第413話

「それで、製図の方はどう?」

 お話し相手のリコットさんは進捗を聞いてきた。進みが悪かったら心が苦しくなるやつ。まあ、私が昼食時にあっさり作業を止めたことで、ある程度は察しているんだろうけど。

「後は見直しだけ。問題なければ、すぐに作るよ」

 大きな間違いがあれば考え直すことにもなるかもしれないが、一番ややこしい彫刻板の部分は記述に問題が無いことをもうタグで確認できている。だから多分、空を仰ぎたくなるほどのミスは無い。

「彫刻板あるなら私もやりたい」

「え、まあ、あるけど、ちょっとだけだよ?」

 驚いた。進捗を聞いたのはただの雑談と思ったのに。この為だったか。今回は小さめの魔道具で内部に入れる魔法陣もさほど難しくないから、手の平サイズの小さい板が六枚だけ。ジェスチャーで大きさを伝える。

「そんなに小さなものだと、インク入れは難しそうね」

 すると遠くからナディアが口を挟んできた。お皿を拭きながら、こっちを見ていたらしい。

「いや、こういう小さいものは筆で塗ってるよ。流石にいつものやり方だと溢れるからさ」

 普段二人に頼むような大きなものなら、流し込む用に小さいじょうろのような道具を使っている。細い線にも入れられるよう口を小さくはしてあるものの、手の平サイズほど小さいものには対応していない。筆で塗るのも別にそこまで手間とは感じないレベルだから、小さいものは今後も筆で対応する予定である。

「ふうん」

 素っ気ない反応でありながら、ナディアは手元に視線を落とした後、またすぐに私の方をちらりと見た。何ですか? 首を傾けると、隣のリコットがくすりと笑う。

「ナディ姉はそっちに興味ある感じ?」

「……そうね、少し」

 ええ。今のってそういう反応だったの? リコット、よく分かるなぁ。流石は姉妹だ。いや本当の姉妹ではないが、彼女らの絆は本当に深い。

「興味あるなら、ナディがやってみる?」

 提案するとナディアは素直に頷いていた。可愛い。本当にやりたいんだね。

 じゃあ早速、図面の見直しをしますか。二人が手伝ってくれたら夜までと言わず、すぐに仕上がるかもなー。

 と、見直すこと十五分。下らない誤字はあったけど、図面自体には何も問題なかった。

 木材は魔道具の製作用にと既に色んなサイズを切り出して収納空間に置いてある。スラン村の納品用に日々がんばって製作していた時に、必要分を切り出すついでに用意しておいたのだ。早速、役に立ってくれたね。

 だから今回の材料は一番近いサイズを選んで調整するだけ。ちなみに調整時に出る端材もバイオトイレのおがくずになったり、焚火の足しになったりします。無駄にはしない。

 板の調整が終わったら、魔法陣は図面からサクサクと転写して。

「よし、準備完了~。リコ、出来る範囲でお願い」

「わーい」

 返事の「はーい」だと思ったら喜びの声だった。どれだけこの作業が好きなのよ。可愛いな。

 ちょっと気が抜けて笑ったが。私は一旦、他の部品を作成しましょう。今回は金具もある。何かの衝撃で鉱石がぶっ飛んでいかないよう、しっかり固定することにしたので。接合は中身の板が仕上がってからになるが、組み立て直前までは加工をしておこう。二人にはこの辺り、どうしてもお願いできないからね。

 三十分くらいしたらその作業も終わり、じゃあそろそろ私も彫刻しようかなーと振り返る。すると丁度、ラターシャとルーイがお出掛けしてくるって部屋を出ていくところだった。私はテーブルの方に移動しながら二人に「お外は気を付けるんだよ~」と手を振った。

「過保護……」

「もうどれだけこの街に滞在していると思っているのよ」

「え~」

 姉二人に呆れられてしまいました。だけど私は過保護じゃない。あんなに可愛い女の子が二人でお外に行くんだから、いつどんな時でも注意すべきだと思う。

「それに、気を付けてって声を掛けることは大事なんだよ。おまじないみたいなものでね」

 真剣に主張したんだけど、ナディアは呆れ顔だし、リコットは笑ってる。なんだよう。

 私の実家で長年、家政婦をしてくれている久美子さん、御年六十三歳が言ってたんだ。何気なく繰り返されているだけの言葉でも、そうして声を掛ければちゃんと潜在意識に『気を付ける』心が残るから事故の確率が減るんだって。だから小さい時から私は毎日、久美子さんに「気を付けていってらっしゃいませ」と声を掛けてもらったんだよ。……事故率についての真偽は知らないが。

 つらつらと説明していると、不意に、リコットが優しい顔をした。

「アキラちゃんにとって、大切なおまじないなんだね」

 まあ。そうだね。久美子さんが与えてくれた愛情の一つだからね。ちなみに私の初恋は久美子さんです。恋を自覚した当時、久美子さんは四十代後半でした。

「幅広いにもほどがあるわね」

「素敵な女性に年齢は関係ないからね」

「徹底してるなぁ……。あ、アキラちゃんもうこれ最後」

「おお」

 私がおまじないと甘酸っぱい初恋の説明をしている間にもリコットの作業が進んでいた。私の作業は止まっていた。

「それも後は私がやるから、貸して」

「えぇ」

 作業途中の板、奪われてしまいました。

 私がテーブルに着いた時点で既に残り一枚だったからリコットが先に終わるのは予想していたけれど。でも流石に私も少しはやらねばと思って彫っていたのに。半ばで奪われるとは思いませんでした。

「ナディ姉に、筆で入れるの教えるんでしょ?」

「あー、そだね」

 教えると言うほどの内容ではないけど、最初だから説明が必要なのは事実だ。じゃあ、最後の一枚はリコットに任せ、私とナディアは筆入れの作業をしましょうか。既に完了している彫刻板の五枚を、私達の前に並べた。そして作業道具としての細めの筆を四本、インクが入った瓶も取り出して、あとはインクの仮置きとしての紙。

「好きな筆を選んで、インクに浸して、ちょちょっと試し書きしてから~、こう」

「いつも簡単に言うわよね」

 筆は板に入れる前に一旦、紙に置いてからの方が安定するよってアドバイスしたつもりなのに~!

 でも、そう言うナディアの口元はほんの少しだけ緩んでいた。こんなやり取りもちょっと楽しいらしい。そして割とあっさりとナディアは筆を入れ始めている。お、上手だ。これなら安心して任せられるね。

 じゃあ私も、手本のつもりで入れたやつを仕上げてしまおう。何でもかんでも二人に押し付けていたら情けなくなるので、いつになく真剣に筆を入れた。

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