第478話

 フォスター侯爵家の人達も、朝になると全員が目を覚ました。しかし眠る一時間前から記憶が無い為、状況を把握できた者なんて居るはずもなく。一様に戸惑い、混乱していた。危機感を持ってすぐに動き出せた者は皆無だった。目を覚ましてから二時間以上が経過して、ようやく全員での情報共有が行われた。

「確かに『え、何?』としか思えないよね」

「私達にはアキラちゃんが居るから『魔法?』って思えるけど、普通はね……貴族様ならあるのかな」

「あ~」

 みんなの可愛い感想にニコニコした。少なくとも一般市民の感覚は私の世界とほとんど変わらない。便利な魔法を使える人はほとんど無く、高度な魔法を持てば王族や高位貴族に囲われる。フォスター侯爵家でもあの別邸内には魔術師がホセしか居なかった。あいつ、そこまで高位な魔術師ではないけどね。あんなに追い詰めたのに、見せたのは風の攻撃魔法、一種類だけ。魔力感知も探知も粗末なものだ。

 けれど他の者は更に魔法についてさっぱりだから、一斉昏睡について魔術的な影響と思った時点でホセを探した。意見を仰ごうとしたのだ。しかし、何処にもその姿が無い。ホセに付いていた兵士らも一人も居ない。

「今は、そこまで」

「え、状況整理できただけ?」

「そう。私がくすねた金貨の袋のことも、報告は上がってる。でもホセを疑うようなことは誰も言わない……っていうか、憶測を口にすることも恐れている」

 つまり今あの屋敷に居る面子で、一番権力があったのはホセなのだ。

 ホセとその関係者がおらず、金貨が無い。「もしかしたら」と思っても、下手に口に出してそれが冤罪であったら。首が飛ぶのは、疑いを掛けた側だ。だから下の者らは黙るしかない。

「更に上の立場に指示を仰がなきゃ、彼らは動けないんだ。まずはバカ息子のアンディだね。手紙が送られようとしている。だけどこれも、アンディだけじゃなく現当主にも合わせて文を出すべきだ、という意見とで揉めていて、まだ出せていない」

 未だに、結論の端も見えない話し合いがずっと続いている。その方が私には都合が良いんだけど、聞いてるとどうしても苛々してきて、助言の一つもしたくなるほどのグダグダ具合だった。

「貴族の家って大変だね……」

「あはは、本当にね」

 今回のケースで言うと、『貴族に仕える人達』が大変そうだよね。

 ただし私が真っ先に殺した男みたいにあの家のやり方を良しとして横暴に振舞い、無抵抗な女にも平気で暴力を振るうような奴には同情の念など全く無いが。

「アキラちゃんが今日二度寝できなかったのは、その声がうるさいからじゃないの?」

「いやー、全く無いとは言わないけど、……少し、苛々していたせいかな」

 気が立ってるのかなって言ったリコットの言葉は正しい。緊張しているとか、昂っているってことじゃなくて。私は今、確かな怒りと苛立ちを胸の内に抱えていた。この言葉だけでみんなの表情が瞬時に強張り、私を心配そうに見つめる。優しさが嬉しくて、笑みを浮かべたのは気遣いの意味だけじゃなかった。伝わらなかったかもしれないけど。

「みんなにまだ言えてないことがある。言うつもりはある。ただ、私の中で怒りが消化できていなくて、……上手い言い方が見付からない」

 だから、詳細を話すことを、避けてしまった。そのせいで心配させることも分かっていたんだけど。私はいつも自分の気持ちばっかりだな。反省と少しの落ち込みが心を満たしそうになったところで、リコットが立ち上がってまた私を抱き締めてくれた。

「アキラちゃんが辛くない形で良いよ」

「……ありがとう」

 他の三人も今すぐ話すことを求めてこなくって。私を優先してくれるみんなに結局また甘え、これ以上の話は後日に、と言うだけに留めた。


 そして翌日の午後。まだガヤガヤは続いているが、慣れてきたのでそこまで疲れは無い。今日は内見の予定が三件ある。早速全員で、ヘレナとの待ち合わせ場所に向かった。

「ヘレナ、おはよう」

「おはようございます」

 バインダーと紙の束を持っている姿は仕事中ですって感じがするねぇ。そして彼女の挨拶直後、私の後ろから三人分の「おはようございます」が聞こえた。一人、足りないね。徹底して言葉を交わそうとしない誰かさんのそういうところが好きだよ。

 待ち合わせ場所は一件目の傍だったので、そのまま内見が開始である。

「資料と重複する説明もあると思いますが――」

 そのように前置きをしてから、ヘレナは丁寧に物件周辺の説明をしてくれた。建物の中に入る時には、物件の管理者の方と一緒に。見るものはどれも良い物件で、不満らしい不満は無かった。ただ三件目が私達の中では本命だった為、前二件は保留のままで進んでいく。

「最後の物件はかなり条件が良いのですが、金額が金額ですので、最後の入居者が出てから一年ほど借り手がおりません」

「他のに比べると、確かにちょっと高かったよねぇ」

「はい。それに冒険者ギルドによる割引も、上限がありますので……」

 ヘレナの言葉通り、この物件もギルド経由だった為、高いと言っても私が個人で契約するよりは安くなっている。しかし元の金額が高いせいで割引上限に引っ掛かっており、最大の恩恵は受けられなかった。いやある意味これが最大なんだが。

「内容が良ければそれで構わないから、紹介してくれて良かったよ」

 貴族が契約するほどではないが、平民が契約するものとしては最高の価格帯だろう。

「わあ、資料で見たよりもベランダ、広く見えるよ」

 中に入るなりベランダを見に行ったルーイとラターシャが、奥の方から弾んだ声を響かせる。可愛い。

「やっぱり他のところよりずっと新しいね」

「はい、この辺りでは最も新しい賃貸物件の一つですね。建築は四年前になります」

 前二件は改修工事が数回あったらしいものの築十六年と二十年だったので、比べてみると全く違う。この新しさも家賃が高い理由の一つだった。

「ふむ、想像よりもずっと良いところだ」

 三階建て物件の三階の部屋。建付けが良くて、廊下も床も軋まないし、柱も痛みが見えない。周囲からの音も静かだ。壁がしっかりしているみたい。しかも大通りに面していて、大聖堂から近い位置ということもあり、治安が抜群にいい。

 次は台所の確認。此処はコンロが三つ付いている。コンロと言ってもこの世界では下に薪を入れるのでガスコンロではない。だけど心置きなく火を扱えるし、三つもあれば宿の厨房並みに料理の自由度が上がる。

「良いわね。洗い物も調理もしやすそう。こっち側にも調理台が欲しいわ」

「そうだね」

 いつの間にか私の近くで同じく台所を見ていたナディアが言う。一人なら台所に付いている調理台だけでいいけど、みんなにも手伝ってもらうなら追加でテーブルを置くのが良いね。それでも狭くならない程度には広いから。

「ナディが気になっていたところは?」

「他の水回りも、綺麗で良かったわ」

 ナディアは清潔感を気にしていたみたいだった。及第点のようです。他の子らは今、奥の部屋ではしゃいでいる様子。とても楽しそうなので、これはもう確定かな?

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