第404話

 普段なら、私を部屋に招き入れたカンナはすぐにお風呂へ連れて行ってくれたり、お茶を用意してくれたりするけれど。今日は私が撫で終えて手を放しても、何かを考え込んで少し静止してしまう。何の理由もなくこんな振る舞いをする子じゃないので、私はただじっと彼女の動きを待った。再び顔を上げたのは、一分後くらいだった。

「アキラ様、……私はまだ、王宮の侍女であり、国王陛下にお仕えしております」

 そうだね。まだカンナは私の侍女じゃない。未来の私の侍女だ。「うん」と柔らかく応える。

「ですが御命令の優先は、アキラ様です」

 真剣な目が私を見つめてきて、可愛いなぁと思う。でも彼女は今とても真剣なので、私もちゃんと受け止めて応えなければいけない。「可愛い」で埋め尽くされた思考を少し抑えた。

「それは、王様が『救世主を優先に』と命じているから?」

「確かにその御命令も受け賜っております。しかしそれが撤回されたとしても私の答えは変わりません。立場はまだございませんが、私のあるじはアキラ様であると心で決めております」

 私の侍女になりたいと願った時点でもう、カンナにとって真の主が私だと思ってくれている、ということだろうか。嬉しくて胸の奥がぽかぽかしてきた。抱き締めても良いだろうか。幸せな気持ちに浸りつつ行動を迷っていると、カンナは再び視線を落として、微かに眉を歪めた。

「ただし、やはり今現在は国王陛下にお仕えする身です。……アキラ様の御命令ので受けた陛下の御命令に、逆らうことは出来ません」

 そこでようやく気付いた。

 今、カンナは私に何かを『遠回しに』伝えようとしている。

 私は俯き加減だったカンナの顎を掬い上げ、顔を上げさせた。強引に動きを求められたにも拘らず、カンナの瞳には怯えが一切含まれていない。瞳は濃い茶色をしているのに、照明の光を受けて金色に煌めいたように見えた。

「そうだね、それでいいよ。ところで」

「はい」

「……今までに王様から、何かを私に『伝えてはいけない』って命令を受けたことはある?」

「ございます」

 内心、溜息を一つ。そういうことだね。私が『話せ』と命じなければ彼女は、私へ忠誠の心があっても告げられない。それは侍女としての矜持でもあるだろうし、また、何かしらの罪になる可能性がある。

 だけどさっきカンナは『救世主を優先』という命令も受けていると言った。ならば私が重ねてしまえばカンナは王様に逆らえるはずだ。

「何を伝えてはいけないと言われたのかな? 教えて」

「はい」

 案の定、カンナは素早く私の求めに応じた。

「私とアキラ様の婚姻が話題に上がった件を――」

 うん? いや、それは前に聞いたよな。と、不思議に思ったが。言葉は終わっていなかった。

「アキラ様にお伝えし、反応を探るようにとの御指示を受けました。そしてそれが陛下の御命令であると伝えないようにと」

「あんのバカ王……」

 大きく息を吐きながらソファに座ると、カンナは慣れた様子でお茶の準備を始める。さっき飲んだばかりだけど、今とてもカンナのお茶が飲みたい気分なのでそのまま見守った。

「それって何を目的にした、誰の案だろう。何か知ってる?」

 淀みない動きでお茶を淹れながら、カンナは私の問いにも応じてくれる。

「正確なことは分かりませんが、国王陛下の御考案のように思いました。クラウディア王女殿下は事前に反対なさっていたようです」

 覚えている範囲で良いからと前置きして、その件に関して知っていることの説明を求めると、カンナは記憶の限りで彼らの会話をそのまま伝えてくれた。うん。私も同じ印象だな。そして王様の悪意や画策と言うよりは、機嫌取りの延長のようだ。

「ちなみにベルクは?」

「私が御指示を受けた場におられませんでしたので、ベルク王子殿下の御意思は、何も存じません」

 ふーん。王族もややこしいね。それぞれ考え方が微妙に異なっているように思う。食事の席で揃っていた時は、ベルクは随分とクラウディアのことを可愛がっていたようだし、三人とも普通に仲が良さそうに感じたものだけど。

「とりあえず、ありがとうカンナ。今後も出来るだけ私の情報……特に私が連れている女の子達の情報は、城の人間には漏らさないで」

「承知いたしました」

 今回の対応、話してくれた全てと、今の返答に『嘘』のタグは無い。個人的に私が『気に入っている』という感情を差し置いても、カンナは誠実で信用できる子だ。あまり心配する必要は無いだろう。向こうが強引な手段に出なければね。まあ、今回クラウディアもしっかり脅しておいたし、私の『お気に入り』に手を出して無事で済むと思っているバカはなかなか居ないだろう。

「あ、そうだ、ところで」

 お茶を淹れ終えたカンナが隣に座ってくれたタイミングで、私は収納空間から幾つかの紙を取り出した。

「話しておこうと思ってたんだ。今ね、私の屋敷を用意してるところで」

 そう言った瞬間、カンナの目がきらきらと輝く。可愛い。私の侍女になる日を、待ち遠しく思ってくれているようだ。

 とりあえず順を追って説明する。私が爵位と領地を得たことはカンナも聞いているらしい。その領地であるヴァンシュ山。あの中腹に屋敷を三つ建設する予定だ。大きな街中にあるような便利な屋敷ではないけれど、私の転移で色んな街と行き来が出来るし、侵入者を心配する必要の無い安心な隠れ家。

 そこまでは説明したもの、スラン村と住民らについては、まだ伏せておいた。あまり多くの秘密をこの子に持たせてしまうと重荷に感じるかもしれないし、魔法や魔道具によって変な方法で情報を抜き取られてしまった時、カンナが罪の意識を感じるかもしれない。だからこの子の安寧の為にもまだ黙っておく。全てを打ち明けるのは、私の懐に完全に引き入れてしまってからだ。

「はい、これがカンナの屋敷の間取りとイメージ図。まだ着工前だから、要望も取り入れられるよ。何かあるかな?」

 手渡した紙を見て、カンナはいつになく驚いて頻りに目を瞬いた。そしておずおずと、申し訳なさそうな顔で私を見上げてくる。

「あの、私には、一部屋を与えて頂くだけで構いませんが……」

「そう言わないで。ずっと一緒に居てほしいから、快適な環境を持ってほしいんだよ」

 明らかに気後れしていたカンナだけど、私の言葉を聞いた瞬間、目尻にさっと朱が差した。この子もこんな風に照れるんだなぁ。可愛い。

「こっちが私の屋敷の間取り図で――」

 まだ返す言葉を選んでいる様子だったが、私はそれを知らない振りして話を続ける。取り出したのは言葉通り、私の屋敷の間取り図。玄関とは別に用意している勝手口が、カンナの屋敷と私の屋敷にそれぞれ一つずつある。私の構想ではそれを連結させ、扉を一枚潜ればカンナは私の屋敷のダイニングに入って来られるようにしたい。

 丁寧に説明していると、いつの間にかカンナは先程の動揺も照れも忘れ、真剣に二つの間取り図を見つめていた。

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