第420話
「はい、出来たわよ」
たっぷり十数分かけて丁寧に処置してもらいました。ぽんぽんと背中を優しく叩かれている。このまま無視して膝の上で甘え続けたらグーに変わりそう。身体を起こしましょう。
「ありがと~。おお、これ良い香油だね、べた付かない」
でもちゃんとしっとりしていて効果も高そう。ナディアが上手に馴染ませてくれたのもあるんだろうけど。レッドオラムで見付けて、気に入って使い続けている香油らしい。
「娼館では好きに選ぶことなんて出来なかったけれど。贅沢をありがとう」
「はは」
私が渡しているお金があるから、好きなものが買えている、とのこと。三姉妹が稼いだ組織のお金は既に渡しているが、ここ最近はそれとは別に、毎月私から全員にお小遣いも出していた。お小遣いっていうか、生活費だね。今は誰も仕事をしていないのだから、使い続ければ当然、減ってしまう。だけどあれは私の手からも逃れて自由に羽ばたく際の支度金みたいなものとして、あまり減らさないであげたかった。その為、私の傍に居る間は切り崩さなくて良いようにとお小遣い。ちょっとナディアには嫌な顔をされたけど、一応、この辺りはもう話し合って了承を得ていた。
さておき、折角ナディアに綺麗にしてもらったので、今日はもう髪にあまり負担は与えないようにしよう。邪魔になるから結びはするが、項の後ろで緩めにまとめるだけにした。
「アキラは自覚もあるし、最低限は自分でやっているし、その内に侍女様が付いてくれるからまだいいけれど」
徐に低い声で呟くナディア。どうしてか憂いを込めた溜息を一つ挟んだので、私は首を傾けた。
「問題はラターシャなのよね……」
「あはは」
何のお話か理解しました。呑気に笑う私を咎める様子無く、ナディアは俯いてまた溜息を零す。
「私達が、気にし過ぎなのかしら?」
三姉妹は美容についてやや厳しい。商品としての価値を保つことを娼館などで厳しく教えられていたせいもあるだろう。だからこそ他の子――ラターシャが無頓着である点が、気になって仕方がないのだと言う。
「何もしなくてもあの子は髪も肌も本当に綺麗だから、ピンと来ないのも分かるのよ、でもこういうのって習慣だから」
「そうだねぇ」
流石に私の返事が呑気すぎることに気付いたらしい。ナディアは軽くムッとした顔をした。かわいい。
「いやいや、どうでもいいと思ってるんじゃないよ。本当にそうだなぁって思ってさ。難しいよね、価値観を押し付けないように、でもちゃんと伝えなくちゃいけないし」
女の子だからって美しくあることが正義だなんて思わないし、そんな考えを押し付けちゃいけない。まあ可愛い格好をさせたがる私がそれを言うのも変だけど、それだってちゃんと、許されるギリギリラインを狙っています。着たくない系統の服を無理に着せるようなこともしていない。可愛い格好をしなさいなんて言うことも無い。一応あまり悪目立ちしないようにと、あと、身体を極端に冷やすような格好は、注意するかな。
それに、ちょっと無頓着なところも含めてラターシャの愛らしさだと思ってしまうのだ。
「まあでも、私からもちゃんと言っておくよ。最低限はさせておこう。傷んだ後に戻すのは大変だし、特に肌なんかは痛みや痒みが出ることもある。そこからバイ菌が入ってもいけないからね」
本当は私が保護者としてもっと気を付けて、早くに言うべきだったんだが。三姉妹の方が既に色々と気を揉んでくれていたらしい。すまない。
「じゃあナディ、ごろんして~」
「ちょっと待って……」
香油を扱った手を洗って戻ったナディアを、ベッドの上に急かす。ごろんってしてくれるの好きだから早く早く~。
上掛けを捲った下のシーツを撫でて、皺一つ無い場所を作ってニコニコしながらナディアを待つ。私の挙動にナディアはまた呆れていたものの、望んだ通り、ころんと横になってくれた。
「んー、かわいい」
緩んだ声を思わず漏らす私を、明らかな困惑顔で見上げてくる。
「何があなたを喜ばせたのか何も分からないけれど……まあいいわ」
うんうん、気にしなくて良いことですよ。にっこりと笑うだけでそれについてはもう何も言わず、ナディアの柔らかな頬に口付けた。
そうして、可愛い猫ちゃんにたっぷりと癒された翌朝。
無事に寝坊をせず起きた後はナディアと一緒に朝食をテイクアウトで購入し、紙袋片手にみんなが待つ宿に帰る。すると宿の数歩手前で。
「――アキラ様」
「お? ヘレナ。おはよう、どうしたの」
ヘレナに呼び止められた。まだ少し離れた位置に居た彼女は、私達が足を止めると小走りで駆け寄ってくる。
「おはようございます。冒険者ギルドから、此方をお届けに」
そう言って封筒を差し出したヘレナは、私がそれを受け取ると同時に軽く周囲を窺ってから、小さな声で「ガロ様からです」と付け足す。
先日同様、彼からの手紙を届けに来てくれたそうだ。何もわざわざヘレナが来なくても、と思うんだけど。まあいいか。ギルド内のことは関与すまい。とにかく先日急ぎと言って渡した荷物はガロに届いたことが確認されており、その後、これが返ってきたのだそう。
「ありがとう、これも急ぎかな?」
「いえ、先日のように至急とは記載されておらず、届いたのは昨夜遅くだったようです」
それを今朝出勤したヘレナが見付けて、届けてくれたのね。やっぱりちょっと不必要に優先度を上げてくれているように感じてしまう。ヘレナが問題ないと判断してのことなら構わないんだけど、急ぎじゃないならやっぱり急がなくて良かったと思うよ。まあいいか。
「分かった。受け取りのサインは?」
「私がアキラ様ご本人に対面で渡したと記録しますので、問題ありません」
正規の職員が手渡しをすれば手続きは簡略化されるようだ。おそらく職員の名前とサインが残るから、何かあれば責任問題とあって滅多な不正も無いのだろう。
「そう、よろしく。あ、あと」
「はい」
「お願いしたいことがあるから、その内連絡するね。大したことじゃないんだけど、少し調べてほしいことがあってさ」
「承知いたしました。いつでもお申し付け下さい」
ヘレナはしっかりと私に頭を下げてから、ギルド支部へと戻って行った。
そして彼女の訪問によりやや不機嫌そうな顔をしているナディアの頭を軽く撫でて、宿の玄関を潜る。ナディアの尻尾はぷんぷんと勢いよく揺れた後、私の脚を叩いた。猫ちゃんが強く尻尾を振る時って確か、怒っていたはずだ。つまりこれは苦情……かな?
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