第482話
その後ケイトラントを含む四名全員が無事に祖国へ帰ったのは、戦争の終結から二か月半後。ただ、それ以降も戦争の傷跡はやはり互いの国に深く残り、和平は結んだものの、関係が不安定な時期は続いたと言う。
「ようやく情勢が落ち着いた頃には二年近くが経っておりました。しかしケイトさんは、わざわざお礼を持って、我が屋敷までご挨拶にいらしたのです」
情勢が落ち着くのを二年間ずっと待っていたのだろうか。そうだとするなら、彼女は本当にモニカ達に感謝していて、忘れることが出来なかったのだろう。
「それが、三年前のことでした」
モニカの息子さんが亡くなり、彼女の家が取り潰された時期だ。私と女の子達の表情は強張った。
「当時、我が領地はセーロア国との友好を重んじ、領地内に多くの竜人族を招いておりました」
「お陰で私も侯爵家を訪ねるのに、後ろ指を差されるほどの居心地の悪さは何も無かったよ」
それはすごい。捕虜に対する手厚い看護もそうだけど、きっと終戦直後から積極的に友好を推進していたんだ。家族からも犠牲が出ている中で率先してそうしたのは、禍根を失くす為の模範であろうとしたんだと思う。それは、とても尊敬されるべきことなのに。
「ですが、その点を逆手に取られました」
微かに眉を顰めたモニカは、苦笑いと共に、彼女の家に掛けられたあまりにも粗末で下らない嫌疑を語った。
セーロア王国との内通。竜人族らを招いて私兵を強化。資金を得る為、国へ偽りの復興費用を届け出て脱税。更にそれで復興支援金も得ており、準備が整えばセーロア王国と結託してウェンカイン王国を侵すだろう――と、モニカにとっては寝耳に水でしかない、言い掛かり。
「詳しいことは分かりません。ケイトさんにお救い頂く前、囚われている間に漏れ聞いたのがそのような内容であっただけです」
私は微かに首を傾けた。今の言い方だと、モニカは自分の家に掛かった罪の全容と詳細を知らないということになる。ということは侯爵家ほどの大きな家が、何の議論も無く一方的に裁かれたのか? 難しい顔をしてしまった私にも気付いているのだろうに、モニカは穏やかな笑みを見せていた。
「私の元の名は、モニカ・ローズ・アグレルと申します。……お嬢様方、この名を聞いたことはございますか?」
不意にモニカが私の女の子達に目を向ける。私も釣られて彼女らの方を見れば、ナディアとリコットが青ざめていた。ナディアは戸惑った様子で何度も唇を震わせた後で、慎重に声を出したようだったけれど。それは明らかに、震えていた。
「アグレル侯爵家という名前は、噂で少し。……時期や、侯爵家の取り潰しという話で、もしかしたらとは思っていました。ですがあなたのような人格者とは、符合、しなくて……」
怯えているような彼女の様子が可哀想で、隣に居れば背中くらいは撫でたかったんだけど。それはルーイがやっていた。普段なら真っ先に手を差し伸べそうなリコットは、ただ青ざめた顔で口元を押さえて固まっている。二人は今、同じ『恐怖』と『不快感』に、耐えているように見えた。
「どのような話か、伺っても?」
モニカの声は一層、優しくなった。ナディアを落ち着かせようという意図は感じられたものの、ナディアの顔色は悪くなるばかりだ。見兼ねて、モニカが言葉を重ねる。
「お嬢様方の心を痛めることだと、分かっているつもりです。しかし我々は逃げ延びて以来、一度も街には下りておりません。……何も知らないのです。どうか、教えて下さい」
この誠実な懇願を、ナディアのように心優しい子が断れるわけもない。小さく頷いて、彼女はゆっくりと息を吸った。
「終戦直後の混乱に乗じて竜人族らと結託し、軍備を強化。ようやく平和になったばかりだったというのに新たな火種を起こそうとしていたアグレル侯爵家を、いち早く察知した周辺の領主らが制圧。改めて屋敷を調査したところ、数々の不正が発覚した、と」
「私も、なんかすごく悪い侯爵家だったみたいな話しか、聞いてない」
丁寧に告げたナディアに続いて、リコットもやや苦しそうに表情を歪めてそう言った。ほぼ囚われるような形で娼館と組織で働いていた彼女らが知っている内容なら、市中全体に、当たり前のように広まっていたはずだ。それが根底から間違った情報かもしれないという彼女らの恐怖は、分からなくもない。
「発覚した『不正』の内容は、何かご存じですか?」
モニカからすれば当然の疑問なのだけど、ナディアは困った顔を一瞬見せて、視線を落としたままで答える。こんなに困り果てているナディアは珍しいので、ちょっと可愛いと思った。言ったら多分めちゃくちゃ睨まれるから飲み込んだ。しかしタイミング良く……いや悪く? 目が合ったリコットに思考を読まれてしまったかも。私の顔を見た彼女に苦笑された。
「難しい内容はよく分からなかったのですが、私が理解できた範囲では脱税、横領、国への報告内容の虚偽、それから周辺で発生していた行方不明者に関する、誘拐や殺人の証拠も出たと」
「ふざけたことを……」
ケイトラントが唸るように呟く。堪えきれなかったようだ。ナディアが少し身を縮めたのを見て彼女は即座に「悪い」と首を振った。しかしケイトラントだけではなく、従者さん二人も怒りを滲ませ、身体を微かに震わせている。
「ものの見事に『嘘』しか出ないね」
私がそう言って失笑すると、モニカは何処か疲れたように緩く笑う。
「代々、国や民に尽くして参ったつもりでしたが。こうまで徹底的に陥れることが国のご意思とは。呆れてしまいますね」
モニカは私達にあまり気を遣わせないようにずっと優しい声を聞かせてくれているんだと思うけれど。流石にこの時ばかりは感情が少し入り込み、苛立ちと悲しみが含まれているように感じた。
「とにかくそんな訳も分からない嫌疑を理由に、隣の領地を治めるフォスター侯爵家によって私達は屋敷を夜襲されました」
「は?」
声を漏らしたのは、リコットだった。そして女の子達が一斉に、私の方を見る。彼女らの視線に応えず、私はただ肩を竦めて、静かに溜息を一つ。
「フォスター侯爵の領地は北部。モニカの元領地と隣接していたんだって」
これはモニカから二日前、『手短に』聞いた事実の一つ。確かにどちらの領地も『北部』とは聞いていたが、ウェンカイン王国は東西に長い形をした国だ。北部と呼ばれる地域が広くて、流石にそこまで近いとは思わなかった。
私の言葉を飲み込むのに少し時間を掛けた後、リコットが喉を震わせる。
「三年前から真っ黒じゃん!」
全く本当にね。私もモニカも、少し笑った。
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