第469話

 男はさっきのギョロ目と比べてずっと大柄だ。魔術師ではなくって護衛なのだろう。帯剣もしている。傍に来ると男は私の胸倉を掴み上げた。

「黙れと言ったのが聞こえなかったのか?」

 焦りと怒りを含めた声で凄まれるけど、ちっとも怖くないんだよなぁ。

「私の質問も聞こえなかった? それとも沈黙は肯定? じゃあ謝罪するね、フォス――」

 大きな声でフォスター侯爵の名を呼ぼうとした瞬間、男は私を荷馬車の壁に強く叩き付けた。

「バカな真似をしなければ、こんな目に遭わなかったものを。生きたまま連れてこいとは言われているが、無傷とのご命令ではない」

 吐き捨てるようにそう言った男はさっさと馭者台の方へ戻り、布も引かれたのでもう姿は見えない。

 後頭部よりも首の後ろと背中の衝撃が強かった為、確かに、殺すつもりが無いことだけは分かる。でも死ななければどんな怪我をさせてもいいってくらいの力加減ではあった。ちょっと揶揄からかっただけでこれとはな。感情的な奴だなぁ。兵士としてはあまり有能ではなさそう。

 私は叩き付けられた後、重力に従って倒れ込んでからじっとしている。身体強化魔法で強度を上げていたから、何にも怪我などしていないし、痛くも痒くもなかったんだけどね。このまま様子を見ようかな。寝たフリをします。

 それにしても。魔術師、またはその素質がある者を、怪我をさせても構わないから生きたままで連れて来いって指示を受けている、と。一体どんな立派な計画を立てているんだか、楽しみだねぇ。ヘレナに悪さをしたって嫡男を持つ、その『フォスター侯爵家』ってのはさ。

 しばらくすると馬車はゆっくりと停止した。馬車の周りに人の気配と声が増え、荷馬車の布が微かに揺れ、誰かが覗き込んでいる。外側の方が明るいせいでよく分からない。

「出ろ」

 短い命令が低く呟かれ、女性二人と、少年がそれに応じて動いて出ていく。意識の無い男性は当然、全く動かない。私もそのまま寝転がっていた。今は意識が無いという設定なので、油断を誘って様子を見るのだ。そう思っていたんだけど。

「起こすのか?」

「意識が無いと使えないそうだ」

「はぁ? そんなこと聞いてなかっただろ」

「今更言っても仕方ないだろう」

 なんかごちゃごちゃ言ってる。事前に注意をしない上役が悪いのも事実だが、意識が無くても大丈夫かどうか確認せずに感情的になるお前らも明らかに悪いだろ。やっぱり仕事の出来ない兵士達だな。しかし折角寝たふりをしたのに。今すぐ起こされるならもういいや。

 誰かが荷馬車に入り込んでくると同時に、身体をむくりと起こす。入って来た者は驚いて仰け反っていた。目を凝らしてよく見ればさっき私を叩き付けた張本人だ。なるほど、自分でやったから、手応えから言って私が起きられる状態だとは思わなかったんだな。

「着いたの?」

「……お、前」

 怯えてて笑う。そして答えが返らない為、まだ動く必要なしと判断して私は呑気に髪を結い直した。さっきバーンってされた時にちょっと乱れたんだよね。その動きにハッとしたのか、男は「降りろ」と言った。なんだよ。「着いたの」って聞いたんだから「着いた」くらい答えろよ。育ちの悪い奴だな。

 まあいいや。私は大人しく立ち上がって馬車から降りた。男はずっと怯えて私から距離を取るように動いていて、さっきの偉そうな態度はどうしたんだと喉の奥で笑う。

 元気よくひょいと降りてきた私に、女性二人と少年もぎょっとしていた。

 なお、私とは違って本当に意識を失っている男性を起こすには、時間が掛かっていた。かなり苦労しているらしい。「起きろ」とか「立て」とか男達が唸っている声が聞こえ、ドタンバタンと音が鳴り、荷馬車が左右に揺れている。一向に出てこない。まだかなー。

 そんな騒動を横目に私はきょろきょろと周りを見回していた。大きな屋敷だな。石造りで四階まである。貴族邸って感じ。

 だが、これが本邸でないことを私は知っている。フォスター侯爵はヘレナの資料を見る限り、全く別の地域に領地を持つ貴族で、ジオレンは違う領主が治めている。だけど此処の領主は伯爵位で、侯爵位より下位だ。つまりフォスター侯爵にあまり強く出られる立場ではないのだろう。

 とにかくこの屋敷はまあ、いわゆる別荘だろうな、南部はワインも美味しいし果物も美味しいし、敵国になりそうなマディス王国とセーロア王国からは逆方向で安全だ。……魔王や魔族が来た時は海の近くより内陸が安全の為、他国と接していても北側の方がいいんだけど。

 それはさておき。この別邸には例の嫡男がよく訪れているそうだ。当主の方は南部での情報がほとんど無く、此方に来ていることがあるのかどうかは、ヘレナでは調べられなかったらしい。でも当主ほどの人が移動すれば嫡男以上に目立つだろうから、話が無いなら来ていないと考えるのが妥当かな。

 しかし嫡男の方が来ていることは有名で、大聖堂に多額の寄付もしているせいか、此処の領主からは何も言われぬまま、付近で下らない悪行を尽くしている。

 噂を辿るほどに素行が悪く、女癖も悪く、今までに複数の貴族令嬢に対して無礼を働いている。結婚歴はあるようだが、子に恵まれなかったことを理由に離婚。以降はそうして悪い遊びばかりを繰り返し、再婚をしていないようだ。被害女性らはいずれも侯爵位には至らない家出身で、罪にはならずに『噂』に留まる。その辺りは間違った情報も混ざっていたみたいでタグが混在してよく分からないが、おそらくは身分の低い者を狙って手を出して、揉み消しているんだろう。

 そして嫡男の部下――さっきのギョロ目みたいな奴らから暴力を振るわれた平民はジオレンに数え切れぬほど居ると言う。ただ嫡男本人に殴られた話は無かった為、本人はあまり街中には出てこないのかもしれない。だが部下を制御できていない点でもう同罪だ。

 ヘレナからの情報を思い返しながら周囲をきょろきょろ眺めている私のことを、兵士らは気にしつつも咎めてこない。用が済んだら始末するつもりだろうか。何を見られても別に良いって感じだね。

 ややすると、ようやく男性が馬車から引き摺り出されてきた。

 両腕はまだ後ろに縛られたままだ。ステータスを見る限り何か状態異常が付けられていて、半端な催眠状態。結果、酩酊しているみたいな歩き方をしている。捕まえる時に強い薬でも嗅がせたんだろう。無理やり起こしたものの、大男がふら付くから必死に支えながら歩かせていた。滑稽で笑える。

「お前達も進め」

 ふらふらの男性が先頭で、私達はその後ろに付いて歩くように言われた。まあよかろう。再び私は抵抗なく従ってやった。

 一分ほど屋敷脇の小道を歩いた後、一度は屋敷内に入れてもらったんだけど、廊下を少し歩いたらまたすぐに出された。中庭かな。デカイ中庭だな。端が見えない。高い生垣によって入り組んだ庭を奥へと進んだところで、目的地と思しき場所に出た。

 こりゃスゲー。

 バカでかい魔道具が置いてある。中央の鉱石がぎらぎら光っているが、魔法石ではない。ふむ。魔力を貯める為の装置か。

 此処にナディアが居たら一緒に苦笑いが出来たのになぁ。私達がいつか想像した残酷な未来の一端だよね。平民の魔力の、資源化か。

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