第436話_ペンの音
緊張の面持ちで長女様のお言葉を待っていると、続いた声は思っていたよりもずっと柔らかな色をしていた。
「この間の魔道具のように、内容がある程度まとまったら一度共有してくれる?」
「へ」
ナディアの言う『この間の魔道具』は、ガロに渡したやつだよな。あれはデザイン画など一通りまとまったところで、みんなにも説明して、アドバイスを求めた。あの時はより良い形にする為に大変助かったし、そういう意味では一度みんなに共有するのは悪いことではない。
ただ、正直に言うと今回はそこまでするつもりが無かった。ガロに渡すのは『商品』だが、ヘレナに渡すのは『貸し出し』であって私のものだ。多少の不便も不具合も、ヘレナなら別に良いだろうくらいの軽い気持ちでいた。ヘレナをあまり快く思っていないナディアならもっと、そこへ『質』を求める意識があるとは思わない。
「別にいいけど、何で?」
「あなたの感覚は時々酷くズレているから……」
「突然の悪口!!」
ショックを受けている私の顔が面白かったらしくって、リコットがくつくつと笑い、後ろで私達のやり取りを心配そうに見ていたラターシャとルーイも口元を押さえていた。
「ヘレナさんにとんでもない魔道具を渡さないよう事前チェック、ってことだねー」
リコットが未だ笑いの残る声で補足してくれる。
なるほど? つまり私が「これくらいなら大丈夫だろう」が大丈夫じゃない可能性を、心配してくれているわけか。ヘレナが相手なら多少のヘマも何とでもなるだろうと軽く考えていたのだけど、みんなは――少なくともナディアは、少し慎重な考えなんだね。
「分かったよ。そうしよう」
さっきも言ったけど、みんなに先に共有することが悪く転がることは無い。それなら、少しでも女の子達が安心できる方が良いに決まっている。私が了承したところでようやく、ナディアも緩く頷き返してくれた。眉間の皺も消えていて一安心である。
「他、部屋に残る人は?」
「は~い、私は部屋に居るよー」
長女様がみんなの予定を確認したところ、リコットが元気よく手を上げた。ナディアは一瞬の間を置いてから、「そう」と言う。
ちなみにナディアは本屋に行くつもりらしい。ルーイとラターシャはまた二人で遊びに行くんだって。可愛いね。となるとナディアは一人で行動することになるが……酔っぱらいの多い市場の近くには立ち寄らないから大丈夫だって。私が心配の言葉を掛けるより先に、ラターシャが聞いてくれた。ふむ。日々の教育の賜物である。
最初にナディアが出掛けて、それからすぐに子供達もお外に遊びに行った。机に向かっていた私は見送る時だけ振り返り、それ以外はほとんど机の上ばかりを見つめて集中していたのだけど。ふとコーヒーを飲む時に手を止めたら、部屋には私以外の、ペンを走らせるような音が響いていることに気付く。
「もしかして、デザイン画?」
振り返って尋ねると、ちょっと遅れてからリコットが顔を上げた。邪魔しちゃったかな。でもリコットがそうやってペンを持って熱心に何か書いている場面なんて一度も見たことが無かったから、きっとアクセサリー制作関連だと思ったんだよね。リコットは軽く首を傾ける。
「あー、うーん、そんな感じ……」
「見たーい!」
「うわっ、ちょっ」
コーヒーとペンを机に置いてびゅーんとダッシュで近付いたら、あまりの私の行動の早さに隠しようも無かったリコットが、ぎょっとしていた。
「まだ何となく書いてるだけだよ。もう、恥ずかしいなぁ」
「ええ~可愛いじゃん、これが出来上がったら素敵だねぇ!」
お世辞でも何でもなく、本当にそう思った。リコットの審美眼は確かなものだ。一緒に過ごすほどにそう思う。ファッション誌もぱらぱら捲っているように見えてかなり細かく覚えていて、ルーイ達が服や小物について聞くと、参考になるファッション誌をすぐに思い出して取り出せるみたいだった。
今リコットが書いていたのは制作の為のデザイン画と言うより、アイデアを出す為かな。色んな種類のアクセサリーが一枚の紙に沢山並んでいた。諦めたように肩を竦めたリコットが、その紙を見せてくれる。わーい、じっくり見よう! そう思って一つ一つ確認するにつれ、私の口元が緩む。
「ふふ」
「えっ、なに、変なのあった?」
「ううん」
私が思わず笑いを零してしまったから、リコットが焦って手元を覗き込んできた。近付いた頭をよしよしと撫でる。怪訝な顔で私を見上げる彼女を見つめ返し、笑みを深めた。
「本当にリコは可愛いねぇ。これ、自分じゃなくって全部、みんなの為のアクセサリーだ」
「……見ただけで、何で分かるの。タグ?」
「いやいや、タグじゃないよ、分かるよ」
目にした瞬間に特定の子の顔が浮かぶくらい、彼女らのことを想ったものばかりだ。この一枚だけで、リコットが普段はあんまり表に出さないみんなへの深い愛情が見えて、嬉しくなってしまった。
「あれ、このピアスはもしかして私?」
「そーだよ。アキラちゃんのだけ無いわけないでしょ」
え~嬉しい。可愛いねぇ。よしよし撫でよう撫でようねぇ。デレデレの顔で頭を撫で回していたら、リコットが珍しく口をへの字にしていた。
「アクセサリーのことも、みんなには話さないの?」
私の気が済んだ頃にはリコットのさらさらの髪がすっかりぼさぼさだ。リコットは怒らなかったものの、丁寧に手櫛で梳いて整え直していた。
「んー、うん、まだ、もうちょい」
「どうして?」
「飽きちゃうかもしれないし、ちゃんと作れるかも分からないし。デザインだけ見せて変に期待させちゃうのは、ちょっと」
「そっか」
まあ無理を言うことでもないね。それ以上は何も聞くまい。隠しているつもりなら、私はそれに付き合うだけだ。リコットの意志を尊重したって言えば長女様にも怒られないはずなので。
「ねえリコ、これさ」
「うん?」
話を逸らす意味でもあったが、目に留まった絵の一つを指差した。リコットは髪を押さえながら再び顔を寄せてくれる。でもその手、髪を乱されることをガードしている気も。ごめんって。
「色違いで作ってよ、ナディも似合うけど、リコも似合いそう。二人で一緒に着けてたら最高に可愛い」
「えぇ……おそろいとか、ナディ姉が嫌がらないかなぁ」
「まさか! 絶対に喜ぶよ」
あからさまに大はしゃぎはしないだろうけど、尻尾は雄弁に喜びを語るだろうし、嫌がるどころか自慢げに身に着けてくれると思う。照れ臭そうにするだろうリコットのことも想像したら。ああ、もう、その未来が待ち遠しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます