第387話

 次に目覚めると部屋はあまりに静かで、薄暗く、動くものの気配も無い。みんな居ないのかなって思ったら、ベッド脇にルーイだけが座っていた。彼女は私の視線にすぐに気付き、顔を上げる。

「アキラちゃん、起きちゃった?」

「うん……みんなは?」

「今ちょうど、お昼を買いに行ったよ」

 時計を見れば、お昼を少し過ぎていた。私が眠り始めたのが十一時くらいだから、少し長く寝かせてくれようとしたんだろう。

 しかし普段は二人が残って二人が出る形が多いのに、珍しい。そう考えたのが分かったのか、「お昼ご飯、量が多くなりそうだから」と説明を付け足してくれた。私が普段食べる量は一人前で済まないということと、果物など重いものも含むなら流石に手が必要との判断だったらしい。何度か私の食事を買って苦労したことで生まれた改善策か。……私の食べる量が正常なら生まれない悩みだね。ごめんね。

 さておき、ベッド脇からじっと私を見つめてくるルーイが可愛い。のんびりと手を伸ばして、よしよしと頭を撫でた。そして満足して手を下ろした時、ルーイが小さい両手でそれを握る。

「つらい?」

「少し。でもルーイが居るから、嬉しいよ」

「そういうことばっかり言う」

 ルーイは不満そうに口を尖らせた。可愛い顔だな。思わず頬を緩める私を、不思議そうに見つめてくる。

「本当だよ」

 瞬きをしたら、またとろとろと眠気がやってきて、目を閉じる。「アキラちゃん」と呼ぶ声が優しくて、心が緩んだ。

「……今日ね、怖かったんだけど」

 眠くて、声が弱い。ぼんやりしていて、自分が何を話しているのか、いまいち分かっていなかったかもしれない。寝言のようなものだ。ルーイの手が、少し強く私の手を握ったことも、分からなかった。

「うーん、その前も。だけど、みんなが居てくれるからさ」

 隣に居てくれる子と、待っていてくれる子達。その存在を、ふとした時に感じた。心配そうな顔は少し悲しかったけど、でも傍に居てくれることが、ただそれだけで本当に嬉しかった。

「だから、ありがとう」

 言い終えた時、ぐすんと鼻を啜る音が聞こえて。重たかった目蓋をこじ開ける。ぼやけた視界の中で、ルーイが泣いていた。

「どうして泣くの、ルーイ」

「だって」

 駄々っ子みたいな声を出すルーイは酷く珍しい。ひくりと喉が震える音に、胸が詰まる。

「アキラちゃん、怖かったのに、我慢しなきゃいけなくて、私達、何にも出来ない。悔しい。どうしていつもアキラちゃんが、辛い思い、しなきゃいけないの」

 悔しい気持ちを表すようにぎゅっと眉を寄せて、喉を震わせながら、ルーイが泣いた。透き通った紺色の瞳から零れ落ちてくる涙が、光の少ない部屋の中でも時折きらきらと輝いて、綺麗だと思った。

「どうしてだろうね、……私にも、分かんないな」

 何故、私が背負わなければならなかったのだろう。ヘレナの解呪をする前にも、少し思ったことだ。ルーイに答えるなら、もっとこの子が悲しまない返事を選ぶべきだったかもしれないのに。緩んでいたから、正直に返してしまった。分からないし、多分、分かりたくもない。

「だけどみんなが傍に居てくれて、それが、本当に助けになるって、今日改めて思ったよ。だから、……泣かないで、ルーイ」

 小さい手を握り返す。「だから」がちゃんと繋がっていない気がするが、頭が回らない。ルーイが泣くからもっとちゃんと話したいと思っても、また眠気が来て、今度は目蓋が上げられなかった。

「この世界に、みんなが居て、良かったな」

 伝えるつもりの言葉じゃなかった。掠れていて小さな声は、届かなかったかもしれない。

 目を閉じても傍に居てくれる気配が、大切に手を握ってくれる温もりが、離れていても戻ってきてくれると分かる、今此処に居ない三人の気配が。

「会えて、……本当に」

 私をいつも、必ず、癒してくれる。

 みんなと会えていなかったらと思うと、今もこの世界で一人だったらと考えると、本当、ぞっとするよ。

 そのまま、私の意識は再び落ちて行った。ルーイが鼻を啜った音が微かに聞こえて、ほんの一瞬だけ意識が浮上するものの、目蓋はやっぱり、上がらない。

「それ、私だけじゃなくて、みんなにも言ってよ。アキラちゃん」

 起きればもう思い出せないくらいの意識の端っこで、ルーイがそう呟くのを聞いた。


* * *


「ただいまー」

 先頭で部屋に入り込んだリコットは、いつもより小さな声で囁いた。アキラがまだ眠っていたら、起こさぬようにとの配慮だろう。だから彼女がまず視線を向けたのはベッドの膨らみ。その後に、リコット達を振り返って「おかりなさい」と、掠れた声で返したルーイに目をやった。

 瞬間、リコットはぎょっと目を見開く。ルーイが目と鼻を真っ赤にして、どう見ても泣いたばかりの顔をしていたからだ。

「ど、どうしたのルーイ!?」

 大慌てでその場に荷物を置いて、リコットが駆け寄る。それでも声は潜めたまま、足音も静かなままであったことは、褒めてやるべきかもしれない。

 続けて部屋に入り込み、状況を理解したナディアとラターシャも、同じくルーイの傍へと歩み寄る。それぞれアキラを窺うように視線を向けたが、彼女はルーイに手を握られた状態で、すやすやと規則正しい寝息を聞かせていた。

「アキラちゃん、が」

「うん?」

 何かを話そうとするのを、リコットは優しい声で聞き返す。けれど話そうとすれば感情が溢れてくるのか、ルーイはまた新しい涙をぽろぽろと零した。リコットが慌てて抱き締める。その間も、ルーイはずっとアキラの手を握ったままだ。

 たどたどしく、涙の端で。先程アキラと話した内容を何とかルーイが説明し終えるのを聞いて、みんなも一様に眉を下げた。

 弱音をほとんど吐かず、常に飄々としているアキラが「怖かった」と言った事実はあまりに胸が詰まることだった。何もしてあげられない悔しさに、誰もが口を閉ざす。

 それでも、アキラはこの世界で彼女らに出会えたことを、「良かった」と言ってくれたらしい。

「助けになれたらいいね、ほんの少しでも」

「……うん」

 リコットの言葉に、ルーイは未だ涙の残る声で頷く。部屋には、幼い喉が震える音がいつまでも響いていた。

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