第398話

 朝の内には起きなかった。疲れていたせいだと思う。ルーイとラターシャが交替する時に、私のベッド傍で四人が歩き回る瞬間もあっただろうに、その気配で目を覚ました覚えがまるで無い。

 そうしてぐっすり眠って昼頃に起きた私の世界は、一変していた。

 ふむ。目を開けて身じろいだ時に音がうわんうわんして、耳を擦る。何度か瞬きしてから、身体を起こした。ふむ。目を擦っていると、また音がうわんとした。

「あー、今のは、ラタっぽい声」

 私が零したこの一言で、音は全て止んだ。私の女の子達はみんな賢いので、すぐに察したんだと思う。

「はは、耳があんまり聞こえないや。うーん、視界もぼやけて、何が何やら」

 光が強いところと、陰になってるところとかは薄っすら分かるんだけど。それじゃ正直、何も分からんな。「この指は何本?」とか聞かれても、「まず何処が指?」ってなるだろう。

 私のベッドは窓際にあるから、窓側に並んで私の傍に付いてくれていた二人の影は分かる。小さい方がルーイだね。背丈だけじゃなくてシルエットでも何となく、ルーイとラターシャだって判別できるかな。

「こういう反動が来るかぁ。なるほど、今回は魔力探知で無茶したからなー。魔力回路は身体機能と直結してるわけじゃないけど、ちょっと似てる部分が影響するんだねぇ」

 魔力感知・探知ってのは五感に近いからね。うーん、残る感覚の触覚・味覚・嗅覚はどうだろうな。触覚は、大丈夫そう。シーツに触れる感じとか、自分の肌に触れる感じは普段と同じである気がする。

「ごめん、何か飲むもの頂戴、味が付いてるやつ。うーん、みんなと意思疎通ができないなこれ」

 だけど傍に居るのは分かるので、頂戴、と両手を前に出してみる。ルーイとラターシャが何か応えたような声が聞こえた後、一つの影、ラターシャっぽいシルエットが離れて行く。

 少しして、戻った影が私にコップを握らせてくれた。飲むのも少し補助をしてくれる。ありがたい。やっぱりこれはラターシャだね。エルフの里では病気のお母さんの世話をしていたせいか、ちょっと手慣れている。

「あ、柑橘系のジュースだ。答え合わせできないけど。多分、味覚と嗅覚は平気だね。おいし」

 喉が少し渇いていたらしい。うまいうまい。がぶがぶと飲む。

 よく見えていないから手探りでゆっくりではあったものの、渡してもらったジュースは飲み干した。コップを回収してくれた後、口周りもちょっと拭いてくれた。別にそんなに汚してはいないんだけど、最初にちょびっと角度を失敗したのだ。よく見られている。

「トイレ行こ~。あ、大丈夫、何となく分かるから」

 私が体勢を変えると同時に、もやーんと何か慌てた感じの声が響いたから、「付き添うから待って」みたいなことを言ってくれたんじゃないかなと想像して適当に答える。そして二人が付いてくれているのとは逆側に足を下ろそうとした。

「あー、でもスリッパ分からない。何処だ」

 けらけら笑いながらそう言って手探りで探していると、向かいのベッドで影が動く。

「ナディ? おはよう?」

 窓際と逆方向だからちょっと暗くて見えにくいが、シルエットに猫耳がある気がするし、そもそも隣のベッドはナディアなので分かります。でも返事は無かった。今の私に何を言っても無駄なのが、もう分かっているんだろう。静かに近付いた彼女が無言のままで私の足にスリッパを装着してくれた。

「わーい。ありがとう」

 これで完璧だ。ひょいと立ち上がったら、ナディアが私の腕に手を添えた。

「うん? 大丈夫だよ、一人で行ける、ありがと」

 付き添ってくれると言われたわけじゃないが、多分そうだと思ってこれも勘で伝えた。添えられていた手をやんわりと放させると、呆れた顔をされた気がする。だけど見えないから知らないことにしておく!

 さくさくと歩いて、トイレに向かった。

 ぼんやり明度が分かるから、ある程度の光があれば物体の輪郭は分かる。あと魔力感知で障害物の位置が分かるので問題ない。魔力感知というのは、自分の身体から無意識に発生する魔力が、他の物体や魔力に触れた時に跳ね返ってくるのを察知するみたいな仕組み。だから『何があるか』は分からないけど、『何かがある』って感じ。

 そしてこれは意図的に伸ばしている『探知』ではなくて私の身体の感覚の一部として自然に備わっている『感知』の為、反動が出ている最中も正常に機能していた。テーブルと椅子を華麗に迂回して、何にぶつかることもなく扉に到着。でもドアノブは分からなかった。何処だ。あった。小さいものはちょっと難しいみたい。大雑把なのは私とそっくりだね!

 そしてトイレの中は狭いので特に問題なく。隅っこに付いている小さな手洗い場でちゃんと手も洗いました。トイレの失敗をしなかったことを誇らしく思うのは幼少期以来だろうが、幼少期のそれも特に記憶があるわけじゃないので、新鮮な思いである。

 ちょっと楽しくなりつつトイレから出て一歩踏み出したところで、魔力感知の反応に私は足を止めた。

「ん?」

 目にはよく見えないが。誰かが傍に立っている気がする。

「リコかな?」

 扉の脇で、私が出てくるのを待っていたのかな。気配とシルエットがリコットだ。声は返らなかったが、ふっと笑われた気がした。静かな動作で近付いたその人は、両手で私の頬を挟んだ。ああ、うん。この手はリコットだねぇ。

「検温? 熱は多分ないよ」

 短い声が返った。「うん」とかかな。リコットの手がぐしぐし私の頭を撫でてくれた。何だか嬉しくて、ニコニコしてしまう。それから、手は頬を軽く撫でた後、身体を辿ってお腹を撫でてきた。何だろう。お腹。

「あ、お腹が減ってないか? まだ減ってないよ」

 意思疎通が難しい中、工夫してくれている気がする。お腹ぽんぽんされた。くすぐったい。

「もうちょっと寝るよ。寝て起きたら、ちょっとマシになってるでしょ。多分」

 楽観的で呑気な私にちょっと苦笑された気もしますが、それもやっぱり見えないし聞こえないので、気にしないことにします。トイレに向かったのと同じように魔力感知を便利に使いながら、自分のベッドへと戻る。リコットはずっと一歩後ろを歩いてくれていた。

 しかしいつもの感覚で適当なところにスリッパを脱ぐと次また分からなくなるな。壁際にスリッパを寄せておこう。

「よし、じゃあもうちょっと寝ます。ごめんねぇ何にも聞こえなくて。起きたら喋ろうねぇ」

 横になりながらそう伝える。これもう完全に独り言なんだよな。だけど四人の気配が近いから、聞いてくれていると信じている。

 ごろんと寝転がったら、誰かが上掛けを整えてくれた。ルーイかな。そのまま、私の頭もよしよししてくれる。うん、ルーイの手だ。優しい。

 目を閉じたら、またとろとろと眠気がやって来た。早く良くなるといいな。みんなと喋れないのも、顔が見えないのも、やっぱり寂しいからね。主に私がね。

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