第397話_ジオレン帰還

 宿に戻れば深夜三時をとうに回っていたが。リコットとナディアがテーブルの方に居て、起きていた。今回も交替制にしたらしい。私を見てすぐに、リコットが柔らかく微笑んでくれた。

「おかえり、アキラちゃん」

「ただいま」

 そう言葉にすればホッとして、身体の力が少し抜けていく。出迎えてくれる温もりのお陰か、それとも、帰ってきたという実感を得るせいか。いや、別に、理由なんてどうでもいいか。

「ごはんは?」

「食べてきた。大丈夫」

 軽く頷き返すリコットの視線がちらりと何処かに行った。何処だったのか分からなかったが、ご飯抜きだったら何か食べさせようと思って残してくれていたのかも。でも、そういう諸々を確かめる元気も無く。私は浴室の方へと足を向ける。

「もう戻ったから、寝て良いよ。お風呂入ってくる」

「あ、待ってアキラちゃん、熱」

 浴室の扉に手を掛けたところで、慌ててリコットが駆け寄ってきて、両手で私の頬に触れた。

「まだ出てないかな、いや微熱?」

「そう? 今日はあんまり、反動が出るほどのことはしてないよ。身体が疲れただけかも」

「そっか」

 納得したのかしていないのか。相槌を打ちながらもリコットはまだ私に触れている。頬から額に手が移動して、リコットは距離を詰めて私をじっと見つめた。反動が出た時は少し目が充血するから、その確認かな。

「――アキラ」

「ん」

 テーブルの方に座ったままのナディアにも呼ばれて、視線を向ける。返事に疲れが滲んでいたせいか、一瞬、心配そうに目を細められた。

「服。ローブもまとめて置いておいて。洗っておくから」

「あぁ、うん。パンツも良いの?」

「……ええ。一緒に置いておいて」

「はは、ありがとう」

 パンツも洗ってくれるって。私達の呑気な会話に、リコットも思わずと言った様子で笑みを零した。そして彼女が私から手を離したので、お風呂に行ってよしの合図と判断して、浴室に入る。

 洗濯用にといつも置いてある桶の中に、ローブを投げ込んで、それから、脱いだ服を入れていく。パンツは一番上に乗せた。嫌な顔をされそうだと思いつつ、だって、最後に脱ぐじゃん。パンツ。

 さておき。貯めた水をぬるま湯に変えて、ゆっくりと汗を洗い流した。こうしてお風呂に入ると、強張っていた身体が解けていくような気がする。少なからず、戦いの場に出ると緊張するんだろう。カンナに給仕してもらって少し緩んだと思っていたが、まだまだ残っていたらしい。

 洗い終えて、タオルで身体を拭き始めた頃。緩み過ぎて、何だかもう眠くなってきた。とりあえず椅子を出して座る。まだ上半身は裸のままだ。下はパンツを履いて、ズボンに軽く足を通した。脛くらいまで。ちゃんと履くなら立ち上がる必要があるが、はあ、怠い。ちょっとだけこのまま寝ようかな。頭からタオルを被り、座ったままでぐでんと項垂れていたら、コンコンと響くノックの音。

「アキラ? 大丈夫?」

 控えめな、ナディアの声だった。ああ、消音していなかった。音を聞いていたんだね。急に動く音が無くなった為、気になったらしい。「ねむい」って返したら、少し呆れたような声で「入るわよ」と言われた。どうぞ。いつも通り開いています。

「そんな半端な格好で……」

 ナディアが溜息交じりにそう言いながら入ってくる背後で、リコットが少し笑った声も聞こえた。彼女もまだ起きていて、軽く中を覗いたんだろう。顔を上げなかったから、よく分からないけど。

 歩み寄ってきたナディアは私の頭からタオルを取ると、まだ濡れてる髪に触れて溜息を落とし、改めてタオルで拭いてくれた。そして、なすがままになっている私の膝の上にナディアの尻尾の先が落ちてきた。反射的に、じっと見つめる。

「眠らないでね。それで遊んでいて」

 うん? 『それ』って、これ? 尻尾をモフっと両手で撫でる。先っぽがふるふると揺れた。

 ナディアは私と向かい合う形で立っているので、尻尾がこちらにあるのはそんなに自然なことじゃない。でも握っても嫌がらなかったから、触らせてくれるらしい。黙々と尻尾を撫でる。捕まえられているのを嫌がるみたいに、ふてふてと動くのが可愛い。でも、逃げて行かない。

「手を通して」

 気付けば、いつの間にか服を着せられようとしていた。右手を尻尾から離して左手で撫で続け、次は右手を戻して左手を離す。ひと時も離さずに撫で続けている私に、ナディアが「何なのその執着……」と言った。私にもよく分からない。落ち着く。

「リコット、お願い」

「は~い」

 服を着せられた後。ナディアに呼ばれてリコットも入ってきた。髪がひんやりする。乾かしてくれるらしい。ナディアが櫛やタオルで髪を梳いてくれる傍ら、リコットが風を当ててくれている。連携プレーで、割とすぐに乾いた。

「終わったわよ。アキラ、ベッドに行って」

「んん……」

 尻尾が名残り惜しい。最後に両手でモフモフしてから、渋々と手放した。呆れられている気配はした。

「少しの間、お願い」

「うん」

 私がだらだらと立ち上がって浴室から出ようとすると、背後でナディアとリコットが静かにそう会話していた。自分のことだと気付くのは翌日以降で、この時は「何か声が聞こえる」くらいにしか思っていなかった。私は真っ直ぐベッドに向かう。リコットが付いてきていて、ナディアは居なかった。ああ、洗濯をしてくれるのか。もう遅くて、彼女達だって眠いだろうに。洗ってくれるって言ってたけど、明日で良かったのに。

「……リコ達も、寝ていいよ」

「んー、うん、でも反動が出ないか心配だから」

 寝そべりながらそう言ってみるが、リコットは頷かなかった。私のベッド脇に椅子を引き寄せて座る。今回は本当に大丈夫だと思うんだけどな。特に強い魔物も居なかったし、大きな魔法も使わなかった。村を吹き飛ばすわけにもいかないからね。

 とか、ごちゃごちゃと考えたものの。二人を納得させられる自信が無かったから、これ以上は言わなかった。もうすっかり眠かった。

「……つかれた」

 緩んだ思考で漏れた言葉はそれだけ。くすりとリコットが笑う声が、耳に心地良い。

「うん。お疲れ様。ゆっくり眠って」

 囁くみたいに静かに優しくそう言って、リコットが頭を撫でてくれる。少し冷たい指先が気持ち良くて、もう一度目を開けてリコットの顔を見たかったのに、出来そうにない。

 不意にナディアが部屋と浴室を出入りした音が聞こえて、洗剤の香りが微かに漂ってくる。

 その瞬間、記憶にこびりついていた瘴気の臭いとか血の臭いとか畑や森の臭いが全部、分からなくなった。みんなと一緒に部屋に居るんだって実感できて、小さく息を吐いたら、そのまま私は眠り落ちた。

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