第481話_スラン村

 翌日の午前から私達は全員でスラン村に来ていた。いつものように迎え入れてくれたモニカの部屋の大部屋で、モニカだけは柔らかな笑みを湛えている。

「領主様、ご無事で何よりでございます。以降、侯爵家からは何も?」

「うん、接触は無し。大丈夫だよ」

 今日は私達とモニカだけが着席していて、ケイトラントと従者さんはモニカの後ろに立って少し難しい顔をしている。ケイトラント、門番に居ないと思ったら此処に居たのね。午前中だから家で休んでいるのだと思っていた。

「ふふ」

「うん?」

 徐にモニカが笑うので、私は首を傾ける。

「いえ、不思議な巡り合わせと思って、少し可笑しくなりました。申し訳ございません、領主様は大変な思いをされたでしょうに」

「いやぁ、私は何とも。他の被害者の人達が、少し可哀想だったけどね」

 屋敷内での怖い思いは記憶を消したが、侯爵家の馬車に押し込められて、枷を掛けられた恐怖ってのは今も彼らの中にあるだろう。デオンに至っては何度も殴られ、怪我までしていた。あの時、解毒はしたものの回復魔法は掛けていない。少し腫れていた頬も、擦り切れていた額もまだ痛むだろうし、服で見えない場所にはいくつも打撲が残っているに違いない。

「何からお話しましょう……まずは私の、つまらない雑談からさせて頂いてもよろしいですか?」

「幾らでも」

 そう答えると、モニカは何処か嬉しそうに微笑む。従者さん達の険しい表情とは大違いだ。

「私は今年で四十四歳となりましたが、五年前までは夫があり、三年前までは一人の息子がおりました」

「ええと。つまり亡くなっている、のかな」

「はい」

 突然めちゃくちゃ重たい雑談が始まったぞ。油断させてから刺すなんて、モニカ、なかなかやるなぁ。

「五年前は、あぁ、戦争かな」

「御存じでしたか。はい、セーロア王国との戦争で、夫は亡くなりました。我が領地は北部に位置し、セーロア王国と接しておりましたので、領地の一部が戦場となっていたのです」

 一瞬、女の子達の視線がケイトラントに向いたのを感じた。ケイトラントはさっきからずっと眉を寄せて目を閉じていて、動きは無さそう。モニカもみんなの戸惑いは見えているのだろうに、素知らぬ顔で話を続けていく。

 曰く、終戦間際にモニカの領地内で大きな戦いがあったそうだ。つまりかなりセーロア王国に攻め込まれてしまっていたと。しかしある時点で形勢が逆転し、ウェンカイン王国はセーロア王国を退け、そこで戦争が終結。和平を結ぶ形で、幕を閉じた。

「……私は、その戦いで落ちた捕虜だった」

 ぽつりと呟くように告げたケイトラントの言葉に、流石に驚いてしまった私は目を大きく見開き、彼女を見つめた。

「ケイトラントが負けたの? 相手それ人間?」

「ふ」

 ずっと険しい表情だったケイトラントは、私の反応に思わずと言った様子で笑う。

「言い得て妙だな、ああ、人型の化け物だったよ。私は一対一で負けたんだ」

「はぁ!?」

 何それ怖い! ウェンカイン王国にそんな化け物が居るなら私もう要らないじゃん! 全部その人にやってもらって! 震え上がる私をケイトラントもモニカも楽しそうに見ているが、何にも楽しくないです。本当に怖い。

「ウェンカイン王国には、圧倒的武力を誇る精鋭部隊がおります。魔族の戦いでは必ず彼らが前線に出て、魔族の進軍を退けます。セーロア王国との戦争が長引いたのは、彼らが魔族戦に出ていた為だ、と、よく言われておりました」

「事実だろうな」

 ケイトラントはそう言うと、軽く肩を竦めて首を振る。

「あれが出てきた途端、終戦まではもう一瞬の出来事だった。赤子の手を捻るようだったよ。セーロアはおそらく、あの軍の不在を狙って戦争をしたんだ。今思えば愚かにも程がある」

 自国の話のはずなんだけど、辛辣だなぁケイトラントは。言葉に迷って固まっていると、モニカがまたにっこりと私に向けて微笑む。

「領地では多くの捕虜を預かっておりました。勿論、終戦時にすぐ捕虜は交換されております。しかしケイトさんを含め四名が重症の為に動かせず、捕虜ではなく客人としてそのまま滞在して頂きました」

「はー、なるほど、つまり危ない人はモニカのところで引き続き治療したんだ?」

「ええ」

 そういうこともあるんだね。戦争というものに縁が無くってピンと来ない。戦争も何も無い平和な世界から来たことは既にモニカにも伝えていたので、首を傾ける私を理解した様子でモニカが何度か頷く。

「そのようなものですよ。お互い様です。同様に、我が国の兵士にもセーロアでしばらく療養となった者は居たと聞いています」

「ほへ~」

「下手に移動させた結果で亡くなれば、責任問題でもありますしね」

「あ、ああ……なるほど?」

 そういう政治的な理由もやっぱりあるんだね。そりゃそうだね。なるほどね。温度差に困惑する私のことも楽しいらしくて、この時ばかりはちょっとだけ従者さん達も笑みを見せた。

「モニカさんのところは特に捕虜に優しかった。モニカさんのご主人が戦死していて、私達の中に殺した者が居たかもしれないのに、それでも手厚く看護してもらった。それが当たり前でなかったことを、自国に戻って改めて知ったよ」

 ケイトラントがそう続ける。彼女が自国で聞いた限りは、モニカの屋敷ほど捕虜に優しい扱いをした場所は無かったのだとか。

 当時の侯爵家当主であるモニカのお父さんは、手厚い看護に疑問を呈したケイトラントへ、「私や婿も同じくあなた達の家族を殺している」と言ったそうだ。そして「戦争は個人の罪ではない」と。

 聞けば聞くほど、やはりモニカの生家は真っ当な、……いや、真っ当どころか貴族として模範的であろうとしている、稀有なほどに立派な家だ。

「私も、他の仲間も。ジョシュア様やモニカさん、侯爵家の人達には感謝していた。心から、感謝していたんだ」

 悔しげに歯を食いしばるケイトラントの様子を見て、胸が詰まった。彼女の中には今、失ってしまった人達の顔が浮かんでいるんだろう。何も知らない私に掛けられる言葉なんてあるわけがなくて、沈黙するしかなかった。

「今、名前が挙がったジョシュアは私の父です」

 モニカはひと呼吸を置いてから殊更優しい声でそう補足した。私と、女の子達を気遣ってくれたんだと思う。私は相槌を打つようにして静かに頷く。

「私は一人娘でしたので、夫は婿養子となることを選んでくれました。まさか父よりも先に逝くとは思いませんでしたが。……それが、戦争ですからね」

 最後の声は小さくて、私達に伝えようとしたと言うより、彼女自身に言い聞かせたようにも聞こえる。

 戦争で真っ先に亡くなるのは、身体の弱い高齢者や子供じゃない。戦士として前線に立つ、若くて元気な人間だ。戦争を知らない私はそんなことすら、言われて初めて思い至る。いやに情けなくて、苦い気持ちになった。

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