第465話

 さて。みんなで見るなら、私の机よりもテーブルが良いだろう。ナディア達はこっちに来てくれたけど、テーブルの方に戻らせて私が移動することにした。

 リコットは彫刻板と私が持つ紙を見比べた後、諦めたみたいに板と道具を片付ける。こっちを優先させるらしい。

 資料は適当にバラっとテーブルに広げて、各々好きに見てもらおう。私も手近な一枚を引き寄せた。

「――どれも悪くないね。ヘレナからの丁寧なメモも付いてる」

 物件の詳細や内装などの資料は仲介業者か管理人からの提供だろうけれど、物件周辺について、特に私が気にしていた食事処と治安のことはヘレナの字で追加のメモがあり、補足してくれていた。ありがたい。

しゃくだけど仕事はできる人ね」

「ねー、癪だけどー」

「や、やめようよ……」

 ナディアとリコットが急に棘を出すものだから心優しいラターシャがおろおろしている。あらら。教育に良くないね。二人も苦笑して、それ以上は言わなかった。

「これさー、めちゃくちゃ良いけど……家賃が他とは全然違うね」

 しばらくみんなであれこれ言いながら資料を見ていたが、リコットがぽつりとそう零したら、私以外のみんなも「思った」と同意を口にして頷く。家賃ね。見てなかった。各物件のその項目にさっと目を滑らせ、みんなの言うことは分かったけれど。

「お金のことは言いっこなし。良いものを選ぼう」

 不自然な豪邸でない限りは、家賃なんて幾らでも構わない。そんなことよりも快適さと安全性と女の子達の幸せが大切だ。そう思って告げたら。何故かみんなが項垂れてしまった。

「アキラちゃんと居ると金銭感覚が徐々に狂う」

「教育に悪いよね~」

 追い打ちの言葉はルーイから言われた。君に言われるのが一番胸にずしんと来るね。でもみんなに贅沢三昧をさせたいので、めげないぞ。

 なお、ヘレナが送ってくれた物件情報は十二件。そこから私達は、今話題になった高いやつを含め、最終の候補を三つまで絞った。最終は直接見て決める方がいいかな。

「よーし、じゃあ転写してからヘレナに送り返して、内見したいって言おう~」

「流石に控えてあるんじゃない? 必要と言われてから返せばいいわよ」

「ふむ。そっか、確かに」

 これだけしっかりと仕事できる人が、手元に何の情報も残さず送ってはこないよな。道理。じゃあ、物件の名前と、振ってある番号だけ記して返すか。っていうかこの番号もその為に振られている気がしてきた。一応「資料返却が必要なら言ってね」と追記しておこう。

 考えてみれば魔道具による転送もヘレナの二度手間より、私の二度手間の方が魔力的な負担が少ない。

「後は、仕事や先約優先で良いって書いておくか。どうにもヘレナの『優先』度合いが私の想像を上回ってくるんだよね~」

「それなら、『優先してほしい場合には言うから』ってもう言っちゃえば?」

「おー。それいいね。ラタ天才。採用」

 つまり私がそう指示する時以外は常に自分の仕事と先約、あと体調を優先すること。もしくは優先したいものがあったら相談すること。他を退けてまで私のことを優先してほしいのは、本当に緊急の時だけだ。

 これは契約時点で私がちゃんと伝えるべきだったね。あの時は気持ちがピリピリしていたのと、反動が出ていたせいで余裕がなくて、おざなりになっていたかも。反省した。

「よし。オッケー。あ、ナディ見る?」

「一応」

 検閲でーす。特に問題ないだろうと思ったんだけど、読み終えたナディアは少し眉を寄せると冷たい声で「優しいわね」と言って返して来た。

「え、それはどういう……」

 私が戸惑った声を出せば、離れかけていたナディアは微かに眉を下げ、「何でもないわ」と言う。

 その言葉に食い下がるかどうか、ちょっと迷った。でもやっぱり飲み込めなくて、私は離れて行くナディアに腕を回して引き止める。

「ナディ、何が不満? どうしたらいい?」

「……何も不満じゃないわ」

 タグはそれを『嘘』だと示してしまう。どうすべきか分からなかった。「ナディ」と呼んだ声が思った以上に弱々しくてちょっと恥ずかしい。ただ、私はナディアにそんな風に嫌な思いを積み重ねてほしくないんだよ。ぎゅっと腰を抱いたままでいると、ナディアは私の腕に手を添えて、小さく溜息を一つ。

「あなたの何かが悪いわけじゃないわ。私の気持ちの問題なの。ごめんなさい」

 そう言って私を振り返ったナディアは、どうしてかちょっと驚いた様子で目を瞬いた。そしていつになく優しく、はっきりと微笑んだ。優しい手が私の眉と目尻、それから頬を撫でる。

「そんな顔をさせるつもりじゃなかったのだけど。でも少し、気が済んでしまったわね」

「えぇ……」

 どんな顔をしたのかは分からないが。私の情けない顔を見て、憂さが晴れたということだろうか。やや酷いことを言われた気がしたものの、ナディアからは『本当』が出ている。うーん、まあ、いいか。ナディアが良いなら。珍しい笑顔も見られたからね。

 私はナディアを解放し、改めて先程の手紙をヘレナに送ることにした。

 その後、ヘレナからはすぐに返信があった。

 資料はナディアが予想した通りヘレナの方にも控えがあること、そして内見の予定を明日中には取ってくることが記されている。私達はいつでもいいとさっきの手紙で既に伝えていたので、一番早い予約を取ってくれるみたいだ。ありがたい。ちなみに候補の内二件はギルドを通した方が安くなる為、ヘレナはギルド職員として同行してくれる。

 みんなにもヘレナの手紙を共有して、この件はひと段落。

 じゃあ、ええと。魔道具の部品などを作るんだったな。机に向かって座り直し、私が作業を再開したところで、みんなも元の位置に戻って行った。

 ややすると、インクの臭いが漂ってきた。もうリコットが一枚目を彫り終え、ナディア達が筆入れに入ったようだ。早いねぇ。換気口を開けておこう。傍にあるレバーを引いてカシャコと開けたら、音に気付いてナディアが「ありがとう」と言った。どういたしましてー。

 今回の魔道具も仕組み自体は軽くてシンプルだから、手の平サイズの板が六枚で一つ分。二つの魔道具で合計十二枚。リコットなら明日には全部終わらせちゃうかもな。そんなことを考えつつ私も部品を一つずつ丁寧に作っていた、その時。

「――あ、ヤバ」

「リコット!!」

「さては怪我したな?」

「えへ」

 血相を変えたナディアの声ですぐに分かるよ。リコット本人の声は妙に呑気だけども。振り返るとリコットは何か楽しいことでもあったみたいに笑顔で、ナディアとルーイは真っ青。そして一人離れた場所に居たラターシャも、流石に稽古を中断しておろおろしていた。私はすぐに立ち上がってリコットの傍に駆け寄る。

「大丈夫だよ。リコ、軽く洗うよ、おいで」

「あーい」

 彼女を連れて洗面所へ移動し、流水で軽く洗った後、消毒もしてから回復魔法をした。何もせずに回復魔法だけを掛けても問題は無かったと思うけど、余裕がある状態の時は念の為きっちりします。

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