第458話

 うるさくしていると、不意に甘い香りがして。私は背後を振り返る。気付かれたことに驚いたみたいに、ナディアがビタッと足を止めていた。思わぬところでナディアと『だるまさんが転んだ』しちゃった。知ってる? 知らないか。

 なお、別に魔力感知で気付いたわけではない。ナディアの匂いがしたからだ。私は特別に鼻が利くわけじゃないけれど、すっかり慣れ親しんだ匂いが近付いたら流石に分かりますよ。

「どしたの?」

「いえ、次は何の魔道具かと思って」

「ああ」

 この間から結構そういうのも気にしているね。心配してくれてるんだろうな。私が表情を緩めたら、止まっていた場所からナディアがゆっくりと近寄ってくる。

「日中に図面を書いていたものと同じ?」

「うん、これ~」

 図面を渡しても別に魔道具名とかは書いていないのでよく分からないだろうが、とりあえず渡した。

「……途中? 彫刻板の部分が、空白なのね」

「そう、そこがね、まだ分からなくて」

「つまりあなたのオリジナル」

「はは、正解」

 賢いなぁ。そう。エルフ印の魔道具であればもう理論は彼らが作り上げてくれている為、彫刻板の模様は決まっている。そこにちょっとアレンジを加えることはあるものの、彫刻板の部分に何も書けないほど全くまっさらの状態にはならないのだ。

「ナディ、ちょっと待ってね、此処だけ……」

 話し掛けようとしている気配を察してそう呟き、既に組み立てを始めていた部分の細かい接合を二箇所、済ませてしまう。ナディアは静かに待ってくれていた。

「よし、っと。この魔道具は、魔力残量を調べるものだよ。スラン村の魔道具の改善案に出てたでしょ?」

 どの程度の期間、魔力を充填せずに使えるかって聞かれていたやつ。スラン村への納品物は私の魔法石が入っているから放っておいても長く使えるけど、不安にさせない為にも残量は確認できるよう改善したいって話だった。

「ああ……つまり各魔道具にその機能を付けるのではなくて、専用の魔道具を別に作るのね」

「うん。その方が楽だなーと思ってさ」

 だって各魔道具に追加するなら既に仕上がっている全部の図面が変更になるし、彫刻板が今よりも複雑化して、全体的に製作が重たくなる。期間や難しさの意味だけでなく、もしかしたら板が追加になって物理的にも。女性が扱うものなのに物理の重さは困るし、二つ目以降はスラン村が自分達で作るものだから、今以上に製作の難易度を上げたくなかった。

「で、これにはもう一つ使い道があってさ。魔道具だけじゃなくて、人の魔力残量も調べられると思うんだ」

「ああ! それ助かる!」

 資料を読みながらも聞いていたらしく、後方でリコットが声を上げた。以前、リコットは残量が一桁に迫る勢いだったものね。まあ私もそれを見たから、早めにこれを開発しようと色々考えを進めていたんだよね。

「大体の理論は分かってるんだけど、精度の調整をしたいからまだ確定じゃない感じ」

 ようやく納得して、ナディアが図面を返してくれた。

「私じゃ魔力が多くて実験にならないから、後で手が空いてる人にちょっと試してもらうと思う」

「うん、いつでも言ってね」

 快く笑顔で答えてくれたのはラターシャで、ルーイとリコットも頷いている。ナディアさんはもう気が済んだのか何も言わずに私に背を向け、離れて行ってしまった。まあ、手伝ってとお願いすれば、手伝ってくれるでしょう。

 それから、小一時間ほど経った頃。

「アキラ、そろそろお風呂の時間になるわよ」

「あ、うん、うーん……」

「札を使う?」

「ん~、……ごめん、お願い」

 ちょっと手を放せなかったので、ナディアに魔法札を使ってお湯を温めて頂きました。最近はあまり横着せずちゃんと温めていたんだが。久しぶりの手抜き。ナディアは簡単に頷いて離れて行き、私を叱りはしなかった。

「うーん!!」

「わあ」

「びっくりした。アキラちゃん大丈夫?」

「だめ……もうだめ」

 私は項垂れ、そのまま机に上体を預けた。魔道具の開発が、上手くいきません。

「ルーイはお風呂に入ってらっしゃい」

「うん……」

 お風呂の準備を終えたナディアが彼女を促し、我が家の一番手さんは、私を心配そうに見つめてくれつつも浴室の方に消えていく。彼女を見送ると、ナディアがそのまま私の傍に来た。

「大きな声を出してごめんなさい……」

「別に怒っているわけじゃないわ」

 ちょっと口元が笑ったように見えたけど、頭を撫でてくれる手が間に入って、よく見えなかった。でも頭を撫でてもらった。うれしい。

「何か手伝える?」

「んー……コーヒー」

「はいはい」

 道具の構造部については相談に乗ってもらうのが難しいだろうから、底を突いていたコーヒーのお代わりをお願いした。ナディアはコーヒーを持ってきてくれた後、またちょっと私の頭を撫でる。優しい。「ありがとう」を言う時にはもう離れてしまっていたが、尻尾が返事するみたいに一回だけパタッと大きく揺れた。可愛い。お陰でちょっと癒されたので、頑張るか。のんびりと身体を起こす。

 メーターの部分、アナログ体重計みたいに針がグーンと動くようにしたいんだけどな。引っ掛かったり、空回ったりして思った通りに動かない。魔力の当たり具合が均一じゃないのと、針の動く場所の摩擦抵抗が問題みたいだ。

 つまり、残量の測定をする魔法陣以前のところで私はつまずいているのである。情けない……。

 とりあえず、ナディアが淹れ直してくれたコーヒーをひと口。いつもより甘めだ。疲れている私を気遣ってくれたらしい。ありがたい。

 当てもなくツンツンと針の部分を弄る。無駄な摩擦抵抗が出ちゃったのは、綺麗にやすりが掛けられていないせいかも。軽くはやすりを掛けているが、粗かったか。とにかく、もっとしっかりとやすりを掛けよう。針は何処にも触れずにグーンと動かなければ正確な値が出せない。此処は神経の使いどころだな。

 またコーヒーを飲んで、深呼吸をしてから、再び集中することにした。

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