第395話
「クヌギ様」
「ん」
のんびりと避難場所に戻った私の元に、何だか思い詰めたような顔でベルクが駆け寄ってきた。少し遅れて、コルラードも。
「回復魔法をお使い頂けないでしょうか。このままでは、助からない可能性がある者が」
いつかは、こういうことを言い出すんじゃないかなぁって思っていた。でも大きな戦いがあった時も一度も言ってこなかったので、『分かっている』のかもしれないと期待したんだが。そうではなかったらしい。
「一度使えば、いずれ各地から引っ切り無しに依頼が来る。ベルク達はそれを捌ける?」
私の問いにベルクは一瞬の間を置いて、すぐに表情を歪める。もう伝わっただろう。
「……それは」
「他の全てを断れるなら、使っても良いよ」
言葉を被せようとしたわけじゃない。ベルクの声があまりに小さくて、被せてしまってから、何か言ったなと思った。意味のある言葉じゃなかったのか、私が少し黙っても、ベルクは何も言わない。
「私一人で全国民は救えない。使いどころは、ベルク達がよく考えて」
これが依頼なら、引き受けてもいいよ。ウェンカイン王国の日雇い魔術師は、回復魔法も扱える。良いじゃん。でも私は依頼を無限に受けるつもりは無いし、私が断れば一切の代替案が無い依頼になる。
結果どうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ。
「……申し訳、ございません。今の言葉は、……忘れて下さい」
ベルクは身体を震わせながら絞り出すような声でそう言って、俯いた。声も震えていた。心優しくて、賢い為政者だよ。本当に。
望む形で、望むだけ助けてはあげられないけど。
「怪我人は、一つの建物に集められてたんだったかな」
話を続ける私に、ベルクは少し無防備に顔を上げた。何故こんなことを問われているのか分からないようだったが、それでも素直に答えたのは、彼の生来の真面目さと純粋さか。
「はい、あちらの大きな建物内に。村の医師と派遣された軍医の二名しかおりませんので、場所を分けてしまうと対応が厳しくなると申しておりました」
彼が指した方向の建物を見る。確かあそこは、大きな部屋が一つあるだけのシンプルな屋敷だ。元は倉庫として使われていたんだろう。
「あの建物に結界を張る。浄化の機能を持たせて、魔物の瘴気が入り込まないように」
魔物の瘴気はいつまでも残るものではないが、魔物の血が残っているとしばらく漂うことがある。健康な人でも少し気分が悪くなることはあるから、怪我人や病人には酷く障ってしまう。
「それから、微力な回復機能も付ける。ほんの少しだけいつもより自己治癒力が上がって、ほんの少しだけ頑張れる程度のね。……あとは、本人次第だよ」
ベルクは喉を震わせて、目を見開いた。ひと呼吸おいてから、私もベルクへと視線を向ける。
「危ない状態の人ほど建物内に留めるように、上手く言っておいて。浄化だけは伝えていいと思う」
回復機能は、言わない方が良い。回復魔法って言葉を避けても、外に知られれば似た状況になるだろうからね。小さく「はい」と答えた彼の声は、泣いてるみたいに震えていた。涙は見えなかったけど、泣いていたんだと思う。
「心より、感謝申し上げます」
ベルクが深く頭を下げた時、雫が落ちた気がしたが。見なかったことにする。こんなことをしたところで、助からない可能性だって十分にあるんだ。助けてやったことにはならない。
「……気の滅入る仕事だったなぁ」
さっき言った措置を終えて、ベルクが調整に離れて行った後に小さく独りごちる。
「クヌギ様」
ぼやいていたら、まだ傍に立っていたコルラードが私を呼んだ。王子の護衛はどうした。と言いたかったけど、まあ、大丈夫と彼が判断しているなら良いだろう。
「お疲れでしょう。此方にお座り下さい、このような場で、申し訳ないのですが」
そう言ってコルラードが促したのは、近くの木箱だった。しかもコルラードのマントを畳んで座布団にしてあった。思わず声を漏らして笑ってしまう。
「そんなことの為にあるわけじゃないでしょ、その立派なマント」
「いいえ。クヌギ様のお役に立てば僥倖でございます」
よく分かんないな。軽く肩を竦めたけど、「ありがと」と言って座らせてもらった。こんな高そうな布をわざわざお尻の下に敷いたのは流石に初めてだよ。
「先程は、ありがとうございました」
「うん?」
「ベルク様を窘めるのは私の役目であるべきでした。到着直後にも、ベルク様を結界内に引き留めて頂いたとのことで。……クヌギ様が居なければ、私は危うく主君を守れないところでございました」
「はは」
コルラード、すぐに結界外に出て行っちゃったもんな。あの正義感と言うか、民を守ろうとする心と行動は、騎士団長として立派だけど。ベルクが暴走しがちなことを考えれば、まず彼を止めてからの方が良かったね。
少し戦っている動きを見る限りはベルクもかなり腕の立つ剣士なんだろう。それでも次代にこの国を背負う第一王子だ。率先して危険に身を投じるべき立場じゃない。
まあそれを言うと、そもそも毎回私に随伴してるのも、どうかとは思うけどね。
「正直に、申し上げれば」
静かな声で、内緒話をするようにコルラードが呟く。座っているせいで視線が低い私は、やや頭を逸らすように顔を上げて、彼を見つめた。
「此処は助かるはずのない、村でした」
声を落とした理由を察した。こんな言葉を村民や兵士に、今、聞かせるべきではない。
「救われた命が多くあります。犠牲もありましたが、生き残りがあること自体が、あなた様だけが起こすことの出来る奇跡でした」
視線は私に向けられておらず、避難所結界の外、先程までの魔物達のせいで何処か荒廃した印象すらある村の外れを見つめていた。兵士と共に、まだ動ける村民が、魔物の残党や逃げ遅れた者が居ないかを入念に確認して回っている。
「慰めてくれてるの? ありがとう」
声は堅苦しくて低く、静かなだけだったけど。内容はどう考えてもそう聞こえた。やっぱり少し、笑ってしまう。コルラードからの返事は特に無かったが、軽く首を垂れたように見えた。
「何の罪もない人が死ぬのは、嫌な気分だね、コルラード」
「……ええ。私も、……どれだけ経験しようとも、未だ慣れることが出来ません」
絶えず戦場に身を投じる騎士であっても、そう思うなら。私の気分が悪いのも、仕方ないなと思った。
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