第483話
なお、ヘレナが調べてくれた内容に『アグレル侯爵家』の名前は無かった。ヘレナが調べられる範囲はどれも、ジオレンという街の中の話だけ。流石に遠く離れた領地のことは、インターネットも無い世界じゃ難しかったみたいだ。彼女個人の事情の為にギルドを使うわけにもいかなかっただろうからね。
「私が『お招き』された件からも考えれば……『行方不明者』ってのはそもそもフォスター侯爵家が出していて、罪をなすり付ける為に使われたように思うね」
「そのようですね。お話を聞いて私もそう確信しております。脱税や横領についても、おそらくは」
自らに掛かる罪から逃げる為に都合が良かったという理由に加え、目の上のたんこぶだった可能性もある。
先日聞いた時、振る舞いについて苦言を呈したことがあると言っていた。清廉で真っ当で、おそらくは人望も厚かっただろうアグレル侯爵家の領地が、フォスター侯爵家の領地と隣接していた。『愚行』が暴かれるのも時間の問題だと、分かっていたんじゃないか?
だからセーロア王国との戦争で領地が荒れて弱っていた時期に、セーロア王国との友好な国交に精を出しているところを好機と見て落とした。……権力のあるバカが考えそうなことだ。
「夜襲を受けた際、ケイトさんは偶然にも屋敷にご滞在されておりましたが、離れでお休みでした」
「そこだけ、私から経緯を話しても構いませんか」
モニカの言葉を遮るようにケイトラントが言うと、モニカは小さく頷いて押し黙る。ケイトラントがモニカに取る態度にしては不遜で珍しく思ったが、考えてみればこの先はモニカの家族が死んだ話だ。ケイトラントは当時のことをモニカの口で語らせたくなかったのだと分かった。
「元々、私は挨拶を終えて礼を渡せば、長居せずに立ち去るつもりだった。しかし思った以上にジョシュア様達が歓迎してくれて、本館に客室を用意するとまで仰って……間を取るような形で、離れに泊まらせて頂いたんだ。流石に本館に元捕虜が居るのはどうかと思ってな」
当時を思い出したのか何処かくすぐったそうにケイトラントが笑う。だけど、ジョシュアやモニカは本当に嬉しかったんだろうな、とも思った。何も返らなくていいと思って捕虜を看護したのだろうに、二年もの時間を経ても感謝を抱いたままで会いに来てくれたなんて。
しかしケイトラントは自分が竜人族であり、元捕虜あることに引け目があったようで、武器は全てジョシュアに預けて丸腰の状態で離れに泊まったそうだ。彼女にとって最大の敬意と配慮だったんだろう。ただ、この後に夜襲が起こると既に知っている私達は、その配慮が裏目に出たのだろうことが容易に分かる。
「騒ぎが起こった時、すぐに私も本館へ向かったんだが。とにかく相手は容赦がなかった。一人も逃がさぬようにか、退路という退路に全て火が点けられて、敷地内は混乱していた。私も煙とその臭いで、ジョシュア様達が何処に居るか、全く分からなかった」
やり方が残酷すぎる。最初から、捕らえるのではなく徹底的に殺す為の作戦であったとしか思えない。
そして丸腰だったケイトラントにとっては相当、苦戦を強いられたことだろう。最初は素手で戦い、途中からは敵の長剣を奪って戦ったそうだけど。普段、ケイトラントが扱うのは槍だ。本領発揮とは言い難い状況だったと言う。
「全て、言い訳でしかないがな。とにかく最上階なら誰か避難しているかもしれないと上に向かったんだが、ジョシュア様達の姿は無く。結局ジョシュア様は、正面玄関の近くにいらっしゃった。きっとあれが最前線だったのだろう」
みんなを守る為に、自ら前線で戦ったのか。ジョシュアは当時六十代後半だったとのことだから、剣を握って前に出たことはとんでもないことだと思えた。そして、ケイトラントが到着した時にはもう、手遅れだった。
敵らもその場は制圧を終えていて既に数名しか残っておらず、ジョシュアの首でも落とすつもりだったのか、横たわる身体に剣が向けられていた。そこにケイトラントが突入し、その場にいた敵は一掃。微かにまだ息があった当主は、「娘と孫を、どうか」とケイトラントに懇願したそうだ。
そして彼の言葉に頷いたケイトラントを見て、壁の一点を指差した。
「最初は何の変哲もない壁と思ったが、血痕が付いたその壁に不自然な途切れがあった。隠し扉だったんだ」
扉から地下を通り抜ければ、屋敷裏の森に出られる避難通路だったそうだ。炎で退路を断たれた敷地。素直に外へ向かっても逃れることはほぼ不可能だろうが、モニカと彼女の息子を連れて此処から脱出することは出来るかもしれない。その光明を見たケイトラントは引き続き、二人を探した。
なお、ケイトラントの武器は正面玄関の傍に置かれていて、その場を離れる際に回収できたそうだ。ケイトラントは貴族でも何でもない一兵士だったから、槍も値打ちものではないのだろう。無骨な槍は敵兵らの目に止まらず、放置されていたのが幸いだったと言う。
「次に見付けたのは、モニカさんのご子息、ショーン様の、……ご遺体だった」
彼は裏門近くの道で、兵士らと重なるように倒れている状態で見つかった。当時まだ、十三歳だったそうだ。
「剣を、引き抜けないほど強く握っていた。最後まで戦い抜いたのだと、そう思うほど、間に合わなかったことが悔やまれてならない」
ずっと気丈に話を聞いていたモニカも、その時だけは目を伏せていた。
裏門の傍に居たのは脱出の為だったかもしれないが、それだけ強い気持ちで戦っていたのなら防衛の意図もあった可能性がある。こんなに立派な人達に育てられた子なら、そう思ってしまう。だからこそやっぱり、失われたことが悲しく、悔しい。
「その後のことは、以前少し話したな。この村の女性らが集められていた場所に辿り着き、全員を連れて逃げた」
いとも簡単に言うが。ジョシュアに教えてもらった抜け道があったとは言えケイトラントでなければ不可能なことだっただろう。完全に取り囲まれた状態で、十八人もの非戦闘員を連れて脱出なんて正直ぞっとする。
避難通路内には幾らかの非常食や避難道具も保存してあったらしく、数名で手分けしてそれを持ち出し、森の中を進んでとにかく屋敷から離れ、彼女らは逃亡に成功した。
「私には竜人族の『威嚇』が使える。これは弱い魔物を寄せ付けない。だから森ばかりを進み、最終的にこの山に入り込んだ。魔物が多くてもいいから、人の居ない場所を目指してな」
包囲されていた場所から十八人を連れて脱出したケイトラントなら、この山も彼女らを連れて無事に登れそうではあるが、『威嚇』によって更に寄ってくる数を減らし、それを容易にしたらしい。竜人族の中でも一部の人間だけが使える特殊なスキルだそうだ。
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