第455話_真っ黒
ヘレナから返事があったのは、その日の夜。私達が食事から帰ってきた時に返ってきていた。手紙だけじゃなく、分厚い紙の束と共に。
「……ふ」
手紙を読みながら私が少し笑うと、ナディアの気配が尖る。ヘレナからの手紙で笑うだけで怒られたら怖いからね、やめてね。
一枚だけの短い手紙を読み終えた頃には既にそわそわしてるナディアが後ろに居たので、迷わず渡しておいた。他三人はナディアを心配している様子で、手紙の内容にはそこまで関心を示していないかな。
さて。私は紙の束の方を見ますよ。
その資料の中には几帳面なヘレナの字で、彼女に悪さをした『侯爵家の嫡男』って大物の情報がびっしりと書き記されていた。嫡男と言っても若くはないな。四十代前半。
私を「信頼しているから」と書いた上で、この資料が彼女の知る全てであると、手紙にあった。
これは一日やそこらで集めてまとめられた情報ではない。
騙された当時、ヘレナの中には真っ当な怒りと復讐心があったそうだ。彼女とその家族は生まれた時から短い人生を定められていた。僅かにしか残されていない時間。そんな中で
どれだけ出来た人間であっても容易く許せるわけもない。怒りに包まれていたヘレナは、どうせすぐに死ぬのだからと
しかし、これだけの量を掻き集めた頃。冷静な思いが戻ってきたらしい。
残された僅かな時間をこんなことに費やすことの愚かさ。
そして、もしもこの侯爵家に何かが出来たとして。残された家族はどうなってしまうのか。彼女らの残された時間もまた自分が壊してしまうのではないかと。そんな考えに行き着いて。ヘレナはこの資料を封印していた。
だからと言って憎しみが消えたわけではない。流石にあの頃のような無謀な気持ちでは無いものの、少なからず憎い思いはあると言う。だから侯爵家に何か嫌がらせが出来るなら、自分に火の粉が掛かるくらいは構わない。けれど当時の自分を踏み止まらせた理由である家族。そして冒険者ギルドなどに迷惑が掛かることは、怖いのだと。
最後に改めて、慎重に情報を扱うと言った私のことを「信頼しています」と書いてあって、分かっているよと思いながら私は軽く頷く。
ちなみにヘレナは今日、私達から依頼されていた賃貸物件ついて調べる為にこの時間まで出掛けていたそうで、それで返事が遅くなったらしい。そちらの情報は早ければ明日、遅くとも明後日には内容をまとめて連絡してくれるって。仕事が早くて助かりますね。
「いやぁ、堪んないね。楽しくなるくらい真っ黒だ」
ごちゃごちゃ考えながらも得意の速読でざっと資料に目を通して、私はそう言った。多少、苛立ちが声にも乗ったかもしれない。
振り返ると、女の子達はもうヘレナの手紙を読み終えたらしくて、少し不安な顔で私を見ている。
「資料、ここに置いておくから見たい人は見ていいよ。持ち出しは厳禁ね。気分の悪い内容ばかりだから、あんまりお勧めしないけど」
でもやっぱり隠すと怒るからねえ、可愛いマイハニー達は。というわけで、閲覧は自由・自己責任です。みんなで使っている備え付けの棚の上へ、風の操作魔法でぽーいと移動させて置いておく。
「どうするつもり?」
緊張の色を含んでナディアが聞いてくる。さっきの話で一旦は飲み込んでくれても、相手が貴族や王族ってなるとやっぱり怖いんだろうな。
「すぐには何もする気は無いよ、心配しないで。決めたら事前に言うからさ」
「……そう」
敢えて呑気な声で返したんだけど、緊張を
さておき、先日モニカから聞いた話では侯爵家ってのは五爵の第二位、かなり高位の貴族であり、政治の中枢に対する影響力は絶大のはず。嫡男が『次期侯爵』と考えれば、ヘレナのような平民にも調べ上げられるほど分かりやすくバカをやっているのが正直、信じられない。
私自身、元の世界では『自分の家の名を背負った振る舞い』をするようにと厳しく教育されているから余計にそう思う。侯爵なんて立場は、私の家なんかよりずっとそんなことは求められて然るべきだろう。
それともこの国の『侯爵』はこれだけのことをしても立場が揺らがず、いざとなったら全てを揉み消せるくらい圧倒的に、強いのだろうか。ならどうしてモニカの生家は失脚したんだ? 右を押せば左から出てくるほど疑問しかなかった。
考え込んでいると、いつの間にかナディアが資料の傍に立っていた。まあ、彼女は見るだろうなと思ったけど。
しかしナディアの手がそれに触れる寸前。資料がひとりでにピャッと宙に浮かんで、ひゅーんと宙を移動して彼女から離れて行く。
「え?」
声を漏らしたのはラターシャだった。目の前でその現象を見たナディアはと言うと、声を出す余裕もなく目を丸めて、尻尾をぱんぱんに膨らませている。ぐぁ。可愛い。私は別の声が出そうになって手の平で口を押えた。そしてみんなの視線の先に――飛んで行った資料をキャッチしているリコットの姿があった。
「ナディ姉ばっかり一番乗りはずるいでーす。私が先に読む」
「べ、別に、それは、構わないけれど」
「いや待ってそうじゃなくって今の、風魔法の……」
そこだよね。急に洗練されたレベル2をみんなに披露しちゃうじゃないですか。ラターシャとルーイが呆然としていて、遅れて気付いたナディアはふっくらした尻尾を撫でながら、リコットの顔をやや心配そうに窺っている。ちなみにその尻尾を元に戻す作業は私がやったら駄目ですか? 君の尻尾専用のブラシがありましてですね。
リコット以外の女の子達、ちらっと私の方に目を向けていたみたいなんだけど、その間、私はナディアの尻尾を見つめるのに夢中でした。
妙な沈黙が落ちてから、あ、もしかして私が何か言った方が良いかなって顔を向けたと同時くらいに、バツの悪い顔でリコットが口を開く。
「ずっと黙っててごめん。アキラちゃん曰く、なんか……私は少し魔法の素質がある、らしくて。本当はこのレベル2、教えてもらった日にそこそこ出来るように、なってた」
「え、えぇ? じゃあ、ナディアより早かったの?」
心底驚いた様子でラターシャが戸惑いの声を漏らす。だけどそこに責めるような色が全く無かったことと、一瞬たりとも部屋に沈黙が落ちなかったことに私は少しホッとしていた。短くても静かになっていたらきっと、リコットの気が重くなっただろうから。ラターシャには何の意図も無かっただろうが、だからこそね。
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