見たのは、これが初めてだった。

「先日述べた通り。フォスター侯爵家は、強い家です。家名を失い、罪人として扱われた家の出身である私では、到底及びません」

 当時のアグレル侯爵家ですら及ばなかったのだから、今のモニカが立ち上がったところで、彼女自身の力だけでは何も出来ない。だから彼女は、私を此処に呼んだ。

 モニカが深く私に向かって頭を下げると、従者さんも合わせて頭を下げた。ケイトラントは難しい顔で我関せずだが、彼女はモニカ達を守る以上のことは何も望んでいないからだろう。

「どうか、領主様のお力をお貸し下さい。この古い名も、立場も、情報も、命すらも。私の持つ全てを、あなた様に捧げましょう」

 権力という意味では、もうモニカの名も家も立場も価値は無い。

 けれど。私の手の中にアグレル侯爵家の生き残りが居る。彼女らが『証拠』だ。今聞いた話は間違いなく『真実』だ。この『私』がそれを知っている。その事実は、どんな力を持つ貴族よりも遥かに強い。

「――いいよ。救世主わたし権力ちからを君達の為に使おう」

 この時、私が胸の奥に抱いていた怒りは、一昨日モニカと会話した時に口をついて「あの野郎」と言ってしまったその矛先は。

 フォスター侯爵家ではなかった。

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