第417話

 私は誰かを安心させる言葉を選ぶのが下手くそだ。もし私がもっと優しい気質があって、上手に安心させてあげられる人間だったら。そもそもこんな風にリコットを俯かせなかったはずなのに。

「最初に、この約束をした時ね」

 悪あがきするように出来うる限り優しい声で話し掛けると、リコットがゆるりと顔を上げる。頼りない目が、私を見つめていた。

「お詫びとか償いって言うか、これじゃ『ご褒美』でしょって思ったんだ」

 リコットと一晩を過ごして、次の夜はナディアと過ごして、更にその次の日にはラターシャとルーイとお菓子を食べる。時々それが禊であることを忘れ、私は毎回ニコニコしていた。

「ナディにも聞いたんだよ」

 彼女だけは当初、本人の要望ではなくリコットの指令を起点にして二人の時間を過ごした。だからこれでいいのか、何かナディア本人が私に願うことは無いのかと尋ねた。

「そしたらナディ、袋叩きにしたら余計に隠すから、これで良いって」

「ふ」

 ようやくリコットが少し笑ってくれた。いつもみたいな元気はまだ無さそうだが、それでも嬉しくて、私の頬も緩む。

「名目は償いなんだろうけど、やっぱり『ご褒美』だよ。こうしてリコと二人でゆっくり過ごす時間は、特別な感じがして好きだよ」

 まだリコットの視線は上がらないし、明るい顔は見せてくれない。だけど単純に「負担と思っていない」と告げたさっきよりは、表情は柔らかくなった。私は最初からもっと言葉を尽くして、心を明かしておくべきだったんだね。いつも言葉が足りていない。緩んだ顔でニコニコしていたら嬉しい気持ちが伝わると簡単に考えていた。

「確かに今も、体調が悪いところを見せたくはないんだ。出来ればね」

 心配そうな顔をされるのも悲しいし、みんなを煩わせることも、私の看病の為に傍に縛り付けることも心苦しい。だけどその後にこの禊期間を務めると、償ったことになるらしい。流石にそれで百パーセントがチャラになるとは思っていないが、この決まりが出来てからは、私からみんなに返せるものが少しでもある、そう思えるようになった。

「その手段と機会を必ず与えてもらえることは、幸せだって思ってる。全然、負担じゃないよ、助けになってるよ」

 まだリコットは俯いている。だけど悲しい顔じゃなくて、ちょっと照れ臭い顔をしているようにも見えなくはない。そう思ったのも束の間。

「……ご機嫌取ってない?」

「えぇー。取ってないよ~」

 真剣に話したつもりだったが。まだまだ信頼が無いのであった。いつもそう。それもこれも普段の行いが悪いからである。しょんぼりしつつリコットの表情を窺う。やや口を尖らせているものの、やっぱり照れているように見えるんだけどなぁ。うーん。あ。そうだ、じゃあこういうのはどうだろう。名案を思い付いて、私はパッと顔を上げた。

「よし、じゃあリコ、血の契約を結ぶ!?」

「は?」

「君に嘘が吐けないって契約しても良いよ。此処に羊皮紙がございまして~」

「待って待って」

 収納空間から徐に取り出した羊皮紙をテーブルに置いたら、リコットが私の手ごとそれを鷲掴みにして押さえ込んだ。そんなに慌てなくてもまだ魔法陣を描いていないし、すぐに発動はしないのに。

「だってそれなら安心でしょ? リコに向ける言葉が全部『本当』になるよ」

「そう、かもしれないけど、いや……」

「私はタグが見えちゃうからさ。契約したらイーブンだと思うんだよね」

 女の子達が私の言葉をまるで信じられないというのも、それですっかり解決するのではないだろうか。すごくいいアイデアに思えたが、リコットは表情を曇らせていた。

 嘘が吐けない状態になるのは、そりゃ私にとっても色々と不都合が出てくるかもしれない。だけど女の子達には普段からその『不都合』を押し付けている。本気で誠実に向き合おうとするなら、優劣の無いように同じ立場に身を置くべきだろう。間違ってなくない?

 けれどしばし考え込んだリコットは、ウヌヌヌと愛らしく唸った後で「いらない」って言った。

「どうして?」

「そんなことまでしなきゃアキラちゃんと信頼が結べないなんて思ってない」

「わあ」

「……なに」

「いや普段から、全然信用されていないので」

 思わぬ優しいお言葉に驚いてしまったのです。この返しは全く想定していなかった。何度飲み込もうとしても意外な思いだけしか出てこなくて、繰り返し目を瞬く。

「信用してないっていうか……まあそうとも言うけど、言動が白々しいと思うことはあっても、アキラちゃん個人のことはいつも信じてるよ」

 感動して泣きそう。リコットは本当に優しくて女神だなぁ。白々しいって言葉は聞き流そうねぇ。

「分かった。じゃあ今は無しで」

「今は、じゃなくて……」

 羊皮紙を収納空間に片付けながら言う私に、リコットは困った顔で食い下がる。うん、そうだね、ちょっと言い方を間違えたね。君の言葉を信じていないと言う意味ではないんだよ。

「いつでも契約を結んでも良い、そんな気持ちでいるって意味。君達とは出来る限り正直に真摯に向き合ってるつもりだから、それだけは、覚えていてほしい」

 相変わらず伝え方が下手な私だけど、今日は言葉で横着しません。丁寧に伝え直したら、リコットが噛み締めるように「うん」と言って頷く。

「だけどアキラちゃん、本当に、しんどいって思ったらちゃんと言ってね。無理して付き合ってほしいなんて思ってないから」

「うん。分かった。ありがとう」

 約束を交わし終えると、仕切り直そうって言うみたいにリコットがグラスを軽くぶつけて乾杯してきた。応じて私もグラスを傾ける。

「飲もうか」

「うん」

 とは言え私達にはこの『後』もありますので。あんまり沢山を飲んで酔わせてしまいたくはない。

 二人で一本のボトルを空けたところでお開きにして、それぞれお風呂を済ませたら。夜が更けるまでリコットにたっぷりと癒してもらいました。こんな幸せな夜が負担だなんて、思うわけがないよねぇ。私が夢中になるほどにくすくすと笑うリコットの声が、耳の奥の奥まで、いつだって幸せにしてくれるのです。

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